第40話:錆びついた楽園と、眠れる鉄の心臓
轟音と稲妻が支配する紫色の嵐を抜けた先には、死のような静寂が待っていた。
そこは、雲の頂に浮かぶ巨大な空洞だった。
周囲をドーナツ状に取り囲む積乱雲の壁が、下界からの風を遮断し、奇跡のような無風地帯を作り出している。
頭上には、ここが嵐の中であることを忘れさせるほど澄み渡った、蒼穹の空が広がっていた。
だが、何よりもクルーたちの目を奪ったのは、その空に浮かぶ島々の正体だった。
島ではない。
それは、太古の昔に空を支配していたであろう、超巨大戦艦の墓標だった。
全長数キロメートルにも及ぶ鉄の巨体が、あるものは折れ曲がり、あるものは互いに突き刺さりながら、複雑に絡み合って浮遊している。
かつては銀色に輝いていただろう装甲は、数千年の時を経て赤錆に覆われ、その上を鮮やかなエメラルドグリーンの苔と蔦が覆い尽くしていた。
鉄と緑の融合。
滅びているのに、どこか生命の息吹を感じさせる、残酷なほどに美しい光景。
「……すげえ。これが、天空の墓場……」
甲板に出たキリルが、帽子を押さえながら呆然と呟く。
いつもは軽口を叩く彼も、歴史の重圧の前には言葉を失っていた。
リアもまた、手すりに身を乗り出し、その瞳を宝石のように輝かせている。
「見てください、あそこの紋章。今の王国の文献にも載っていない、古代魔法文明の刻印です。あんな巨大な質量を浮かせるなんて、どんな術式を使っているんでしょう」
ガイウスは武人らしく、朽ち果てた主砲の砲身を見上げ、神妙な面持ちで敬礼を捧げていた。
だが、この場に一人だけ、感傷や畏敬とは全く異なる感情で震えている男がいた。
レンだ。
彼は甲板の先端に立ち、まるで恋人を見るような熱っぽい瞳で、目の前のスクラップの山を凝視していた。
その視線は、錆びた装甲の下にある構造材や、朽ちたエンジンの残骸を、X線のように透過して解析していた。
「……オリハルコンの複合装甲に、ミスリル銀の伝導ケーブル。それに、あの動力パイプに使われているのは、間違いなく生体金属だ」
レンの口から、早口で専門用語が漏れ出す。
「宝の山だ。いや、山なんてレベルじゃない。ここは楽園だ。世界中の宝石を集めたって、あそこに転がってる錆びたボルト一本の価値には敵わないぞ」
レンは振り返り、狂気じみた笑顔をクルーたちに向けた。
「上陸するぞ。袋を持て。持てるだけ持って帰るんだ。……これから俺たちの船は、神話級に生まれ変わる」
リベルタ号は慎重に高度を下げ、最も巨大な戦艦の残骸――全長三キロはあると思われる、くの字に折れ曲がった空母の甲板へと着陸した。
着陸脚が苔むした鉄の大地を踏みしめ、重い音を立てる。
ハッチが開くと、そこは錆とカビ、そして古い機械油の混ざった、独特の芳香に包まれていた。
レンにとっては、どんな香水よりも心地よい香りだ。
彼はタラップを駆け下りると、真っ先に足元に転がっていた歪んだ鉄板に飛びついた。
「見ろ、この断面! 数千年経っても内部が腐食していない! 今の精錬技術じゃ再現不可能な多層鍛造だ!」
レンが鉄板を頬ずりせんばかりの勢いで愛でている横で、キリルは瓦礫の隙間に光るものを見つけて駆け寄った。
「旦那! こっちには金貨が落ちてるニャ! しかも見たことない宝石付きだニャ!」
キリルが掲げたのは、古代の将校が持っていたであろう勲章と、散らばった金貨だった。
しかし、レンはそれを一瞥しただけで、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「金なんて重いだけで役に立たない物質は置いておけ。そんなことよりキリル、その下にある黒ずんだコイルを拾え。それは重力制御ユニットの心臓部だぞ」
「えぇ……金貨の方が絶対いいニャ……」
キリルが不満げに耳を伏せる。
一方、バンバは鼻を利かせながら、巨大なキノコが生えている区画へと向かっていた。
「おい船長! こっちには古代の菌床が生きてやがる! 見たことねえ色のキノコだが、猛烈に旨そうな匂いがするぜ!」
「毒の有無はヴァイスに確認させろよ。……食えるなら今夜のシチューに入れよう」
レンは指示を飛ばしつつ、自身は目当てのものを探して残骸の奥へと進んでいった。
彼が求めているのは、単なる素材ではない。
この巨大な墓場を支配しているはずの、中枢システムだ。
リベルタ号を次の次元へ進化させるには、古代の動力炉そのものが必要だった。
「……こっちか」
レンの義手が、微弱な魔力波に反応して震える。
彼が向かったのは、折れ曲がった空母の艦橋部分、その地下深くに続く巨大な亀裂だった。
蔦を掻き分け、暗闇の中へと足を踏み入れる。
リアが慌てて後を追う。
「レンさん、待ってください。……この奥から、凄まじい魔力の淀みを感じます。何か、います」
「ああ、分かってる。……この墓場の主がな」
レンは懐中電灯代わりの魔導ランプを掲げた。
地下通路は意外にも保存状態が良く、壁面には幾何学模様の回路が走り、微かに青白い光を明滅させていた。
足音が反響する長い回廊を抜けると、そこにはドーム状の広大な空間が広がっていた。
その中央に、それは鎮座していた。
高さ十メートルを超える、人型の鉄塊。
全身を分厚い装甲で覆い、背中には六枚の翼を模した放熱板。
右手には身の丈ほどもある大剣を突き立て、膝をついて眠っている。
古代文明が作り出した自律防衛兵器、機神兵だ。
「……美しい」
レンの口から溜息が漏れた。
その機体は、あちこちが破損し、油を流し、苔に覆われていたが、その造形美と技術レベルの高さは、現代のゴーレムなど足元にも及ばない。
「レンさん、離れてください! 魔力回路が……生きています!」
リアの警告と同時だった。
機神兵の単眼が、カッ! と深紅に発光した。
ブゥン……という重低音が空間を震わせ、数千年の眠りから覚めた巨人が、軋む関節音を立てて立ち上がる。
『侵入者ヲ……検知……。防衛プロトコル……起動……』
壊れたレコードのような、ノイズ混じりの機械音声。
機神兵は大剣を引き抜き、その切っ先をレンたちに向けた。
殺意の風圧だけで、レンの前髪が舞い上がる。
「下がるニャ、旦那!」
追いついてきたキリルとガイウスが前に飛び出す。
しかし、レンは彼らを手で制した。
「待て。攻撃するな」
「正気か!? あいつ、やる気満々だぞ!」
「よく見ろ。……あいつは、泣いている」
レンの言葉に、全員が動きを止めた。
レンは一歩前へ出る。
彼の目には見えていた。
機神兵の装甲の隙間から漏れ出す魔力の火花。
不規則に回転する冷却ファン。
そして何より、その深紅の瞳の奥にある、エラーコードの奔流。
「こいつは暴れたくて暴れてるんじゃない。壊れた箇所が痛くて、熱くて、どうしようもなくて暴走してるんだ」
レンは、かつて自分がスラムで拾った壊れた時計や、捨てられたオルゴールを直した時のことを思い出していた。
彼らは言葉を話さないが、壊れた機械には特有の「声」がある。
直してくれ、まだ動きたい、と叫ぶ声が。
『排ジョ……排ジョ……対ショウ……』
機神兵が大剣を振り上げる。
その動作には遅延があり、関節からは悲鳴のような摩擦音が響いていた。
「安心しろ。俺はスクラップ屋だ」
レンは逃げも隠れもせず、両手を広げて鉄の巨人と対峙した。
その背中には、恐怖ではなく、医師が患者に向き合うような慈愛と、職人の絶対的な自信が宿っていた。
「お前を壊しに来たんじゃない。……その痛み、俺が取り除いてやる」
大剣が振り下ろされる。
レンの義手が青白く輝き、破壊のエネルギーを受け止めるべく展開された。
戦いではない。
これは、数千年の時を超えた、人と機械の対話の始まりだった。




