15. 庭先で対峙する魔王と天上の歌姫
サザンクロス・フェスティバル本番が迫りつつある、ある日の午後。
タケルとガルドは観光協会での話し合いと会場設営の手伝い、レオンとセレイナは機材の調整に出かけている。
一人残ったヴァルガンは誰もいないコテージの庭で、ただひたすらにタオルを回していた。
「……フンッ! フンッ!」
灼熱の太陽の下、アロハシャツとサングラスという出で立ちの巨漢が真剣な顔でタオルを振り回す。
側から見れば奇行以外の何物でもない。だが、彼にとっては至極真面目な鍛錬だった。
(タケルが言っていた手首のスナップと、遠心力を利用したタオルの軌道……。意外と奥が深いな)
勝負曲『サマー・スプラッシュ!』のための振り付け練習だ。
これまでとは真逆の、陽気で開放的なモーション。筋肉の使い方が根本的に違うため、無意識にできるよう身体に染み込ませるための反復練習が必要だった。
「口角を上げ、あえて隙を見せるような快活さを演出する……」
ヴァルガンは鏡代わりの窓ガラスに向かって、笑う練習をする。
この笑顔も繰り返すうちに様になってきた。戦場で見せる獰猛な笑みではなく、バカンスを楽しむ男の笑みへ。
タケルと出会ったばかりの頃、恐怖のスマイルと言われたのに比べたら凄まじいほどの進化だ。
「──随分と可愛らしい特訓をされてるんですね」
突然の声にヴァルガンがピクリと眉を動かし、視線を向ける。
コテージの柵の向こう、木陰に一人の少女が立っていた。
特徴的な黒縁眼鏡。今日はシンプルなつば広ハットとワンピースという涼し気な格好をしている、地味な少女──エトルだ。
「……貴様か。何の用だ」
ヴァルガンはタオルを肩にかけ、警戒心を隠さない態度で尋ねた。
彼女は眼鏡の位置を直しながら柵の扉を開け、庭に入ってくる。
「この島に面白い新人さんがいないか、ちょっと散策していたんです。そしたら、偶然姿を見かけたのでつい」
「ほう。暇人め」
「市場調査と言ってください」
エトルはにこやかに笑い、ヴァルガンの目の前まで歩み寄った。
二人の身長差はかなりのもの。しかし、彼女は見上げているにも関わらず、精神的には対等……いや、見下ろしているかのような余裕を漂わせていた。
「それにしても、意外でした。あのヴァルガンさんが、こんな汗だくになってタオル回しの練習だなんて」
「笑いたければ笑うがいい。勝利のためなら泥臭い準備も厭わんのが我の流儀だ」
「いえ、むしろ感心しました。見えないところでの努力。それこそがプロフェッショナルというものですから」
その言葉の重み。ただのアイドルオタクが発するものではない。
ヴァルガンはサングラスをずらし、彼女を睨みつける。
「で、いつまでその芝居を続けるつもりだ?」
「……何のことです?」
「タケルや他の有象無象は騙せても、我の目は誤魔化せんぞ──ステラ」
その名を口にした瞬間、周囲の空気が凍りついたような静けさが訪れた。
時間さえ止まったような錯覚。エトルは動じることなく、にっこりと微笑んだ。
「あらら、やっぱりバレてたんですね。まあ、以前ステラとしてご挨拶した時にそんな感じはしてましたけど」
「その膨大な魔力、隠蔽魔法で抑え込んでいるようだが……漏れ出る覇気までは消せていないぞ」
「そうですか? この変装を見破られたのは初めてなので、完璧だったと思いますけど」
ステラであることをあっさり認め、彼女は優雅に微笑む。
その笑顔は、テレビやステージで見せる完璧なアイドルスマイルではない。好敵手を前にした、武人のような鋭さを秘めたもの。
「わざわざ変装してまで、敵情視察か?」
「まさか。フェスとは関係ない、別のお仕事で島に来ていたんです。ちょっと空き時間ができたので、お散歩していたら……面白いものが見えたので」
「フン。今はそんな皮、必要あるまい。剥いでやるとしよう」
ヴァルガンは右手を上げた。
指先に魔力を集中させる。攻撃魔法ではない、彼女にかかっている認識阻害の魔法を強制的に解除する『解呪』の術式だ。
パチンッ!
ヴァルガンが指を鳴らすと同時に、不可視の魔力波がステラを襲った。普通の魔法使いなら抵抗する間もなく術を解かれ、素顔を晒すことになるだろう。
ところが──
キィィィィン……!
ステラの身体の寸前で、魔力波が弾け飛んだ。
彼女の周囲に、虹色に輝く薄い膜──最高位の『絶対魔法障壁』が瞬時に展開されたのだ。
「……ほう」
ヴァルガンが感嘆の声を漏らす。
詠唱も予備動作もない。ただ「弾く」という意志だけで、魔王の解呪を防ぎきったのだ。
「もう。女の子にそんなことするの、マナー違反ですよ?」
ステラは涼しい顔で防御壁を霧散させた。
魔王の魔法をノータイムで打ち消すなど、魔力の消耗量も大きいはず。なのに、息一つ乱れていない。この程度、彼女にとっては呼吸するのと同じくらい自然に使えるのだ。
「防御魔法とはやるではないか。しかも、無意識で展開したな」
「アイドルとしての嗜みです。いつカメラマンや不審者に狙われるかわかりませんからね。お忍び中にうっかり解呪されたら、間違いなく大騒動ですし?」
ステラはこともなげに言うが、その魔力制御は神業の域だ。
攻撃を防ぐだけでなく周囲への余波すら完全に殺していた。もし魔法の専門家がここに来たとしても、魔王レベルの存在による魔法戦が行われたことなど気付かないだろう。
「面白い。やはり貴様、ただ歌って踊るだけの愛玩人形ではないな」
「当然です。頂点に立つというのは、誰よりも強くあるということですから」
ステラは一歩、ヴァルガンに近づいた。
身長差は歴然としているが、存在感の大きさにおいては拮抗していた。
「せっかくですし、少し見てあげましょうか?」
「む?」
「レッスンですよ。今のままだと曲の軽快なリズムに置いていかれちゃいます。もっと力を抜いて、音の波に乗らないと」
ステラは落ちていた木の枝を拾い上げ、指揮棒のように振った。
「……敵に塩を送るつもりか?」
「んー、その認識はちょっと違いますね。私はアイドルが成長する姿を見るのが楽しいし、大好きなんです」
ステラはハットを地面に置き、ステップを踏んで見せた。
簡単な動きだが重力を感じさせない軽やかさがあり、実力の高さがうかがえる。
「フェスは理屈じゃありません。頭を空っぽにして、本能で楽しませる。もっと仕上げないと、お客さんは振り向きませんよ?」
「……」
普通なら「ふざけるな」と撥ね退けるところだろう。
ところが、ヴァルガンはタオルを握り直した。
「よかろう、具体的に教えろ」
「あれ? 意外ですね。断るかと思ってました」
「頂点を目指すなら優れた技術を徴収し、糧とするのも務め。トップに君臨する貴様の技、盗み尽くしてやるまでよ」
「あはは! 盗めるものなら、どうぞ?」
*
「違います。そこは腰を入れずに、膝でリズムを刻むんです」
「ぬぅ……こうか?」
「もっと軽く。地面を蹴るのではなく、そのステップはつま先でトンと」
コテージの庭で、奇妙なレッスンが始まった。指導するのは業界トップのアイドル、生徒は魔王。
ステラの教え方は的確で、なぜそうするのかという筋が通っていた。ヴァルガンの身体的特徴──規格外の筋力と体幹──を理解した上で、それをどう「軽やかさ」に変換するかを具体的に指示する。
「貴方の筋肉は剛剣です。でも、その曲に必要なのは細剣のようなしなやかさ。力の出力を一割に抑えつつインパクトの瞬間だけ解放し、アクセントにする……わかりますか?」
「魔力制御と同じ要領か。……ふんッ!」
ヴァルガンがステップを踏む。
先ほどまでのドシドシとした重い音ではなく、タンッ! と乾いた音が響く。
「そうです。その感覚を忘れないでください」
「なるほど……。無駄な力を排することで、逆にキレが増すとはな」
教わったことを貪欲に吸収していく。
より高みへ登るためなら、誰からであろうと学ぶ。魔王として、アイドルとして輝きを放つため。
「ターンからの決めポーズ、視線は指先の延長線上。遠くの客席を射抜くイメージで!」
「そこだッ!」
ビシッ!
ヴァルガンがポーズを決める。
その姿には、迷いもぎこちなさもなかった。アロハシャツが風にはためき、サングラス越しでもわかる強烈な目力が空間を支配する。
「うん、とってもいい感じです」
嬉しそうにパチパチと拍手をするステラ。
その手つきには、社交辞令ではない本心からの賞賛が込められていた。
「教えたことを自分のものにしていく吸収力。やはり、素晴らしい才能の持ち主ですね」
「フン、当然だ」
短時間だったが、得られたものは大きい。
身体の中に新しい回路が開通したような気がする、ヴァルガンは汗を拭いながらそう感じていた。
「礼は言っておこう、ステラ。いずれ貴様を叩き潰す相手を鍛えたこと、後悔しなければよいがな」
「この見た目の私は『エトル』なので、他の人がいる前でその呼び方は控えてくださいね?」
そう言ってから、ステラはチラリと腕時計を見た。
「そろそろ戻る時間なので、これで失礼します。次のステージ、楽しみにしていますよ。私の想像を超えてみせてくださいね、ヴァルガンさん」
ステラは悪戯っぽくウインクし、瞬きする間に姿を消した。
魔法による転移か、それとも高速移動か。風のように現れ、風のように去っていった。
「……食えん女だ」
一人残されたヴァルガンは、自分の手を見つめた。
指先に残る感覚。身体の使い方のコツ。ここまで教える理由は──
(対等な相手を求めている、か。贅沢な悩みよ)
絶対王者ゆえ、自分と渡り合える存在がいない退屈。
それを埋めるために、彼女は魔王を育てようとしているのかもしれない。
「よかろう。ならば、退屈などと言えぬくらい最強になってやろうではないか」




