第25話:黄金の瞳が見る未来
アイギスの空を覆っていた紅蓮の火柱が、ゆっくりと朝の冷気に溶けていく。
黄金の旗艦オーリオールの残骸は、鉄屑の雨となって雲海の下へと降り注いでいた。
かつて王宮魔導師団の威光を象徴したその輝きは、今や見る影もなく、ただの煤けたゴミとして空を汚している。
リベルタ号の甲板に、静寂が戻る。
レンは、腕の中で意識を失いかけているリアを抱きかかえたまま、立ち尽くしていた。
彼女の頬に刻まれた血の跡が、朝日に照らされて痛々しく光る。
黄金の瞳は閉じられたままだが、その表情には、長年彼女を縛り続けていた強迫観念のような険しさは消えていた。
「レン殿、無事か」
ガイウスが、保護したばかりの少女、ミリィを抱えて歩み寄ってくる。
ミリィは極度の魔力欠乏により昏睡していたが、その胸は確かに上下し、微かな、しかし温かい生命の鼓動を刻んでいた。
「ああ。……ヴァイス、こいつらを頼む」
レンの声に応え、医務室からヴァイスが足早に現れた。
彼は無言でリアの脈を取り、瞳孔の状態を確認すると、短く鼻を鳴らした。
「……馬鹿な娘だ。脳が炭になってもおかしくない負荷だぞ。……だが安心しろ、船長。私の劇薬を甘く見るな。後遺症の一行も残さず、元の綺麗な目に直してやる」
ヴァイスは手際よく二人をストレッチャーに乗せ、船内へと運び込んでいく。
去り際、彼は一瞬だけ足を止め、炎上する空を見渡した。
「倫理を捨てた賢者の末路か。……救いようのない、不潔な結末だな」
彼が吐き捨てた視線の先では、大破したオーリオールの脱出ポッドにしがみつき、魔力を失って醜く叫ぶオズワルドの姿があった。
権力も、名声も、そして自慢の魔力すらも失い、ただの無力な老いぼれとして空に放り出された男。
彼を救おうとする僚艦は一隻としてなかった。
組織という名の虚飾が剥がれ落ちた後に残ったのは、誰からも顧みられない、真の意味での廃棄物だった。
「レンさん……」
数時間後。
柔らかい午後の光が差し込む医務室で、リアがゆっくりと目を覚ました。
視界を覆っていた包帯が取り除かれ、黄金の瞳が再び世界を捉える。
「気がついたか」
傍らの椅子に座っていたレンが、そっけなく声をかける。
レンの手には、接着剤で補修されたばかりのリアのバイザーがあった。
「私……ミリィは……?」
「あっちのベッドで寝てる。ヴァイスのスープを飲ませたら、さっきまでお前の名前を呼んで泣いてたぞ。今は疲れ果てて眠ってるがな」
リアは、隣のベッドで安らかな寝息を立てる小さな影を見て、溢れ出そうになる涙を必死に堪えた。
守れた。
自分のこの忌まわしいはずの瞳で、世界で一番大切なものを、今度こそ守り抜くことができた。
「……レンさん、私……」
リアは、シーツを握りしめる震える手を見つめた。
「怖かったんです。ずっと、独りぼっちで……いつか本当に捨てられるのが、怖くて。だから、役に立たなきゃいけない、何でも言うことを聞かなきゃいけないって、そればかり考えて……」
震える声が、静かな部屋に響く。
「でも、レンさんは私を抱きしめてくれました。壊れてもいいなんて言った私を、叱ってくれました。……あんな風に、私を私として見てくれた人は、今まで一人もいませんでした」
リアはベッドから起き上がり、レンの前に膝をついた。
そして、深々と頭を下げる。
「私はもう、先生の道具じゃありません。……レンさん。私は、あなたの船の航海士です。この目が光を失うその日まで、あなたが見る未来の、一番先を照らし続けたい。……私を、これからもこの船に置いていただけますか?」
レンはしばらく沈黙し、それから乱暴にリアの頭を撫で回した。
「当たり前だ。お前がいなきゃ、この船はただの空飛ぶゴミ捨て場だ。……俺の計画には、最高のレーダーが必要なんだよ。死ぬまでこき使ってやるから覚悟しろ」
レンの不器用な、しかし確固たる信頼の言葉。
リアは顔を上げ、涙に濡れた顔で、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。
それは、彼女が生まれて初めて見せた、心の底からの自由な笑顔だった。
「はいっ!」
甲板に出ると、清々しい風が吹き抜けた。
キリルが帆の上で昼寝をし、ガイウスが黙々と剣を磨いている。
ヴァイスは新しい素材の実験に没頭し、不気味な笑い声を上げている。
かつてのリアを縛っていた、冷たい王宮の石壁はもうどこにもない。
あるのは、鉄とオイルの匂いがする、騒がしくて温かい、自分たちの居場所だけだ。
リベルタ号は、朝焼けに染まる雲海を切り裂き、次なる航路へと機首を向けた。
黄金の瞳が見据える先には、まだ誰も見たことのない、自由な空がどこまでも広がっていた。
一人の魔女が救われ、一人の賢者が堕ちた。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
Fランクの船長と、そのクルーたちが織りなす再生の物語は、ここからさらに加速していく。




