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13. 天才作曲家と南国のリズム、それと酒

 南国特有の湿気を帯びた風が、肌にまとわりつく。

 観光客たちはその暑ささえも楽しむようにビーチへと繰り出しているが、路地裏を歩く二人の男にとっては、ただの苦行でしかない。


「暑い。帰る。酒飲ませろ」

「ダメです。まだ十分も歩いてないですよ、レオンさん」


 ダルそうに歩くレオンの背中を、タケルが必死に押している。

 レオンはリゾート地らしい少しラフな開襟シャツを着ているが、猫背と不機嫌そうなオーラは相変わらずである。


「なんで俺が……。曲なら前に作ったストックも一応あるだろーが」

「それじゃダメなんです! 今回の相手はエリオですよ? ただいい曲を歌うだけじゃ、あの過激なファンサ合戦には勝てません」


 タケルは汗を拭いながら力説した。

 エリオの戦略は明確だ。わかりやすい刺激と快楽、そこにヴァルガンをパクった要素を乗っけて味付けを濃くするというもの。

 対するヴァルガンの持ち歌は、重厚でドラマチックなものが多い。もちろんそれは素晴らしい武器だが、今の浮かれた空気の中では「重すぎる」と感じられる恐れがあった。


「ヴァルガンの良さを消さずに、でもこの島の空気に合う何かが必要なんです。いつもの路線をあえて外すような、新鮮なインパクトが!」

「新鮮さねぇ……。言うは易しだがな」


 レオンは気だるげに頭をガシガシとかいた。

 文句を言いつつも、彼の目にはクリエイター特有の鋭い光が宿っている。彼自身、現状の手札だけで勝てるとは思っていないのだ。


「俺だって考えてんだぞ。けど、欲しいと言われて新しいメロディがすぐ降りるわけねーだろ。必要なのは刺激だ、具体的にはアルコール」

「だからっていきなり飲もうとしないでください! まずはインプットですよ、インプット!」


 タケルはレオンを引っ張り、メインストリートから一本入った通りへと進んでいく。向かうのは観光客向けの煌びやかな店ではなく、地元の住民たちが集うローカルなエリアだ。


 *


 地元民が使う市場のような場所に出ると、独特の喧騒と香辛料の匂いが漂ってきた。そして何より、タケルの耳を引いたのは音楽だ。初日に港で聴いたものとはまた違う、より土着的で体が勝手に動き出しそうなリズム。


 ポコポコ、カッカッ。ジャン、ジャカジャン……。


「……ん?」


 それまでダルそうな目をしていたレオンが、その音に反応して足を止めた。


「おいタケル。あれ、聞こえるか?」

「なんだか、不思議なリズムですね。太鼓……かな?」

「裏拍の取り方が独特だ。それに、あの弦の音……チューニングが少しズレてるように聞こえるが、この島独自の調整だったりすんのか?」


 レオンの顔つきが変わった。音楽家の顔だ。

 彼は音のする方へ吸い寄せられるように早足で歩き出す。タケルも慌ててその後を追った。


 辿り着いた広場の木陰で、数人の地元民が楽器を奏でていた。

 ひょうたんのような形をした打楽器、三本の弦が張られたギターのような楽器、そして木材で作られた笛。楽譜が用意されてるわけでもなく、彼らは互いの目配せだけでセッションを楽しんでいる。


「へぇ……」


 口元に手を当て、レオンは真剣な眼差しで彼らの指使いを見つめた。


「拍のアクセントが面白いな。三連符の刻み方で、思わず体が動くような感覚になる。……おい、あんたたち!」


 レオンがいきなり演奏者たちに声をかけた。

 タケルは「失礼なこと言うんじゃないか」とヒヤリとしたが、彼の口調は意外にも素直な好奇心に溢れていた。


「その楽器、ちょっと触らせてくんねーか? あと、そのリズムの刻み方はどうやってんだ?」


 唐突な申し出に地元民たちは驚いたようだが、レオンが即興で手拍子を合わせて彼らのセッションに完璧に割り込んで見せると、その表情が一変した。


「おおっ! 兄ちゃん、やるじゃねぇか!」

「外の人間にしては筋がいいな。ほら、これ弾いてみな」


 貸し出されたのは、ウクレレに似た弦楽器。

 レオンは軽く弦を弾き、チューニングを確かめるように指を走らせる。


「なるほど、構造はシンプルだが……響きが深い。この木材、魔力を通しやすいのか?」

「見る目あるな、こいつは島の神木で作った特別製さ!」


 そこからは言葉を超えたコミュニケーションが始まった。

 レオンが旋律を奏で、地元民たちがリズムを重ねていく。最初は探り合いだった音が、次第に熱を帯び、一つの大きなうねりとなっていく。


「すげぇ……」


 タケルはその光景に見入っていた。

 偏屈で協調性ゼロだと思っていたレオンが、ここでは誰よりも楽しそうに、そして自由に音と遊んでいる。

 言葉も文化も違う相手と音楽だけで通じ合う。それが「本物」の音楽家の姿なのだと感じさせられた。


 セッションが終わると、周囲に集まっていた人々から拍手が湧き起こった。


「最高だったぜ、兄ちゃん! もしかしてプロか?」

「まーな。いい刺激になったよ、アンタらのおかげだ」


 レオンは楽器を返し、満足げに笑った。その顔には、いつもの気だるさはない。創作意欲に火がついた、熱い表情をしていた。


 *


 その後、二人はメインストリートに戻ってオープンテラスのカフェに入った。

 レオンは店員から紙とペンを借り、猛烈な勢いで何かを書きなぐっている。


「よし……見えたぞ、タケル。ヴァルガンに歌わせる『新曲』の形が!」


 レオンは書きなぐったメモを、バン! とテーブルに叩きつけた。そこには音符の羅列と『常夏』『開放』『ギャップ』といった単語が並んでいる。


「さっきのリズム、あれをベースにする。あの独特な浮遊感と高揚感……いわゆる『アッパーチューン』ってやつだ」

「アッパーチューン……盛り上がる曲ってことですか?」

「そうだ。だが、ただ明るいだけじゃねぇ。ヴァルガンの武器である『重低音』を最大限に活かす」


 目がギラギラと輝かせながら、レオンは言葉を続ける。

 彼の脳内には、既にメロディが流れているのだろう。アイデアが止まらない高揚感でテンションが上がっている。


「普通、軽快なリゾートミュージックは、高音の歌声を合わせるのが定石だ。エリオみたいな感じでな」

「確かに。その方がイメージしやすいですね」

「だろ? あえてそこを外す。曲自体は底抜けに明るく、軽快に。そこにヴァルガンのバリトンボイスを乗せるんだ」


 太陽が降り注ぐような明るいメロディ。そこに響く、魔王の重厚な声。普通ならミスマッチだ。水と油のように分離してしまうかもしれない。

 でも──


「……それ、めちゃくちゃカッコいいかも!」


 タケルの脳裏に、具体的な映像が浮かびあがった。

 アロハシャツを着て、楽しそうに笑うヴァルガン。彼がその重い声で、観客に向かって全力で歌い上げる姿。

 違和感? いや、それこそが『RE:Genesis』にしか出せない味だ。


「だろ!? この違和感こそフックになる! なんだこれ? って思わせたら勝ちだ。一度聴いたら耳から離れねー中毒性になる!」


 レオンは興奮気味に、『リズム』『グルーブ感』といった単語をメモに書き込んでいく。


「さらに、さっきのセッションで掴んだ要素も入れる。客を巻き込むんだ。ただ聴かせるだけじゃねぇ、客自体にもノッてもらって会場全体を一つの楽器にする!」

「うおおおお! それです! 俺が求めてたのはそれですよレオンさん!」


 パズルのピースがハマった音がした。エリオの個への過剰なサービスに対抗する手段、それは「集団を熱狂させる一体感」だ。

 難しく考える必要はない、ただ音に身を任せて叫べばいいという原始的な快楽。それを魔王が先導し、フェスというイベントとリゾートの非日常感を体験させる。


「曲の方向性は決まったが、歌詞はどうする?」

「今回は俺が書きます。こういうノリは大得意なので任せてください!」

「へー、言うじゃねーか? クソな歌詞持ってきたら容赦しねーからな」


 軽口を叩きながら、二人の間に笑いがこぼれた。

 勝てる。交わした目に同じ確信があった。

 この新曲なら、あの空気を変えられると。


「おーい、この店で一番強い酒を持ってきてくれ! 祝杯だ!」

「えっ!? レオンさん、まだ曲作りが……」

「安心しろ、骨組みはできた! あとは脳みそをアルコールに浸して、神が降りてくるのを待つだけだ!」


 止める間もなく、店主が持ってきたのは『極楽鳥の雫』という名前の酒だった。

 瓶のラベルには、ド派手な色の鳥が描かれている。ポップな雰囲気で、とても度数が高いようには見えない。


「いっくぜええええ!」

「ちょっ、ストレートで!?」


 コップになみなみと注がれた琥珀色の液体を、水のように煽った。


 カァァァッ!


 レオンの顔が一瞬で真っ赤に染まる。


「うひーっ! 効くぅ~! これだよこれ、脳細胞が踊りだしたぜ! フルーツっぽい風味で飲みやすいぞ!」

「ダメだこの人、ブレーキが壊れてる……」


 そこからは地獄の宴だった。

 酔いが回ったレオンは、タケルを捕まえて延々と音楽理論と自分の天才性について語り始めたのだ。


「いいかタケル! 俺の計算に狂いはねえ! この転調の妙技、わかるか!? わかんねーだろうな凡人には!」

「はいはい、すごいです天才です」

「もっと褒めろ! 俺がいなきゃRE:Genesisはただの筋肉イロモノ集団だぞ!」

「否定しきれないのが辛い!」


 二本、三本……次々と瓶が空いていく。

 最初は音楽の話だったのが、次第に愚痴と謎の説教へ変わっていく。


「大体な、ヴァルガンの野郎は偉そうなんだよ! 我を信じろ、とかカッコつけやがって! 俺だって信じてほしいよ褒めてほしいよチクショウ!」

「面倒くさい絡み酒になってきた……」

「タケル、お前は俺のこと好きだよな!? 信じてくれるよな!? なら飲め! 飲んで俺の才能に酔いしれろ!」

「信じることと飲むことに関係がなさすぎる!!」


 日が傾く頃には、レオンは完全に出来上がっていた。

 テーブルに突っ伏して幸せそうに寝息を立てている。


「むにゃ……俺は天才……世界一……」

「……はぁ」


 タケルは勘定を済ませ、呆れたようにレオンを見下ろす。

 だらしなく、手のかかる男だ。だが、その手にはびっしりとイメージを書き起こしたメモが握りしめられている。

 そこには、間違いなくRE:Genesisを次のステージへと押し上げる「答え」が記されているだろう。


「まあ、いい曲思いついたんだから、たまには許してあげるか」


 タケルは苦笑いしながら、レオンを背負った。

 重い。大人の男一人分はずしりとくる。しかし、その重さすらも今は頼もしく感じられた。


「帰ったらすぐに曲作りですよ。二日酔いなんて甘えは許しませんからね」


 返事はない。

 代わりに「うぇ……気持ち悪い……」という不穏な呻き声が聞こえた。


「ちょっ、おんぶしてるのにゲロは絶対ダメですからね!?」


 *


 そんな二人を、少し離れた場所から見つめる影があった。

 エリオだ。彼はプロモーション活動を終えて豪華なホテルへ戻る途中だったのだが、聞き覚えのある声に足を止めたのだ。


「何やってんだか、あいつら」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら酒を飲み、語り合える仲間たち。そこには、エリオが失ってしまった「居場所」があった。

 仕事としての利害ではない、心で繋がった関係。一緒に頑張ろうと声をかけ、失敗も苦労も共に分かち合える形。


「……いいなぁ」


 エリオの口から、本音が漏れた。

 周りにいるのは金勘定する社長と、機嫌を伺うスタッフ、そして虚像を愛するファン。誰も「エリオ」という人間を見てはいない。

 彼は孤独で豪華なホテルの部屋へと戻っていく。その姿は、月明かりの下でひどく寂しそうに見えた。

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