第4話:深淵における『安全地帯』の定義
小屋の外で響いた水音は、波の音などではなかった。 俺とガイウスが外へ出た瞬間、視界を覆ったのは巨大な『棘』の壁だった。
「な、んだ……あれは……」
ガイウスが掠れた声で漏らす。それは壁ではない。雲海を泳ぐ、全長二十メートルはあろうかという巨大魚の背びれだ。全身が鋼のような鱗と棘に覆われた、深淵の捕食者。
『深淵鮫』。 ゲーム内での推奨討伐レベルは40。今の俺(レベル1)はもちろん、瀕死のガイウスが勝てる相手ではない。
ザバァァァッ!!
鮫が巨大な尾びれを振るい、旋回する。その余波だけで、俺たちの乗るツギハギだらけの筏は木の葉のように揺さぶられた。
「ぐっ……! レン、逃げるぞ!」
ガイウスが痛む体を無理やり起こし、壊れかけた剣を構えようとする。
「無茶だ。その体で動けば、傷が開いて死ぬぞ」
「だが、このままでは食われる! あのサイズだ、この程度の筏など一撃で粉砕されるぞ!」
ガイウスの叫びは正しい。この世界の常識で考えれば、Fランクの船など深淵鮫のおやつにもならない。 奴が大きく口を開けた。並んだ牙の一本一本が、人間の背丈ほどもある。狙いは正確に、俺たちのいる小屋だ。
「来るぞッ!!」
ガイウスが俺を庇うように前へ出る。 だが、俺は慌てることなく、手元のステータス画面を操作した。
「伏せてろ、騎士様。わざわざ剣を抜く必要はない」
俺は指先ひとつで、ある『スイッチ』を入れた。
「こいつは敵じゃない。ただの『デリバリー』だ」
その瞬間。 筏の四隅に設置していたガラクタの山――流木や鉄クズの塊が、ガシャンと音を立てて変形した。偽装が剥がれ、中から現れたのは、数本の杖を束ねて作られた『即席砲台』だ。
カチリ。魔力が回路を走る音がした。
「……は?」
ガイウスが呆気にとられる前で、砲台の先端が青白く発光する。 俺がこの三日間、ただ寝床を作っていただけだと思ったか? ここは危険地帯だ。安全な睡眠を確保するためには、何よりも先に『防衛システム』を組むのがゲーマーの鉄則だ。 俺が集めたのは、上空から降ってきた『壊れた魔術師の杖』や『魔石の欠片』。それらを回路で繋ぎ合わせ、一つの巨大な『魔導銃』として再構築したのだ。
ターゲット、固定。 エネルギー充填、120%。 深淵の濃厚な魔力を吸い上げ、砲身が悲鳴を上げるほどに唸る。
「撃て」
俺が短く告げた瞬間。
ドォォォォォン!!
四つの砲台から同時に放たれた熱線が、深淵の闇を切り裂いた。狙いは一点。大きく開かれた鮫の口の中だ。回避不可能な距離からの、極大魔法の十字砲火。熱線は鮫の口内を焼き尽くし、脳天を突き抜け、背後の雲海へと抜けた。
断末魔すら上げる暇もなかった。
ズズ……ン。
巨体が痙攣し、ゆっくりと横倒しになる。周囲の雲が、赤黒い血で染まっていく。
「…………」
ガイウスは腰を抜かしたまま、言葉を失っていた。 魔導砲の余韻が消えても、彼は剣を構えたまま震えている。 守ろうとした。だが、体が付いてこなかった。一歩も動けず、ただ俺の「兵器」に助けられただけの自分。
「……殺せ」
ガイウスが掠れた声で呟く。
「ん? なんか言ったか?」
「私を海へ捨てろと言ったんだ! 剣も振れん騎士など、ただのゴミだ! 貴様の食い扶持を減らすだけの無駄飯食らいだぞ!」
それは、捨てられた男の魂の叫びだった。 だが、俺はきょとんとして、呆れたようにため息をついた。
「アンタ、勘違いしてないか?」
「なに……?」
「俺は『完璧な剣』なんて興味ねえよ。ピカピカの新品が欲しいなら、店で買えばいい」
俺は、足元に転がっていたひしゃげた鉄パイプを拾い上げ、愛おしそうに撫でた。
「俺はな、『壊れたモノ』が好きなんだ。折れた剣、廃棄されたエンジン、捨てられた騎士。……一度壊れたヤツはな、自分が『弱い』ってことを知ってる。だから、修理してやれば前より強くなる」
俺は真っ直ぐにガイウスを見た。その目は、哀れみではなく、職人が極上の素材を見る時の「熱」を帯びていた。
「俺がアンタを拾ったのは、アンタが騎士団長だからじゃない。地獄を見て、それでもまだ生きてた『頑丈な素材』だからだ」
「…………」
「だから勝手に腐るなよ。俺が最高の武器にリペアしてやる。……アンタが、あの国を見返したいならな」
ガイウスの言葉が詰まる。王は、傷ついた自分を捨てた。だが、この少年は「壊れているからこそ良い」と言った。
(この少年は……狂っている。だが……)
胸の奥で、消えかけていた種火が燻り始めるのを感じていた。




