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第26話:アイギスの落日

 天空都市アイギスの中心部にそびえ立つ、白亜の王宮。

 その最深部にある円卓会議場「審判の間」には、葬儀場のような重苦しい沈黙と、腐敗した生ゴミを放置した時のような、言いようのない不快な空気が漂っていた。


 豪華絢爛な水晶のシャンデリアが放つ光は、本来ならば王国の繁栄を象徴するものだ。しかし今、その光に照らし出されているのは、王国を動かす最高権力者たちの、青ざめ、歪んだ醜い顔であった。

 窓の外を見れば、いまだに街のあちこちから黒煙が上がり、防衛結界の再構築に奔走する魔導兵たちの怒号がかすかに聞こえてくる。

 だが、円卓に座る高官たちを心の底から震えさせているのは、ワイバーンの襲撃そのものではなかった。


「……信じられん。ありえん。あってはならんことだ」


 声を絞り出したのは、軍部を統括する大将軍であった。

 彼の前には、魔導録画石によって投影された映像が、無慈悲な真実を映し出し続けている。


 そこには、王宮が誇る黄金の結界を紙細工のように引き裂き、圧倒的な機動力で空を駆ける漆黒の異形船、リベルタ号の姿があった。

 そして、その船首で神々しいまでの黄金の輝きを放ち、魔導師団の全魔導回路を「強制初期化」していく一人の少女。

 その瞳の輝きを見るたびに、円卓の老人たちは、自分たちがかつて下した「ある決断」が、心臓に氷の楔を打ち込むような錯覚に陥る。


「オズワルド。貴公は、あの娘を欠陥品だと報告していたはずだ。呪いの子、魔力を乱すだけのゴミ、生体部品としての価値しかない廃棄物……。そう書き連ねた報告書が、私の机には山ほど積まれている!」


 大将軍が、手元の分厚い書類束を円卓に叩きつけた。

 書類が散らばり、その一枚が円卓の中央へと滑っていく。

 そこには、数年前、リアを王宮から追放した際にオズワルドが署名した、非情な除籍勧告書があった。


「だが、この映像を見ろ。彼女が放った干渉波は、我々が三百年かけて構築した最高位の防衛術式を、一瞬でガラクタに変えている。これをゴミと呼ぶなら、我々の持つ魔導杖はすべて焚き付け用の薪にも劣るぞ!」


 一人の賢者が、震える指で映像の中のリアを指差した。

 彼らが呪いと呼び、忌み嫌って路地裏へ放り出した力。

 それが、今や自分たちの喉元に突きつけられた、世界で最も鋭利な死神の鎌であることを、彼らは最悪の形で思い知らされていた。


 その時、会議場の重厚な扉が、乱暴に押し開かれた。

 現れたのは、煤に汚れ、豪華な法衣をぼろ布のように引きずった老人――オズワルドであった。

 脱出ポッドで命からがら生還した彼は、かつての威厳など微塵もなく、ただの哀れな敗残兵に成り果てていた。


「大宰相バルカザール閣下! 皆々様! 聞いてくだされ! あれは、あれは卑怯な罠です! あの出来損ないのリアが、深淵の化け物と契約し、禁忌の術で我々の目を欺いたのです!」


 オズワルドは円卓に縋り付き、泡を飛ばしながら叫んだ。

 失った地位、失った名声、そして何より自分より遥かに高みに至った弟子への、狂気じみた嫉妬。

 それらが混ざり合い、彼の顔をこの世の物とは思えぬほど醜く歪ませている。


「私の主砲は完璧でした! あの娘さえ、あの娘さえ大人しく燃料になっていれば、ワイバーンなど一掃できたのです! すべてはあの裏切り者のせいで……」


「……見苦しいぞ、オズワルド」


 冷徹な声が、会議場に響き渡った。

 円卓の主座に座る、王国の実質的な支配者。大宰相バルカザールが、ゆっくりと顔を上げた。

 彼は手元の銀の鈴を、微かな音も立てずに指先で弄んでいる。


「閣下……?」


「お前の主砲が完璧だっただと? 旗艦オーリオールを失い、魔導師団の精鋭の三割を戦死させ、あろうことか王宮の至宝であった人柱の少女まで奪われた。これ以上の失態が、この歴史上にあると思うのか?」


 バルカザールの鉄色の瞳が、氷のように冷たくオズワルドを射抜く。

 その瞳には、怒りすら浮かんでいない。あるのは、ただ「無能な部品」を切り捨てる際の、淡々とした事務的な冷徹さだけだった。


「魔力欠乏だと喚いていた結界が、あの黒い船が現れた途端に安定した。つまり、お前たちが人柱だの燃料だのと騒いでいたのは、ただ自分たちの無能を隠すための生贄探しだったというわけだ。非効率極まりない、救いようのない損失だ」


「そ、それは……! しかし、あの娘の魔眼は、我々の管理下にあってこそ……」


「管理できていなかったから、あのような怪物を生み出したのだろうが!」


 バルカザールが初めて声を荒らげた。

 その重圧に、オズワルドは言葉を失い、床に這いつくばった。


「貴公の爵位、および筆頭魔導師の称号を剥奪する。全財産は没収し、オーリオール喪失の賠償に充てろ。それと、お前が隠し持っていた裏帳簿もすべて押さえた。人柱にするために孤児を買い叩いていた件、広場での公開処刑には十分な罪状だな」


「な……っ、お待ちを! 私は王国の、王国の発展のために……!」


「連れて行け。このゴミを二度と私の前に出すな。清掃は迅速に行え」


 バルカザールの合図で、近衛兵たちがオズワルドの両腕を掴み、床を引きずるようにして連れ去っていく。

 かつて王都の空を支配した大賢者の、あまりにも惨めで、自業自得な断末魔が、回廊の奥へと消えていった。


 会議場に再び静寂が戻る。

 だが、その静寂は、先ほどよりもさらに深い絶望を含んでいた。

 オズワルドという無能なトカゲの尻尾を切り捨てたところで、眼前の脅威が消えるわけではないことを、全員が理解していたからだ。


「……さて、諸君。問題は次だ」


 バルカザールが、リベルタ号の船長――レンの顔を大写しにした。

 スラムのジャンクパーツを組み合わせたような粗末な服を着て、ニヤリと不敵に笑う青年の姿。


「この男の名は、レン。冒険者ギルドの記録によれば、万年Fランクの、ただのスクラップ拾いだという。信じられるか? 我々が何百年かけて築いた軍事バランスを、下層のゴミ拾い一人がひっくり返したのだ」


 バルカザールは、レンの映像を指先でなぞる。その動作には、敵への憎しみだけでなく、ある種の奇妙な敬意すら混じっているように見えた。


「報告によれば、あの船には追放された騎士団長ガイウス、さらには闇市の毒医者ヴァイスまでが乗っている。すべては、この上層アイギスが不要として、その尊厳を踏みにじり、奈落へ突き落とした者たちだ」


 バルカザールは、円卓に並ぶ老人たちを一人ずつ見渡した。


「皮肉なものだな。我々がゴミ箱へ投げ捨てた残骸が、今や世界で最も恐ろしい軍事力となって、我々の喉元を狙っている。……諸君、我々はリサイクルに失敗したわけだ」


 バルカザールが自嘲気味に笑い、それから表情を消した。


「リベルタ号、および船長レンに、国家反逆罪を適用する。懸賞金は当初の十倍、一千万ゴールドだ。生け捕りは不要。船ごと粉砕し、深淵の底へ沈めろ。アイギスの秩序に、イレギュラーは必要ない」


 その決定に、反対する者は一人もいなかった。

 だが、バルカザールだけは、去りゆく者たちの背中を見送りながら、密かに手元の資料に目を落としていた。


 そこには、レンがこれまで拾い集めてきたガラクタの目録があった。

 誰もが見向きもしない、価値のないとされた残骸。

 それを繋ぎ合わせ、国家を揺るがす要塞に変えた男。


「……面白い男だ。レンと言ったか」


 バルカザールの唇が、微かに、愉悦に歪む。

 秩序の守護者として、このイレギュラーを排除しなければならない。

 しかし、同時に彼は期待していた。

 この完璧に管理された退屈な世界を、あの「ゴミ拾い」がどこまで美しく壊してくれるのかを。


 アイギスの空に、夕闇が迫っていた。

 かつては永遠に続くと信じていた黄金の治世が、音を立てて崩れようとしている。

 下層から這い上がってきた黒い影が、やがてこの白亜の城をすべて飲み込むことを、誰もが予感していた。


 会議場の隅で、一人の若い書記官が、震える手で記録を閉じた。

 その日の日誌の最後には、こう記された。


『本日、我々は真の恐怖を知った。それは深淵から来たのではない。我々自身の足元……我々が捨てたゴミの山の中から、それは生まれたのだ。……大宰相のあの笑みは、獲物を見つけた猛獣のそれであった』


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