第21話:スラムの劇薬師
リベルタ号の船内は、焦げた絶縁材の鼻を突く臭いと、リアの荒い呼吸音に支配されていた。
魔眼の暴走により熱を発したリアの身体を、ガイウスが氷魔法の残滓を詰めた布で冷やし続けている。
だが、その表情は険しい。
「レン殿、猶予はないぞ。彼女の魔力回路が、内側から焼き切れようとしている」
ガイウスの言葉を背に受け、レンは無言で操舵レバーを限界まで押し込んだ。
損傷した推進器が悲鳴を上げ、船体が激しく震えるが、止まるわけにはいかない。
目指す場所は一つ。スラム北区、あの毒々しい紫煙が立ち昇るテントだ。
ドォォォォォン。
リベルタ号が、闇市の入り口にあるスクラップの山を強引に跳ね飛ばして着艦した。
タラップが降りきるよりも早く、レンはリアを抱きかかえて飛び出す。
「キリル、案内しろ」
「わ、わかったニャ。こっちだニャ」
人混みをかき分け、レンたちは紫色の煙が立ち込めるテントへと突っ込んだ。
中では、ボサボサの髪をした男――ヴァイスが、相変わらず手元のフラスコを揺らしていた。
「……騒がしいな。営業時間は終わったと言ったはずだ。死に損ないなら、あそこの穴にでも入っていろ」
「黙って診ろ。このままじゃ、この娘の目が死ぬ」
レンが、リアを診察台代わりの汚れたテーブルに横たえる。
ヴァイスは不機嫌そうに眼鏡を光らせたが、リアのバイザーから漏れ出る異常な魔力残滓を見た瞬間、その指先が止まった。
「……ほう。面白いな」
ヴァイスは手際よくリアの瞼をめくり、小型の魔導ランプで黄金の瞳を照らした。
その視線は医師というより、解体新書を読み解く学者のそれだった。
「魔力の逆流。外部演算器との強制同期による脳への過負荷だ。お前、この娘をなんだと思っている? これはただの人間だぞ。この出力で回し続ければ、一時間以内に廃人だ」
「だからここへ来た。お前なら治せる。……違うか?」
ヴァイスは冷笑し、フラスコを置いた。
「治せるさ。だが、対価が足りない。私がこのスラムで安穏と暮らすために必要な薬を捨て、こんな厄介な症例に首を突っ込むだけの理由がな」
ヴァイスはライフルを引き寄せ、銃口をレンに向けた。
その目は、金や地位で動く男の目ではない。
「私を買い叩けると思うなよ、よそ者。私は王宮の倫理観に反吐が出てここへ来た。同じような支配者の真似事をするなら、今すぐその娘を連れて出て行け」
レンは、ライフルの銃口を指先で軽く押し下げた。
そして、ポケットから「それ」を取り出した。
黒く、脈打つような光を放つ肉塊。深淵で採取した『深淵龍の心臓』の欠片だ。
瞬間、ヴァイスの呼吸が止まった。
「これは……まさか、現存しないはずの……」
「深淵の深部。地上には一滴も出回っていない未知の検体だ」
レンはヴァイスの顔に、その黒い肉塊を近づけた。
「俺の船に乗れ、ヴァイス。お前が王宮を追われた理由は知らん。だが、あそこには『答え』がなかったんだろう? 俺の船には、お前のような狂人が一生かけても解析しきれないほどのゴミ……いや、お宝が山ほど眠っている」
レンの言葉に、ヴァイスの喉がゴクリと鳴った。
知識への渇望。地上の常識では測れない未知への誘惑。
レンは、この男の最も飢えている部分を正確に射抜いた。
「この娘を救え。そうすれば、あの船にあるすべての未知の素材を、お前の好きに使わせてやる。……王宮のしがらみも、倫理も、俺の船には存在しない」
ヴァイスはしばらく沈黙し、それから低く、狂気を含んだ笑い声を上げた。
「……ふん。交渉成立だ。ただし、私を失望させれば、寝首を掻いて船ごと素材を奪わせてもらうぞ」
ヴァイスは迷いなく緑色の液体の瓶を手に取り、注射器をリアの首筋へ突き立てた。
劇薬の投入。
リアの身体が一度だけ大きく跳ね、直後、黄金の瞳から溢れていた魔力の光が、穏やかな輝きへと収束していった。
浅かった呼吸が、次第に深く、静かなものに変わっていく。
「山は越えた。あとは、私が調合する薬膳スープでも飲ませて寝かせておけ」
ヴァイスは白衣の袖で額の汗を拭い、すでに次の実験――レンが渡した深淵の肉塊――に目を輝かせている。
レンは、安らかな寝息を立て始めたリアを見て、ようやく肩の力を抜いた。
仲間にしたのではない。
この男は、もっと厄介で、もっと強固な『利益』という鎖で繋がれた共犯者だ。
こうして、リベルタ号に5人目のクルーが加わった。
冷徹な知識と、死を回避する腕。
魔女を救い、王都を射抜くための最後から二番目のピースだ。




