9. チャラ男の笑顔に隠された憎悪
「さあさあ、みなさん! 今話題のRE:Genesisです! フェス当日のライブ、ぜひ見に来てください!」
観光客の熱気溢れるメインストリートに響く、タケルの声。
ところが、その隣にいつもの巨体──魔王ヴァルガンの姿はない。RE:Genesisのプロモーション活動をしている一角だけは、どこか微妙な空気が流れていた。
「あれ? 今日はあのデカイ人いないの?」
「ほら、昨日のアレでしょ……露出狂の……」
「ああ~、捕まったのかな?」
観光客たちのヒソヒソ話が、痛いくらいに耳に刺さる。
昨日のポロリ事件の影響で、ヴァルガンは今日一日コテージでの謹慎(という名のほとぼり冷まし)を余儀なくされていた。
本人は「我がいなくてよいのか?」と不満げだったが、ノノからの注意もある以上、騒ぎを広げるわけにはいかない。そのため、今日のプロモ部隊はタケル、ガルド、セレイナ、レオンの四人。
「はぁ。やっぱ、メインがいないと締まらねーな」
レオンが木陰でウクレレをポロンと鳴らしながら、やる気なさそうに呟いた。
彼が奏でるBGMは素晴らしいのだが、選曲がなぜか『ドナドナ』のような哀愁漂うマイナーコードばかりで、周囲のテンションを微妙に下げている。
「レオンさん、もっと明るい曲を! ここはお葬式会場じゃないんですから!」
「今の俺たちの状況にはピッタリだろ」
ヴァルガンという絶対的な核を封じられたチームは、ぎこちない空気が漂っている。何より、昨日の騒動によるキワモノ・変質者というイメージが払拭しきれていない。
「くそう……ポロリの影響がここまであるとは……! 魔獣討伐でいい感じにキメてれば最強のプロモだったのに……!」
テストをしながら最適なプランを探すと考えていたものの、今のところ有効打は見つかっていない。このままでは、プロモーション勝負で惨敗してしまう。
一方、通りの向こう側には人だかりができていた。黄色い歓声と、甘い香りが漂ってくる。
そこには『マッスルプリンスと交流! 安心・安全のオイルマッサージ体験(有料)』という看板が掲げられていた。
中央にいるのは、もちろんエリオだ。今日もビキニパンツで筋肉を見せつけ、計算された露出と色気で女性客を翻弄している。
「はーい、お待たせ♡ 今日は特別に、オレちゃんが直接塗ってあげるからね~」
体を寄せながら、女性客の腕にオイルを塗り込んでいく。
指先が肌を滑るたびに、客がうっとりとした声を上げる。
「エリオ様の手、熱い……♡」
「君の肌も熱くなってるよ? ……可愛いね」
耳元で囁き、ウインクを飛ばす。
その手つきは手慣れたもので、いやらしさよりもサービス精神を感じさせるプロの技だ。
「みんな! オレちゃんは暴走したり、露出狂みたいなマネはしないから安心してね~!」
エリオはわざとらしく声を張り上げ、タケルたちの方をチラリと見た。
「筋肉は武器じゃないよ、みんなを癒やすためのクッションさ☆ セレブでスマートな筋肉! それがマッスルプリンスだよ~!」
「流石エリオ様~!」
「やっぱ野蛮な人とは違うわ~♡」
客たちが同調し、歓声が上がる。
ネガティブキャンペーンだ。昨日の事件を巧みに利用し『あいつらとは違い、自分は安全で高級だ』というイメージを植え付けている。
「くうぅ……踏み台にしやがってぇ……!」
タケルは歯ぎしりした。
反論できない。事実は事実だ。ヴァルガンが服を弾け飛ばしたのは不可抗力とはいえ、結果としてダメなイメージを与えたのは間違いないのだから。
「ったく、魔獣をぶっ飛ばしてやったのに。喉元過ぎればなんとやら、か」
不満げにガルドは観光客を眺めるが、世間の評価とはそういうものだ。
助けてくれた英雄よりも目の前で楽しさと安心を提供してくれるアイドルの方が、今の彼女たちにとっては価値がある。
「今のところ、集客予測はエリオさんの圧勝ですね。向こうは昨日の事件をネタにしつつ、着実にファンを囲い込んでいます。このままでは本番の動員数にも響くでしょう」
「くそっ、作戦を練り直さないと……!」
正攻法は無視される。ヴァルガンを出せば警戒される。かといってエリオのような過激な接触営業はRE:Genesisのスタイルじゃないし、ノノに止められている。
手詰まり感が漂う中、エリオのブースからは次々とお金が支払われる音が聞こえてくる。
「まいどあり~! フェス当日はもっと凄いことしちゃうから、絶対来てね~!」
エリオの勝ち誇ったような笑顔。
それがタケルには、分厚い壁のように立ちはだかっているように見えた。
*
日が落ち、プロモーション活動が終わる頃。
エリオのブースも撤収作業に入っていた。スタッフたちが機材を運び出し、社長のリカルドが売上を見てニヤニヤしている。
「今日はボロ儲けだったな。その調子で明日も稼げ、頼んだぞ」
「りょーかーい。お疲れっしたー♪」
エリオは軽い調子で答え、スタッフ用テントから離れた場所にある簡易控室へと入っていった。
一人の空間。カーテンを閉め切った狭い部屋に入った瞬間、彼の纏っていたチャラ男の空気が、糸が切れたように霧散した。
「……はぁ」
深く、重いため息。狐耳が動き、周囲の気配──マナの反応──を探る。近くに誰もいないことを確認したエリオはドカッと椅子に座り込み、鏡の前で顔を拭き始めた。
ひんやりとした濡れタオルで顔を拭うたびに、キラキラした笑顔が剥がれ落ちていく。残ったのは疲労と嫌悪感に満ちた、死んだような瞳をした青年の顔だった。
「クソが」
エリオは震える手でカバンからシガレットを取り出し、火をつけた。
煙を深く吸い込み、天井に向けて吐き出す。肺の中を焼くような感覚だけが、自分が生きていることを実感させてくれる。
「どいつもこいつも、ベタベタ触りやがって」
彼は自分の腕を、タオルで強く擦った。
昼間、笑顔で客に触れ、そして客から触れられていた腕。オイルのヌメリはシャワーで落としたはずなのに、何かがへばりついているような不快感が消えない。
「何がエリオ様ステキ、だ。金払えば何してもいいと思ってんのか」
口から飛び出すのは、昼間の甘い囁きとは真逆の呪詛。
ファンの好意? 応援? そんなものは信じていない。彼女たちが見ているのはマッスルプリンスという虚像であり、エリオという人間ではない。
立場がなくなれば、話題がなくなれば、またすぐに掌を返して去っていく。かつて、自分を捨てた大人たちのように。
「……キモいんだよ。ファンの連中も、馴れ馴れしいスタッフも、金のことしか考えてねぇ社長も」
エリオは鏡の中の自分を睨みつけた。
そこに映っているのは誇りを売り渡し、道化を演じて生き延びている惨めな男。
「でも……それしか能がねぇんだよな、オレは」
鏡の中に、自嘲の笑みが浮かぶ。
歌うことしかできない。演じることしかできない。それを取り上げられたら、自分には何もない。だからどんなことをしてでも、この世界にしがみつくしかない。
「何もかもクソだな、マジで」
エリオはシガレットの灰を床に落とし、低く呟いた。
「……死ね」
誰に向けた言葉なのか。
無神経な客か、強欲な社長か、それともライバルであるRE:Genesisか。
「死ね、死ね、死ね死ね死ね……!」
呪文のように繰り返される言葉。
何度も自分を殺し、また仮面を被って立ち上がる。そうやって心を摩耗させながらでしか、彼はステージに立つことができない。
「死ねッ!!」
エリオは鏡に拳を叩きつけようとした──寸前で、何かに気付いた。
震える手をゆっくり開き、じっと見つめる。
「……商売道具だ。傷つけちゃダメだろ、バカかよ」
プロとしての本能が、その拳を止めた。
どんなに心が腐っても、体だけは商品として完璧に保たなければならない。それが、彼に残された唯一の価値だから。
「……」
エリオは携帯灰皿にシガレットを押し付け、立ち上がった。
鏡に向かって、ニカッと笑う練習をする。口角を上げ、目を細め、チャラくて軽い、みんなが大好きなエリオの顔を作る。
「よし、オッケー! オレちゃんってば今日もイケメン☆」
仮面は完璧だ。いつも通りになったことを確認し、エリオは控室を出ていく。
彼にまとわりつく孤独な影に気づく者は、誰もいなかった。




