第43話:沈黙の巨鯨、重力の檻を食い破る
新生した神造戦艦リベルタ・アークのブリッジは、以前とは比較にならないほどの静寂に包まれていた。
かつてはエンジンの振動が足裏に伝わり、配管が軋む音が常に響いていた場所だ。
だが今は、まるで深海の底にいるかのように音がない。
壁面には流線型のミスリルパネルが張り巡らされ、空中に投影されたホログラムモニターが、船体のステータスを淡い青色で表示している。
その中央、船長席に座るレンは、滑らかな手触りのコンソールに指を走らせた。
「すごいな。出力五十パーセントでも、振動係数がゼロだ。……星核の重力制御が、船内の慣性を完全に相殺している」
レンの声には、作り手としての興奮と、乗り手としての驚愕が混ざり合っていた。
隣の副操縦席では、リアが目を丸くして計器を覗き込んでいる。
「魔力伝導率も異常です。私の魔力を一割も使わずに、船体全体の結界強度が最大値を維持しています。これなら、ドラゴンのブレスを浴びながらお茶が飲めますよ」
「それは頼もしい。……さて、アイギス。状況はどうだ」
レンが呼びかけると、ブリッジの壁面に埋め込まれたインターフェースから、アイギスの合成音声が響いた。
彼の本体は格納庫で待機しているが、意識はこの船のメインシステムと直結している。
『システム・オールグリーン。全砲門、動作良好。マスター、本艦ハ船ト言ウヨリハ、一ツノ巨大ナ生命体ニ近イ構造デス。私ノ処理能力ヲ持ッテシテモ、全機能ヲ掌握スルニハ数分ヲ要シマス』
「ゆっくりでいいさ。まずはここから出るぞ。……おっと、その前にお客様のお出ましだ」
レンが視線を上げた先のメインスクリーンに、無数の赤い警告灯が灯った。
天空の墓場の守護者たる星核が持ち去られたことで、遺跡に残された自動防衛システムが緊急起動したのだ。
崩れかけた古代戦艦のハッチや、瓦礫の隙間から、蜂の群れのような影が噴き出してくる。
それは古代の自律攻撃ドローン、スワーム・ビーの群れだった。
錆びついた球体に鋭利な回転翼と機銃を備えた殺戮機械が、その数およそ三千。
空を埋め尽くすほどの黒雲となって、リベルタ・アークへと殺到する。
「うわぁっ! なんだあの数は! 虫みたいで気持ち悪いニャ!」
操舵輪を握るキリルが悲鳴を上げる。
だが、その手つきには以前のような焦りはない。
新しい舵輪は指一本で回せるほど軽く、船体と神経が繋がったかのように反応するからだ。
「ビビるなキリル。ちょうどいい的だ。試運転の相手には不足ない」
レンは不敵に笑い、右手を前に突き出した。
「総員、戦闘配置。……見せてやるよ。この船がなぜ神造戦艦と呼ばれるのかを」
ドローン群が一斉に発砲を開始した。
数千の銃口から放たれる魔弾の雨。
それは嵐のようにリベルタ・アークを包み込んだが、船体には傷一つつかなかった。
着弾の瞬間、船の周囲に展開された重力障壁が空間を歪め、弾道を逸らして無効化してしまったのだ。
「効かん! 蚊に刺されたほども感じんぞ!」
砲撃手として座についたガイウスが、興奮して叫ぶ。
「反撃だ! アイギス、火器管制をリンクしろ! 主砲、発射!」
『ラージャ。ターゲット、ロックオン。全砲門、開放』
リベルタ・アークの船側がスライドし、隠されていた砲塔群が姿を現した。
だが、それらは火薬や魔力を撃ち出す旧式の大砲ではない。
砲身の周囲に紫電を帯びた、重力子加速砲だ。
ズドンッ、という発射音はない。
ヒュンッ、という空気が裂ける鋭い音と共に、不可視の衝撃波がドローンの群れを貫いた。
次の瞬間、空間そのものが抉り取られたように、数百機のドローンが内側にひしゃげて圧壊した。
爆発ではない。
重力の塊をぶつけられ、自身の質量に耐えきれずに潰れたのだ。
「ギャハハハ! すげえ威力だ! トマトみたいに潰れやがった!」
通信機からバンバの狂喜の声が聞こえる。
彼は厨房にいながら、補助動力の出力を調整して戦闘をサポートしていた。
「まだまだ、こんなもんじゃないぞ。……キリル、一気に加速して突っ切れ!」
「合点だニャ! 振り落とされるニャよ!」
キリルがスロットルを限界まで押し込む。
本来なら、急加速のGで乗員の内臓が破裂してもおかしくない操作だ。
だが、星核の慣性制御下にある船内では、コップの水さえ揺れない。
リベルタ・アークは黒い流星と化した。
ドローンの包囲網など存在しないかのように、その巨体で敵の群れを強行突破する。
接触したドローンは、船体が纏う重力波に巻き込まれ、砂粒のように粉砕されていく。
圧倒的な速度。
絶対的な防御。
そして破壊的な攻撃力。
「逃げる敵を追うのも面倒だ。……一掃する」
レンは冷徹に告げると、コンソールの中央にある赤いスイッチに手をかけた。
それは、この改修で新たに追加された、星核の力を最大限に利用した戦略兵器のトリガーだ。
「重力機雷、射出」
船尾から、バスケットボールほどの大きさの黒い球体が数個、空中にばら撒かれた。
それらは追ってくるドローンの群れの中心で静止し、怪しく赤く点滅を始める。
「起動」
カッ!
一瞬、世界の色が反転した。
機雷を中心とした局所的な空間に、擬似的なブラックホールが発生したのだ。
逃げ遅れた千機以上のドローンが、悲鳴を上げる間もなくその闇の渦へと吸い込まれていく。
金属が圧縮され、融合し、原子レベルまで分解される断末魔の光だけを残して、敵の大群は空から消滅した。
後に残ったのは、チリ一つない青空と、悠々と飛ぶ黒い船だけ。
「……やりすぎたか?」
レンが肩をすくめると、リアが呆れたように、しかし尊敬の眼差しで見つめ返した。
「やりすぎです。……でも、これならSランクの勇者パーティが相手でも、負ける気がしません」
「同感だ。……さて、掃除も終わったことだし、ここからおさらばしようぜ」
リベルタ・アークは機首を上げ、天空の墓場を取り囲む積乱雲の壁へと向かった。
以前は命がけで通り抜けた雷の嵐だ。
だが今の船にとって、それはただの霧のようなものだった。
重力シールドが雷撃を弾き、暴風を切り裂いて進む。
そして、分厚い雲を抜けた瞬間。
眼下には、見渡す限りの雲海と、その彼方に広がる王国のパノラマが広がっていた。
太陽の光が、新しくなった黒い装甲を照らし、神々しい輝きを放つ。
「抜けた……! 広いニャー!」
キリルが歓声を上げる。
レンもまた、眩しそうに目を細めた。
スラムの底から見上げていた空は遠かった。
だが今は、その空の頂点に自分がいる。
「……レン殿。次はどこへ向かう?」
ガイウスが尋ねる。
レンは王都の方角、おそらくそこにいるであろうかつての仲間たちの顔を思い浮かべながら、ニヤリと笑った。
「決まっているだろう。勇者が俺たちを狩りに来るって噂だ。……わざわざ出向いてやる必要はない。俺たちの庭で、最高のおもてなしをしてやろう」
レンは操縦席の背もたれに深く体を預け、新しい王座の感触を確かめた。
「次の目的地は『竜の顎』渓谷だ。あそこなら、地形を利用して面白い戦いができる。……それに、バンバが言っていた希少な食材、天空ドラゴンの巣もあるらしいしな」
「ドラゴンか! そいつは血が騒ぐぜ!」
通信機からバンバの嬉しそうな声が響く。
最強の船、最高の仲間、そして未知なる冒険。
リベルタ・アークは、轟音を置き去りにして音速の彼方へと消えていった。
その圧倒的な航跡は、地上にいる者たちが空を見上げた時、新たな伝説の始まりとして語り継がれることになるだろう。
Fランクの逆襲劇は、ここから本当の戦争へと突入する。




