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10. 百年に一度の天使は「成長」で消えた

 静まり返ったコテージのリビングに重苦しい空気が沈殿していた。

 聞こえてくるのはカリカリとペンを進める音と、さざ波だけ。


「ん~……成果はイマイチですね……。色んなパターンを試したし、ダメな反応ばかりではなかったんですが……」


 タケルは額を押さえ、手元の集計シートをテーブルにポイと放り出した。

 チラシ配り、ビーチのゴミ拾いや人助け、ポロリ騒動を起こす前に開催したミニライブ。決してゼロではないのだが、十分なアピールができたとは言い難い。


「つっても、あいつらの過激ファンサの前じゃ霞んじまうんだよなぁ」


 ガルドが悔しそうに呟く。

 RE:Genesisが地道に信頼を積み上げようとしている横で、エリオは派手な活動をして、肌を密着させ、刺激的な快楽を提供し続けている。

 手っ取り早く数字を取れれば勝ち。非常にわかりやすいインスタントな戦略を徹底すること、それも勝ち筋なのだと突きつけられている感覚。


「く~っ……! 音楽祭であれだけ盛り上がったのに、こうも通用しないなんて……!」


 正攻法が通じないもどかしさ。

 そして何より、エリオのあざ笑うような顔が脳裏に焼き付いて離れない。


「つーか、そもそもの話だが。あいつは何者なんだ?」

「何者って、オフィス・グリードの……」

「そこじゃねーよ。過去の話だ」


 レオンがウクレレを爪弾きながら呟く。

 彼には「何かおかしい」という確信がある様子だった。


「ライブで見せた、喉を無理に使う下品な歌い方。なのに、時々出てくるリズム感や発声は素人のそれじゃねぇ」

「そんなに違和感があるんですか?」

「ああ。普通、喉でガーッと歌うやつはレッスンもロクにしてないクソってのが普通だ。なのに、あいつは基礎が整ってるようなアンバランスさがある」

「その件について、追加の調査報告があります」


 その疑問に答えたのはセレイナだった。

 彼女はいつもの冷静な、しかしどこか沈痛な面持ちで魔導端末をテーブルに置いた。


「オフィス・グリードという事務所について、そしてエリオさん個人の経歴について。ギルドの情報網を使って深掘りしました」

「わかったのか? あいつの正体が」

「はい。正直なところ、予想していなかった内容でした」


 セレイナが魔導端末を操作し、空中に映像を投影する。ノイズ混じりの古い映像。そこに映し出されたのは、きらびやかな劇場のステージだった。

 中央に立っているのは白い衣装に身を包んだ一人の少年。

 透き通るような金髪、狐耳と尻尾、陶器のように白い肌。そして何より、聴く者すべての魂を浄化するような美しく澄んだボーイソプラノ。


「えっ……これ、誰ですか?」

「十年前のエリオさんです」

「「「はあぁっ!?」」」


 その場に居た全員が絶句した。

 今のチャラくて筋肉を見せつける男と、あまりにも神々しく美しい少年。同一人物とは到底思えない。


「彼はかつて、歴史ある劇団に所属する『百年に一度の天才子役』と謳われていました。歌唱力、演技力、表現力……すべて完璧で、将来を嘱望されたスターだったのです」


 映像の中の少年は満員の観客から喝采を浴び、はにかむような笑顔を見せている。それは間違いなく、頂点に立つ者の輝きだった。


「ですが、残酷な転機が訪れてしまいます。変声期と成長です」


 映像が切り替わる。少し背が伸びた少年が、舞台の上で歌おうとして声が裏返るシーン。観客席から漏れる失望のため息。


「……」


 ヴァルガンは何も言わず、その映像を見続ける。追い詰められるエリオの姿に、何を思っているのかはわからない。


 美しかったボーイソプラノは失われ、愛らしかった容姿は骨ばって男らしくなっていく。それは人間として当たり前の成長だ。しかし、天使を求めていた大人たちにとっては「劣化」でしかなかった。


『あの子役、終わったね』

『あーあ……普通の男になっちゃったか』

『もう見る価値ないよ』


 無責任な声がエリオを追い詰める。劇団内での序列は下がり、主役の座を降ろされ、やがて端役すら回ってこなくなった。

 彼が心血を注いで守ってきた居場所は、大人になるというただそれだけの理由で足元から崩れ去ったのだ。


「……ひどいな」


 タケルは胸が締め付けられる思いだった。

 本人の努力ではどうしようもない理由で、夢を断たれる絶望。エリオのあの歪んだ笑顔の裏に、こんな過去があったなんて。


「劇団を解雇されたエリオさんをスカウトしたのが、『オフィス・グリード』でした。ですが、彼らが求めたのは演技力でも歌唱力でもありません」


 さらに映像が変わる。今度はバラエティ番組のような安っぽいセットの中だ。

 派手な衣装を着せられ、泥まみれになりながら芸人の真似事をさせられている青年のエリオ。笑い者にされ、罵倒され、それでも満面の笑みを浮かべている。


「社長は彼に言ったそうです。『お前にはもう価値がない。だが、プライドを捨てる覚悟があるなら、飼ってやってもいい』と」


 生き残るための条件。それは、かつての栄光である「清廉潔白な天使」のイメージを自ら踏みにじり、汚れ役を演じることだった。


「マッスルプリンスも、事務所主導でやっている企画のようです。ヴァルガンさんを模倣した上で、脱がせて笑いものにしようという悪意すら感じます」

「ってことはよ、あいつはその条件を飲んだってのか?」

「はい。彼はすべてを受け入れました。汚れ仕事、過激な撮影、そして今回のパクリ企画……。生き残るためなら何でもやる、それが今のエリオさんです」


 セレイナが報告を終え、端末を閉じる。

 部屋には、鉛のように重い沈黙が落ちた。


「……」


 黙ったままレオンは、手に持っていたウクレレをテーブルに置く。

 その表情には複雑そうな色が浮かんでいる。


「劇団の顔だったんなら、発声の基礎はみっちり練習してたはずだ。なのに、曲に合わせてわざと喉声で無理やり歌ってんのか」


 音楽家だからこそ理解できる、その残酷さ。

 努力を重ねた技術がある。なのに、その才能を踏みにじってわざと汚く塗り潰さなければならない。それはどれだけ虚しいことなのだろう。


「ふざけんなよ……!」


 タケルがバン! とテーブルを叩いた。

 怒りで手が震えている。エリオに対するものではなく、彼を消費し尽くそうとする大人たちと、そんな状況に対する義憤だった。


「使い捨てなんて、あんまりだろ……! それでいいのか!? 自分が自分でなくなるような売り方、苦しいに決まってるだろ!」


 脳裏にエリオの顔が浮かぶ。

 ヘラヘラと笑いながら「リスペクトだよ」と言っていたあの顔。あれは、自分の心を殺して張り付けた仮面だったのか。


「そんな生き方がアイドルなんて、認めたくないよ……!」


 アイドルとはみんなに夢を与える存在のはずだ。

 なのに、エリオの周りにあるのは搾取と絶望だけ。そんなものがエンターテインメントとして消費されている現実が、タケルには耐えられなかった。


「フン。かつての栄光にすがりつく亡霊か。哀れな話だが、同情はせん」


 それまで黙って話を聞いていたヴァルガンが鼻を鳴らした。

 ソファに深く腰掛けたまま、魔王はゆっくりとタケルを見た。その目は冷徹なまでに澄んでいる。


「あやつが選んだ道だ。誰に強制されたわけでもない。己の意志で泥をかぶり、道化になることをな」

「でも、それは追い詰められて……!」

「追い詰められて逃げ出す者もいる。だが、あやつは踏みとどまった。プライドを捨ててでも、立つと決めたのだ」


 ヴァルガンの言葉には、奇妙な敬意が含まれていた。

 魔王として数多の戦士を見てきた彼だからこそ理解できるのだ。「生き汚い」ということは、それだけで一つの強さなのだと。


「綺麗事だけで生きられるほど、世の中は甘くはない。あやつの覚悟は、ある意味で本物だ。よいかタケル、優しさは時として相手を侮辱することになるぞ」

「……侮辱?」

「ああ。可哀想だから手加減するのか? 事情があるから負けてやるのか? それは、必死に生き残ろうとしている者への最大の冒涜だ」


 ハッとした。

 タケルは自分の心のどこかに、「救ってやりたい」という上から目線の同情があったことに気づかされた。エリオは被害者だ、助けなきゃいけない、と。

 でも、彼は戦っているのだ。歪んだ形であれ自分の足で立ち、牙を剥いている。


「我は王だ。挑んでくる者がいるならば、全力をもって叩き潰す。それが礼儀というものだろう」

「……そうだな」


 同情している場合じゃない。相手は本気でRE:Genesisを食いに来ているプロだ。なら、こちらもプロとして、全力で迎え撃つしかない。


「エリオの過去がどうあれ、今のあいつは俺たちのライバルだ。だから、やるべきことは変わらない。……最高のステージで、あいつに勝つ!」

「ガッハッハ、その意気だ! 湿っぽいのは似合わねぇからな!」

「ま、あいつの歪んだ根性ごと俺らでぶっ飛ばしてやろうぜ」

「私も全力でサポートします。ヒントがないか、データを見直しておきますね」


 チームの士気は戻った。いや、エリオという敵の深さを知ったことで、より一層強固になった。南国の夜風が、熱い戦いの予感を運んできていた。

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