第23話:魔導艦隊、沈黙せず
空を焼き払うような、不浄な紅蓮が視界を埋め尽くしていた。
リベルタ号が到達した王都アイギスの上空は、もはやかつての優雅な天空都市の面影を留めていない。
数百体ものワイバーンが黒雲のように空を埋め尽くし、逃げ惑う民衆を無慈悲に引き裂いている。
それに応戦する王宮魔導師団の艦隊は、崩れゆく防衛結界を維持しようと必死の防戦を繰り広げているが、その陣形はあまりにも脆い。
だが、リベルタ号はその戦火の只中にありながら、誰にも気づかれることなく静かに滑空していた。
ヴァイスが独自に調合した銀色の魔素中和溶剤と、リアの魔眼が描き出す屈折光。
二つの異能が重なり合い、漆黒の船体は完璧に背景へと同化し、死神のように空を這う。
「……あれが、王宮魔導師団の旗艦か」
レンが、窓の外、艦隊の最奥に鎮座する巨影を指さした。
巨大な金色の船体を持つ魔導戦艦オーリオール。
王都を守る盾として作られたはずのその船は、今や周囲の僚艦から魔力を吸い取り、自分だけを黄金の光で包み込んでいた。
その船首には、一人の老人が立っている。
筆頭魔導師オズワルド。
かつてリアの才能を見出し、そしてゴミとして路地裏に放り出した男だ。
彼は血に染まる王都を見下ろしながら、恍惚とした表情で杖を掲げていた。
「レンさん、見てください……あの船の中央、魔力の渦が……おかしいです」
バイザー越しに敵艦を睨むリアの声が、小刻みに震えていた。
恐怖ではない。それは、魂の底から噴き出す、どろりとした怒りだった。
リアの黄金の瞳は、オーリオールの心臓部に据えられた、異様な光景を捉えていた。
そこには、巨大な水晶のカプセルが鎮座している。
その中に閉じ込められているのは、一人の少女だった。
リアよりもずっと幼い、十歳にも満たない少女。
かつてリアが忌み子として疎まれていた魔導院で、唯一彼女をリアお姉ちゃんと慕い、その服の裾を握って離さなかった後輩、ミリィだ。
「ミリィ……どうして……あの子が、あそこに」
リアの脳裏に、古い記憶が蘇る。
暗い図書室の隅、泣いていたリアの手に、温かいクッキーを握らせてくれた小さな手。
お姉ちゃんの目は、お星様みたいに綺麗だよ、と笑ってくれた、たった一人の理解者。
そのミリィが今、無数の魔力抽出管を全身に突き刺され、絶叫を上げている。
防音魔法で外には漏れていないが、リアの魔眼には、彼女の魂が、魔力という名の燃料として一滴残らず搾り取られていく様が克明に見えた。
少女の肌は魔力の剥離によって白く透き通り、瞳からは光が失われようとしている。
『ははは! 素晴らしい! この純度、この輝き! これだ、これこそが私が求めていた真の魔力源だ!』
オズワルドの声が、拡声魔法によって空に響き渡る。
彼は眼下の王都を救うためではなく、ただ自身の最強魔法を発動し、歴史に名を刻むことしか考えていない。
『あの欠陥品、リアなどとは比べ物にならん! あの娘はただのゴミだったが、このミリィは極上の薪だ! 見ろ、私の魔法が、世界を焼き尽くす輝きを得ていくぞ!』
オズワルドが杖を振り上げると、カプセルの中のミリィが大きくのけ反り、身体を激しく痙攣させた。
抽出の負荷により、彼女の髪がみるみるうちに白銀へと変わっていく。
「……許さない」
リベルタ号の操舵室に、氷点下の冷気が走った。
リアの足元から、黄金のオーラが爆発的に噴き出し、床の鉄板が歪む。
彼女の瞳から流れる魔力は、もはやバイザーでは抑えきれないほどの質量を持っていた。
「あいつだけは……あいつらだけは、絶対に許さないッ!」
その叫びと共に、ヴァイスの迷彩煙が内側からの熱量で一気に霧散した。
空の一角が突如として歪み、そこから異形の漆黒戦艦が姿を現す。
「おい、医者。あのカプセルの娘、まだ助かるか?」
レンが、背後で冷静に分析を続けていたヴァイスに問う。
ヴァイスは眼鏡を光らせ、手元のモニターを指先で弾いた。
「魔力回路の八割が損傷している。だが、心臓が止まる前なら、私の劇薬で強引に繋ぎ止めることは可能だ。……ただし、あそこに一分以内に到達できればの話だがな」
「一分か。……上等だ」
レンがニヤリと笑った。
その笑みは、救世主のそれではない。獲物の喉笛を食い破る直前の、凶悪な獣のそれだった。
「キリル、最大戦速。エンジンのリミッターを外せ。船が空中分解しても構わん、あの黄金の船の横っ腹に突き立てろ!」
「了解ニャ! 振り落とされるニャよ、野郎ども!」
キリルが操舵レバーを叩き折らんばかりに押し込む。
深淵結晶を燃焼させる黒い炎がエンジンから噴き出し、リベルタ号は重力という概念を置き去りにして加速した。
「ガイウス、甲板に出ろ。障害物はすべて斬り伏せろ」
「……御意、レン殿」
ガイウスが魔剣を抜き放ち、甲板へと飛び出す。
接近を察知したオーリオールの護衛艦隊が、次々と火球を放ってくるが、ガイウスはその巨剣を一振りするだけで、魔法の爆炎を両断し、道を切り開いた。
「リア、照準を合わせろ」
レンの声が、激情に呑まれそうになっていたリアの意識を繋ぎ止める。
「いいか、リア。あいつは言ったな。お前をゴミだと。……なら、見せてやれ。ゴミ捨て場の底から這い上がってきた魔女が、どんな悪夢を見せるのかを」
リアは、奥歯が砕けるほどに噛み締めた。
黄金の瞳から一筋の血が流れるが、彼女は瞬きすらしない。
その視界には、オーリオールの魔力回路、オズワルドの杖、そしてミリィを縛り付ける術式。すべてが解体すべき部品として赤く強調されていた。
「照準、完了。……魔力干渉、開始……!」
リアの指先が虚空をなぞる。
リベルタ号の船首から放たれたのは、破壊の光ではない。
敵の魔法体系そのものを根底から崩壊させる、黄金のノイズだった。
アイギスの空に、今、かつてない断末魔が響き渡ろうとしていた。
次は
1/14 20時公開予定です。




