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第34話:虚飾の城と、ガラスの靴

 天空都市アイギスの第一区画。

 そこは、王都の中でも選ばれた特権階級だけが足を踏み入れることを許された、雲上の楽園だった。

 路地裏の泥濘も、スラムの腐臭も、ここには存在しない。

 あるのは磨き上げられた白大理石の舗装と、魔導灯によって永遠に照らされた黄金色の夜だけだ。


 その中心にそびえ立つ最高級ホテル、ロイヤル・アイギス。

 今宵、その巨大な正門前には、列をなす豪華な馬車と、そこから降り立つ着飾った貴族たちで溢れかえっていた。


 バルデル子爵主催、王都復興支援チャリティー晩餐会。


 聞こえはいい。

 だが、その実態が、先日ワイバーンの襲撃で被害を受けた下層民への支援などではなく、自分たちの慈悲深さをアピールし、免税特権を得るための茶番劇であることを、ここにいる全員が暗黙の了解として共有している。


 そんな偽善の行列の中に、一台の場違いな――しかし、異様な存在感を放つ漆黒の馬車が滑り込んだ。

 リベルタ号の予備装甲を加工して造られたその車体は、周囲の金ピカの馬車とは異なり、光を吸い込むような重厚な闇を纏っている。


 御者台から降りた給仕姿のキリルが、恭しく扉を開けた。


「到着いたしました、旦那様、奥様」


 その声と共に、レンが赤絨毯の上に足を下ろした。

 マフィアのボスの遺品を、自らの手で完璧にリサイズし、さらに防弾加工を施した黒のスーツ。

 その身のこなしは、かつてスラムでゴミを漁っていた頃の卑屈さなど微塵もなく、若き覇王のような冷徹な威厳に満ちている。


 レンは無言で手を差し伸べた。

 その手を取って降りてきた少女の姿に、周囲のざわめきが一瞬で凍りついた。


 リアだ。

 ワインレッドのドレスは、夜風に揺れるたびに、生地に練り込まれた黄金の魔石が星屑のように瞬く。

 露出は控えめだが、身体のラインに吸い付くようなシルエットが、彼女の肢体の美しさを残酷なまでに強調していた。

 そして何より、そのフードの下から覗く黄金の瞳。

 それは、この場の誰が身につけている宝石よりも鋭く、神秘的な輝きを放っていた。


「……あれは誰だ?」

「見たことのない顔だが……あのドレス、どこのブランドだ? あんな深い色は見たことがないぞ」


 貴族たちが扇子で口元を隠しながら囁き合う。

 好奇心、嫉妬、そして欲望。

 粘りつくような視線を、リアは少しだけ肩を震わせて受け止めたが、レンの腕を強く握り返すことで恐怖を押し殺した。


「顔を上げろ、リア。お前は今、この会場で一番価値のある宝石だ。石ころ共に怯える必要はない」


「……はい、レンさん」


 リアが背筋を伸ばす。

 その凛とした姿は、かつてオズワルドに怯えていた少女の面影を完全に払拭していた。


 二人は腕を組み、巨大な回転扉を抜けて、光の洪水のようなロビーへと足を踏み入れた。

 一方、荷物持ちを装ったキリルと、巨大な保冷ケースを担いだバンバは、ボーイに目配せをして裏口の搬入口へと消えていく。

 調理場制圧部隊と、正面突破部隊。

 二方向からの侵略が、静かに開始された。



 会場となる大広間、クリスタル・ホールの扉が開かれた瞬間、レンの鼻腔を突いたのは、むせ返るような香水の甘い匂いだった。

 百合、薔薇、麝香。

 高価な香料が幾重にも重ねられ、その奥に潜む人間の体臭や欲望の臭いを覆い隠そうとしている。


 広間の中央には氷の彫刻が飾られ、壁際には山のようなオードブルが並んでいる。

 楽団が奏でる優雅なワルツに合わせて、仮面のような笑顔を貼り付けた紳士淑女たちが、中身のない会話に花を咲かせていた。


「まあ、昨日のワイバーン騒ぎは怖ろしかったですわね」

「ええ、下層の住居が焼けたとか。おかげで煙が上層まで流れてきて、洗濯物が台無しですわ」

「まったく、貧民は燃える時まで迷惑をかけますのね。オホホホ」


 聞こえてくる会話のすべてが、レンの神経を逆撫でする。

 レンはシャンパングラスをウェイターから受け取り、その冷たい感触で怒りを冷やした。


「腐った連中だ。スラムのドブネズミの方が、まだ生きることに真摯だぞ」


「……あの方たちは、何も見えていないんですね。自分たちの足元の床が、誰の犠牲で支えられているのかを」


 リアもまた、冷ややかな視線で会場を見渡す。

 その時だった。

 ホールの奥、一段高くなった壇上の近くから、甲高い女性の笑い声が響いた。


「やだぁ、バルデル様ったら! そんなに褒めないでくださいまし。このネックレス、お安かったんでしょう?」


 その声を聞いた瞬間、レンの足が止まった。

 心臓が、ドクリと嫌な音を立てて脈打つ。

 忘れるはずがない。

 かつてレンが、なけなしの金をはたいて買った安物の指輪を、川に投げ捨てた女の声だ。


 レンの視線の先に、その男女はいた。


 一人は、肥え太った体を紫色のタキシードに包み、脂ぎった顔に下卑た笑みを浮かべた男。

 今回の主催者、バルデル子爵。

 そしてその腕に寄り添っているのは、派手なピンク色のドレスを着た、栗色の巻き髪の女。

 胸元には、親指ほどもある巨大なダイヤモンドのネックレスが輝いている。


 エリーシャ。

 かつてレンのパーティーで回復役を務め、そしてレンを無能と罵って去っていった元恋人。


「……見つけたぞ」


 レンの口から、地獄の底から響くような低い声が漏れた。

 リアが心配そうにレンの顔を覗き込む。

 だが、レンはすぐにいつもの不敵な笑みを浮かべ、あえてその二人の方へと歩き出した。


 エリーシャは、取り巻きの令嬢たちにネックレスを自慢するのに忙しかった。


「これ、深淵の第七層で採掘された希少なダイヤなんですって。バルデル様が、私の瞳の色に似合うからって」


「まあ素敵! さすがエリーシャ様、未来の子爵夫人ですわね」


「それに比べて、あちらの料理の貧相なこと。……あら?」


 ふと視線を逸らしたエリーシャの目が、近づいてくる人影を捉えた。

 最初は、見覚えのない洗練された紳士だと思ったのだろう。

 彼女は媚びるような笑みを浮かべようとし――そして、その顔が凍りついた。


 整った顔立ち。

 冷ややかな黒い瞳。

 雰囲気は変わっているが、その顔は見間違えようもなかった。


「レ……レン?」


 エリーシャの声が裏返る。

 その声に、隣にいたバルデル子爵も怪訝な顔で振り返った。


「あん? なんだエリーシャ、知り合いか?」


「ま、まさか! あんなゴミ……いえ、あんな男、知るわけが……」


 エリーシャが否定しようとした時には、すでにレンは二人の目の前に立っていた。

 周囲の空気が、レンの放つ異様な重圧によってピリついている。


「久しぶりだな、エリーシャ。それにバルデル子爵。……相変わらず、趣味の悪い宝石がお似合いだ」


 レンが静かに告げる。

 エリーシャは幽霊を見たかのように後ずさり、バルデルは不快そうに眉を寄せた。


「誰だ貴様は。招待客か? どこの家の者だ」


「俺か? 俺はただの清掃員だよ。今日はこの会場に溜まった生ゴミを、片付けに来たんだ」


 レンの挑発に、バルデルの顔が赤黒く染まる。

 だが、それ以上に動揺していたのはエリーシャだった。

 彼女はレンの隣に立つ、リアの存在に気づいてしまったのだ。


 深淵の夜を切り取ったようなドレス。

 透き通るような肌。

 そして、自分など歯牙にもかけていないような、高貴な黄金の瞳。

 女としての直感が告げていた。

 格が違う、と。


「な、なによその女……! レン、あなたまさか、その女に貢がせているの? Fランクのゴミ拾いのくせに、どこでそんな服を……!」


 エリーシャがヒステリックに叫ぶ。

 彼女にとって、自分が捨てた男が、自分より美しく、高貴に見える女を連れているという事実は、許しがたい屈辱だった。

 自分の選択が間違いだったと、突きつけられているようなものだからだ。


 レンは、エリーシャの喚き声を鼻で笑った。


「紹介しよう。こいつはリア。俺のパートナーだ。……お前が大事にしているその石ころより、ずっと価値のある女だ」


「石ころですって!? このダイヤが!?」


 エリーシャがネックレスを鷲掴みにして叫ぶ。

 その時、リアが一歩前に出た。

 彼女は静かに、しかし会場中に響くような凛とした声で言った。


「……そのダイヤモンド、内部に微細なクラックが入っています。魔力伝導率も低級。それは研磨と着色魔術で誤魔化した、ただの工業用魔石の屑です」


「は、はあ!? なにを言って……」


「私の目は誤魔化せません。……本物の輝きを知らない哀れな方」


 リアの黄金の魔眼が、エリーシャの虚飾を射抜く。

 事実、そのネックレスはバルデルが裏ルートで安く仕入れた偽造品だったのだが、それを指摘されたエリーシャは顔を真っ赤にして震え出した。


「こ、この泥棒猫! 衛兵! 誰か衛兵を呼んで! 不審者が入り込んでいるわ!」


 エリーシャの叫び声に、会場の警備兵たちが駆け寄ってくる。

 バルデルもまた、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。


「ふん、身の程知らずのネズミ共が。……ここで私の顔に泥を塗ったこと、後悔させてやる。地下牢でたっぷり可愛がってやろう」


 警備兵たちが剣を抜き、レンたちを取り囲む。

 招待客たちが悲鳴を上げて遠ざかる中、レンだけは余裕の表情を崩さなかった。

 彼は懐中時計を取り出し、チラリと針を確認する。


「時間だ」


 その言葉と同時だった。


 ドォォォォォォン!!


 会場の奥、巨大な両開きの扉が内側から爆発したかのように吹き飛んだ。

 悲鳴と共に全員が振り返る。

 そこから漂ってきたのは、火薬の臭いではない。

 脳髄を溶かすような、暴力的なまでに芳醇な、料理の香りだった。


「前菜のお待ちどう様だァァァッ! 腹を空かせた豚共ォッ!」


 粉塵の中から現れたのは、巨大な銀のカートを押した、コックコート姿の巨漢――バンバだった。

 その背後には、フライパンとナイフで武装したキリルが続く。

 制圧された厨房から、彼らはこの晩餐会を乗っ取りに来たのだ。


 レンは警備兵たちの動揺を見逃さず、指を鳴らした。


「さあ、晩餐会の始まりだ。バルデル、お前の自慢の舌が腐っていないか、俺たちがテストしてやる」


 優雅なワルツは止まった。

 代わりに始まったのは、暴食と復讐の狂宴。

 虚飾に塗れた城で、ガラスの靴を履いたシンデレラリアと、その魔法使いレンによる、痛快な革命劇の幕が切って落とされた。


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