第30話:値札のついた命
粉砕された鉄扉の残骸が、分厚い絨毯の上に土砂崩れのように降り注ぐ。
舞い上がった粉塵が、煌びやかなシャンデリアの光を乱反射させ、視界を白く濁らせていた。
そこは、この世の掃き溜めであるスラムの地下とは到底思えない、狂ったような豪華さに彩られた空間だった。
壁一面には真紅のベルベットが張られ、天井からはクリスタルガラスの照明が吊り下げられている。
並べられた円卓には、上層の貴族たちが好む高級ワインや、果実の盛り合わせが置かれ、その周りには仮面をつけた数十人の男女が座っていた。
彼らは一様に、突然の侵入者に驚き、ワイングラスを取り落としたり、悲鳴を上げて椅子から転げ落ちたりしている。
その身なりは洗練されたシルクやレースで飾られているが、仮面の隙間から覗く瞳には、隠しきれない背徳の悦びと、怯えが混在していた。
ここは、王都の法も光も届かない地下の楽園。
金さえあれば、人の命すら娯楽として消費できる、欲望の終着点だ。
レンは、足元に転がってきた黄金の燭台を無造作に踏み砕き、ホールの中央へと足を踏み入れた。
その背後には、殺意を研ぎ澄ませたキリルと、静かに周囲の術式を解析するリアが続く。
「……趣味の悪い内装だな。成金趣味にも限度があるぞ」
レンが吐き捨てるように呟く。
彼の視線は、怯える客たちを一瞥もしない。
真っ直ぐに向けられたその先にあるのは、ホールの最奥に設置されたステージだ。
そこには、巨大な鉄格子の檻が置かれていた。
スポットライトを浴びて、商品として並べられているのは、十数人の獣人族の子供たち。
犬の耳、兎の耳、そして猫の耳。
彼らは全員、手足に重い鉄球を繋がれ、首には魔石が埋め込まれたチョーカーを嵌められている。
恐怖で震える彼らの瞳は、突然の爆音に更に怯え、身を寄せ合っていた。
「ミーシャ……!」
キリルの悲痛な叫びがホールに響く。
檻の最前列、値札を首から下げさせられた黒猫族の少女が、その声に弾かれたように顔を上げた。
栄養失調で痩せこけた頬。艶を失った黒髪。
だが、その瞳には確かにキリルの面影があった。
「兄……ちゃん……?」
少女の声は掠れ、信じられないというように瞬きを繰り返す。
「ようこそ、招かれざるドブネズミ諸君」
ステージの袖から、ゆったりとした拍手の音と共に一人の男が現れた。
恰幅の良い体に、趣味の悪い紫色のスーツを纏った男。
その指には十本の指すべてに宝石のついた指輪が嵌められ、首からは双頭の蛇を模した純金のペンダントが下がっている。
スラムの裏社会を牛耳る『双蛇会』のボス、ゴルゴンだ。
彼は侵入者であるレンたちを見下ろし、蛇のような細い目を不愉快そうに歪めた。
「私の神聖な競売場を土足で汚すとは。……躾のなっていない野良犬は、殺処分するに限るな」
ゴルゴンが指を鳴らすと、ステージの床が開き、そこから二体の巨大な鉄人形――警備用ゴーレムがせり上がってきた。
身長三メートル近い鋼鉄の巨躯。その腕には回転鋸と魔導砲が内蔵されている。
軍の払い下げ品を違法改造した、殺戮兵器だ。
「ヒッ、ヒィィッ! 助けてくれ!」
「怪物だ! 逃げろ!」
客たちがパニックを起こして出口へ殺到しようとするが、鉄扉はすでにレンたちによって破壊され、瓦礫の山で塞がれている。
逃げ場はない。
「騒ぐな、ゴミ共が! ショーの演出だと思え!」
ゴルゴンが怒鳴りつけ、懐から黒いリモコンのような魔導具を取り出した。
それを見た瞬間、キリルの顔色が絶望に染まる。
「そ、それは……!」
「ほう、知っているか泥棒猫。そうだ、これは奴隷たちの首輪の起爆装置だ」
ゴルゴンはニタリと笑い、親指を赤いボタンの上に添えた。
「貴様らが一歩でも動いてみろ。あるいは、私のゴーレムに傷一つでもつけてみろ。その瞬間、この可愛い商品たちの首は胴体とおさらばだ。……花火のように綺麗に散るぞ?」
卑劣な脅迫。
キリルは飛び掛かろうとした足を止め、歯が砕けるほどに悔しさを噛み締めた。
檻の中の子供たちが、死の予感に悲鳴を上げ、ミーシャが震えながら首輪を掴む。
「動くなよ、ドブネズミ。そのままゴーレムの餌になれ。そうすれば、ガキ共の命だけは、商品としての価値がある限り生かしておいてやる」
ゴルゴンが勝ち誇ったように笑う。
ゴーレムたちが重厚な駆動音を響かせ、回転鋸を唸らせながらレンたちへと迫る。
鋼鉄の刃が風を切り、床の絨毯を引き裂いていく。
絶体絶命の状況。
だが、レンだけは、退屈そうにあくびを噛み殺していた。
「……おい、豚野郎。一つ教えてやる」
レンは背負っていた巨大なレンチを地面に突き立て、ゴルゴンを冷めた目で見上げた。
「俺はスクラップ屋だ。壊すことと、直すことのプロだ。……お前みたいな素人が扱うおもちゃで、俺を脅せるとでも思ったか?」
「なんだと? 強がりを……」
「リア。やれ」
レンの短く鋭い命令。
その瞬間、レンの背後に控えていたリアが、音もなく一歩前へ踏み出した。
彼女のバイザーの下、黄金の瞳が極限まで見開かれ、ホール内の魔力密度が一気に跳ね上がる。
「座標固定。術式、逆流開始」
リアの指先から、目に見えない黄金の波紋が放たれた。
それは攻撃魔法ではない。
ゴルゴンの手にある起爆装置と、子供たちの首輪を結ぶ見えない「魔力の糸」を正確に狙い撃ち、その信号を書き換える高度な電子戦だ。
バチバチッ!
ゴルゴンの手元で、黒いリモコンが激しい火花を散らした。
「あつっ!? な、何だ!?」
ゴルゴンが悲鳴を上げてリモコンを取り落とす。
床に落ちた装置は、黒煙を上げてショートし、完全に沈黙した。
同時に、檻の中の子供たちの首輪からも、赤い警告光が消え、カシャリという音と共にロックが解除されて地面に落ちた。
「な、バカな……! 王宮級の暗号化術式だぞ!? それを一瞬で解除しただと!?」
ゴルゴンが目を剥いて狼狽える。
その隙を、レンが見逃すはずがなかった。
「キリル! ゴーレムは俺がやる! お前は妹を迎えに行ってやれ!」
「……合点だニャアアアアッ!」
キリルの全身から、獣の闘気が爆発した。
彼は弾丸のように床を蹴り、迫り来るゴーレムの股下をスライディングで潜り抜ける。
目指すはステージの上、怯える妹の元だ。
残されたレンの目の前には、二体の鋼鉄の巨人が立ちはだかる。
回転鋸がレンの頭上から振り下ろされる。
人間なら一撃で両断される質量と速度。
だが、レンは避けない。
「素材は悪くない。ミスリル合金の装甲に、高出力の魔導エンジンか」
レンは振り下ろされた回転鋸を、あろうことか素手で、正確には掌に魔力を集中させた「接着」の応用技で受け止めた。
ギャギギギギッ!
凄まじい火花が散り、金属同士が擦れ合う甲高い音がホールを劈く。
レンのブーツが床にめり込むが、彼は一歩も退かない。
「だが、組み立てが雑だ。関節の駆動系に遊びがありすぎる」
レンの掌から、青白い光がゴーレムの腕へと侵食していく。
それは破壊ではない。
強制的な「改造」だ。
回転鋸の回転方向を無理やり逆転させ、内部のギアを噛み合わせ、エンジンを暴走させる。
ガガガッ、ボォォン!
ゴーレムの右腕が内部から破裂し、回転鋸が吹き飛んだ。
その破片が、隣にいたもう一体のゴーレムの頭部に突き刺さる。
「さて、リサイクルだ。俺の役に立てよ」
レンはレンチを振るい、動作不良を起こしたゴーレムの脚部を強打した。
打撃と共に流し込まれた魔力が、鉄屑を瞬時に再構築する。
二体のゴーレムは、互いに溶け合うように融合し、巨大な鉄の塊――いや、即席の「鉄球」へと姿を変えた。
「な、なんだそれは……貴様、何をした!?」
ゴルゴンが腰を抜かして後ずさる。
レンは、かつてゴーレムだった巨大な鉄球を、まるで風船のように軽く蹴り転がした。
「言っただろう。俺はスクラップ屋だと」
鉄球がゴロゴロと不気味な音を立ててステージへと転がっていく。
ゴルゴンは悲鳴を上げて逃げようとするが、ステージの壁に追い詰められた。
一方、ステージの上では、キリルが檻の鍵を爪で引き裂き、扉を蹴り開けていた。
「ミーシャ!」
「兄ちゃん!」
飛びついてきた少女を、キリルは力一杯抱きしめた。
その体は軽く、骨が浮くほど痩せている。
キリルの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「ごめんニャ……遅くなって、ごめんニャ……!」
「ううん……来てくれるって、信じてた……!」
再会を喜ぶ兄妹の横を、レンの蹴った鉄球が通過し、ゴルゴンの真横の壁にドォォォンと突き刺さった。
衝撃でステージが揺れ、ゴルゴンは埃まみれになってへたり込む。
あと数センチずれていれば、彼は赤い染みになっていただろう。
「ひぃっ、ひぃぃぃ……!」
レンが、瓦礫を踏みしめながらステージへと上がってくる。
その姿は、ゴルゴンにとって、ゴーレムよりも遥かに恐ろしい死神に見えた。
「た、助けてくれ! 金か? 金ならある! この金庫の中身を全部やる! だから命だけは……!」
ゴルゴンは指輪を外し、財布を投げ出し、必死に命乞いをする。
レンは足元に転がってきた純金のペンダントを拾い上げ、興味なさそうに眺めた。
「金か。悪くないな。俺たちは今、金欠でね」
「だ、だろう!? やる! 全部やるから!」
希望を見出したゴルゴンが顔を輝かせる。
だが、レンは冷酷に告げた。
「商談成立だ。……だが、代金が足りないな」
「は……?」
「お前はここで、何人の子供を売った? 何人の未来を奪った? その対価が、これっぽっちの端金で足りるわけがないだろうが」
レンがペンダントを握り潰す。
クシャリ、と純金が紙のようにひしゃげた。
「キリル。こいつの処遇は、お前に任せる」
レンが道を譲る。
そこには、ミーシャを背に庇い、鋭い爪を剥き出しにしたキリルが立っていた。
その瞳には、もはや慈悲の色はない。
「……ゴルゴン。お前は俺たちの誇りを踏みにじった。ただ殺すだけじゃ生温いニャ」
キリルがゆっくりと歩み寄る。
「お前の自慢の指輪も、服も、金庫の中身も、全部いただくニャ。そして、お前自身は……このまま裸で、スラムの広場に吊るしてやるニャ。お前に恨みを持つ奴らが、朝までたっぷり可愛がってくれるはずだニャ」
「や、やめろ! 私は双蛇会のボスだぞ! 貴族とのコネも……!」
「その貴族たちも、もう逃げた後だニャ」
ホールを見渡せば、客たちはすでに裏口から蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていた。
残されたのは、鉄屑と化したゴーレムと、解放された獣人たち、そして全てを失った裸の王様だけだ。
数時間後。
双蛇会のアジトから、大量の木箱や金袋を積み込んだ荷車が運び出された。
レンたちは、解放された子供たちに食料と衣服を配り、キリルの知り合いの隠れ家へと誘導する。
リベルタ号の格納庫には、かつてないほどの大量の物資と、マフィアが長年貯め込んだ裏金が山積みになっていた。
それは、レンたちが当面の間、王都の追跡をかわしながら旅を続けるには十分すぎる額だった。
そして何より、金貨の山の中には、上層の貴族たちが裏取引に使っていた「顧客名簿」や「招待状」も含まれていた。
レンは、一枚の豪華な招待状を手に取り、ニヤリと笑った。
「『バルデル子爵主催・王都復興支援チャリティー晩餐会』か……。笑わせるぜ。スラムから搾取した金でチャリティーだと?」
招待状の日付は、三日後。
場所は、上層でも一、二を争う高級ホテルだ。
「なぁ、リア、キリル。金も服も手に入った。……次は、少し上品なパーティーに参加してみないか? 俺たちをゴミ扱いした連中に、本物の『品格』ってやつを教えてやろうぜ」
レンの提案に、新しい服に袖を通したリアと、ミーシャの手を引くキリルが、悪戯っぽく、しかし力強く頷いた。
スラムの義賊劇は幕を閉じた。
次なる舞台は、偽りの光に満ちた上層の舞踏会。
そこで待つのは、レンにとって忘れられない因縁の相手たちだ。
復讐と美食のフルコースが、もうすぐ始まろうとしていた。




