第17話:Fランクの捕鼠り
金属が擦れる微かな音。
獣のような、独特の呼吸音。
レンとガイウスは足音を殺し、船内通路を進んでいた。
リアの報告通りなら、侵入者は第2デッキ――資材置き場にいる。そこには、先日スラムのゴロツキどもから巻き上げた鉄クズや、深淵で拾ったガラクタが山積みになっていた。
盗むなら金目の物にしろよ。なんでゴミ捨て場を漁ってやがる。
レンは内心で毒づきながら、通路の角からそっと中の様子を覗き込んだ。
いた。
月明かりが差し込む窓枠の上に、小さな影が蹲っている。
身長は150センチほどか。ボロボロのフードを目深に被っているが、その隙間からピンと立った三角形の耳と、腰元で揺れるしなやかな尻尾が見えた。
猫人族。
亜人の中でもトップクラスの俊敏性を誇る種族だ。
影は、レンが分類用にとっておいた深淵蟹の甲殻を、興味深そうに爪で突っついている。
「……硬いニャ。でも、これなら良い値がつきそう……」
鈴を転がすような声で独り言を漏らす。
レンはガイウスに目配せを送った。
ガイウスが頷き、音もなく剣の柄に手をかける。
3、2、1。
「動くな!」
ガイウスが踏み込み、一気に距離を詰める。
元騎士団長の踏み込みは、鎧の重さを感じさせないほど鋭い。普通の盗賊なら、反応する間もなく取り押さえられていたはずだ。
だが。
「ニャッ!?」
侵入者は、弾かれたように天井へと跳ねた。
まるで重力がないかのような挙動。彼女はそのまま天井の梁に爪を立て、逆さまの状態で二人を見下ろした。
「危ないニャあ……。いきなり斬りかかってくるなんて、野蛮人かニャ?」
フードがずり落ち、露わになったのは、褐色の肌に金色の瞳を持つ少女の顔だった。
生意気そうな八重歯が覗いている。
「人の家で勝手に品定めしてる泥棒猫が、何言ってやがる」
レンが冷たく言い放つと、少女はケラケラと笑った。
「泥棒じゃないニャ。私はキリル。ただの通りすがりのトレジャーハンターだニャ!」
「それを泥棒と言うんだ」
「うるさいニャ! ここはもう用済みだ、あばよ!」
キリルと名乗った少女が、梁を蹴った。
速い。
視界から消えるほどの加速。彼女は開いていた天窓へ向かって、一直線に飛び出した。
「逃がすか!」
ガイウスが剣を振るうが、空を切る。
機動力が違いすぎる。重戦士のガイウスでは、あの猫には追いつけない。
だが、レンは動かなかった。
ただ、ニヤリと口の端を吊り上げ、指先でパチンと音を鳴らしただけだ。
そこは、俺の腹の中だぞ。
キリルが天窓を抜けようとした、その瞬間。
バチンッ!!
窓枠に塗られていた琥珀色の液体が、強烈な粘着性を発揮した。
レンが補修用に使っていた粘着樹液だ。
まだ乾いていないそれを、レンはわざと窓枠に残しておいたのだ。
「ニャアアアッ!?」
悲鳴が上がる。
キリルの手足が窓枠に張り付き、動けなくなる。
焦って暴れれば暴れるほど、蜘蛛の巣にかかった蝶のように、樹液が全身に絡みついていく。
「な、なんニャこれ!? 取れないニャ!? ベタベタして気持ち悪いニャアアア!」
「強力な接着剤だ。深淵の波にも耐えるシロモノだぞ。水で洗ったくらいじゃ落ちない」
レンはゆっくりと、窓枠でもがいている猫娘の下へと歩み寄った。
「くっ、放せ! この変態! ネバネバ男!」
「人聞きが悪いな。勝手に引っかかったのはお前だろ」
レンは彼女の目の前で立ち止まり、その顔を覗き込んだ。
近くで見ると、痩せているのがわかる。頬はこけ、腕も細い。
スラムの過酷な生活が滲み出ていた。
「……目的はなんだ。金か? それとも食い物か?」
「ふん! 誰が教えるかニャ!」
キリルは威勢よく睨み返してくる。
だが、その言葉とは裏腹に、彼女の腹の虫がグゥゥゥゥと盛大に鳴り響いた。
沈黙が落ちる。
キリルの顔が、褐色肌でもわかるほど真っ赤に染まった。
「……腹、減ってんのか」
「う、うるさいニャ! 武士は食わねど高楊枝だニャ!」
「武士ってなんだよ」
レンは呆れてため息をついた。
どうやらこのこそ泥、思った以上にポンコツらしい。
だが、その機動力は本物だ。
ガイウスですら反応できない速度。そして、垂直な壁や天井を足場にする身軽さ。
もしこいつが味方になれば、今のリベルタ号に足りない手足になる。
レンはポケットから、非常食として持っていた干し肉を取り出した。
深淵鮫の肉を燻製にしたものだ。見た目は悪いが、栄養価と味は保証する。
ヒクヒク。
キリルの鼻が動いた。
金色の瞳が、干し肉に釘付けになる。
「……なんだニャ、それ。すっごく良い匂いがするニャ……」
「食うか?」
レンが目の前で振ってみせると、彼女の目が猫のように細まった。
唾を飲み込む音が聞こえる。
「……毒入りじゃないだろうニャ?」
「さっきのスラムのスープよりはマシだろ」
レンは干し肉をちぎり、彼女の口元へ差し出した。
キリルは一瞬躊躇したが、空腹には勝てなかったらしい。
ガブッ、とレンの指ごと食いついた。
「んむッ……!?」
咀嚼する。
その瞬間、彼女の瞳が見開かれた。
「んまーーーいッ!!」
キリルが叫んだ。
「ニャんだこれ!? 脂が甘いニャ! 噛めば噛むほど味が染み出してくるニャ!」
「深淵産の高級食材だ。そこらへんのドブネズミとはわけが違う」
レンは樹液を溶かすための中和液を布に染み込ませ、彼女の手足を拭いてやった。
拘束が解ける。
だがキリルは逃げようとせず、レンの手にある残りの干し肉を物欲しそうに見つめていた。
落ちたな。
レンはニヤリと笑い、干し肉を高く掲げた。
「もっと食いたいか?」
「く、食いたいニャ! よこすニャ!」
「なら、働け」
レンは冷徹な雇用主の顔で告げた。
「俺の船には、ただ飯食らいを置く余裕はない。この肉が食いたきゃ、その自慢の足で俺の役に立て」
キリルは一瞬、迷うように視線を泳がせた。
自由を愛する野良猫としてのプライド。
だが、目の前の極上の肉と、この奇妙な船の居心地の良さが、彼女の本能を揺さぶっていた。
「……わかったニャ」
キリルはふてくされたように、しかし力強く頷いた。
「契約成立だニャ。でも勘違いするなよ、私は雇われだニャ。嫌になったらすぐに逃げ出すからニャ!」
「構わん。逃げられるもんならな」
レンは残りの肉を彼女に放り投げた。
キリルはそれを空中で華麗にキャッチし、大事そうに抱え込んだ。
こうして、リベルタ号に新しい手足が加わった。
ただし、今のところは餌付けされた野良猫に過ぎない。
彼女が本当の仲間になるには、まだ少し時間がかかりそうだ。




