8. ビジュアル、これすなわち魅力という名の武装
ボロ家『ひだまり荘』の六畳一間。そこに、この世のものとは思えない恐怖空間が出現していた。
「……違う。全然違う。それじゃただのホラー映画です」
タケルは頭を抱え、魔王ヴァルガンにダメ出しをした。彼らの前には、安物の全身鏡が置かれている。今日のレッスンテーマは、アイドルにとって最も重要とも言えるルックスアピール──表情管理だ。
「何が違うと言うのだ、軍師よ。貴様の指示通り『歯を見せて、口角を上げ、目を細めた』ぞ?」
「ええ、パーツごとの指示は合ってます。でも組み合わせた結果がバグってるんです!」
鏡の中のヴァルガンは確かに笑っていた。だが、その笑顔は人を魅了するような爽やかなものではない。
剥き出しになった白い歯は、今にも獲物の喉笛に食らいつかんとする獣の威嚇。吊り上がった口角は、殺戮を楽しむ狂人の歪み。そして細められた目は、慈愛ではなく「こいつ、どこから食ってやろうか」という品定めの眼光だ。
(こんなのお客さんが見たら、絶対命乞いしちゃうよ……)
ヴァルガンのことを知っているタケルですら、生物としての本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。こんな笑顔をステージで向けられたら観客たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、子供は一生消えないトラウマを植え付けられるだろう。
「むぅ……。人間とは難儀な生き物だな。これぞ破顔一笑というやつだろうに」
「破壊一撃の間違いです! 笑顔で人を殺せるレベルですよ!」
タケルは涙目で訴えた。歌もダンスも、前に比べたら形になった。しかし、ビジュアル面でのアイドル性だけが致命的に欠けている。この強面のおっさんに、キラキラアイドルスマイルを求めること自体が間違いだったのか?
「よし、次はパターンを変えましょう。愛嬌、キュート全振りで!」
「……愛嬌、だと?」
ヴァルガンは嫌そうな顔をしたが、タケルは引かなかった。
「ウインク! 片目を瞑って、パチンと!」
「ぐぬぬ……こうか!」
ヴァルガンが顔面を歪めた。片目を瞑るというより、顔半分が痙攣しているようにしか見えない。あるいは、目にゴミが入って苦しんでいるゴリラだ。
「アヒル口! 唇を突き出して!」
「ぬん!」
唇を突き出した顔はどう見ても、キスを迫る変質者。
「ダメだ……! 全部裏目に出る……!」
タケルは絶望した。このガチムチ魔王という素材に既存のアイドルテンプレートを当てはめようとしても、全てがマイナスに作用してしまう!
意味のわからないことを延々やらされたヴァルガンも、我慢の限界が来ていた。
「ええい、もういい! くだらん! なぜ笑わねばならん、なぜ媚びねばならん! 我は世界をひれ伏せさせた魔王だぞ!? 他者に媚びへつらうなど、性に合わんわ!」
その言葉を聞いた瞬間、タケルの脳内で稲妻が走った。
(……待てよ。媚びない? ひれ伏せさせる?)
タケルは顔を上げた。目の前には、不機嫌そうに腕を組み、タケルを見下ろすヴァルガンがいる。その表情は──冷たく、傲慢で、しかし圧倒的な強者の風格に満ちていた。
怖い。けれど、どこか惹きつけられる。そうだ。世の中は笑顔だけがアイドルじゃない!
「……それだ! 魔王様、無理に笑わなくていいです!」
「むん?」
「媚びる必要なんてない! 男前な顔、筋肉、傷跡……貴方の素材を活かすなら、これしかない!」
タケルは立ち上がり、ヴァルガンに詰め寄った。
「貴方のコンセプトは決定しました! ミステリアス&セクシー! そして『絶対的支配者』です!」
「……ほう」
ヴァルガンの表情が和らいだ。悪い気はしない響きらしい。
タケルは「魔王にアイドル教育をして世界平和を守るために」と女神ルミナスに頼み込んで召喚してもらった、部屋に転がっていた古雑誌(現代日本のファッション誌)を広げ、一人のモデルを指差した。
「見てください、このイケオジモデルを! 彼は笑っていません。アンニュイに、気怠げに流し目をしています! 口元は少し開けて、セクシーに!」
「あんにゅい?」
「退屈という意味です。『お前らごとき相手にするのも退屈だ』という余裕を見せるんです! さあ、同じようにやってみて!」
ヴァルガンは言われた通り、モデルのポーズを真似して壁に片手をついた。少し顎を上げ、タケルを見下ろすように目を細める。さっきのような威嚇ではない。ただ静かに絶対的な上位存在として、下等生物を睥睨する眼差し。
「……こうか?」
ヴァルガンが低く囁く。先ほどとは違い、不気味さは消え失せていた。代わりに溢れ出ていたのは濃厚な大人のフェロモンと、見る者を強制的に跪かせるようなカリスマだった。
壁紙が剥がれかけたボロ家の背景すら、彼の背後では廃墟で佇む王という演出に見えてくる。
「……か、かっけぇ……!」
タケルは本音を漏らした。これだ。これならいける。一般アイドル路線に合わせるなんて間違いだった。最初から、この素材の味を最大限に活かすべきだったのだ!
「決定です! 貴方の売りは『媚びないアイドル』。ファンを『お前たち』と呼び、命令口調で煽るスタイルで行きましょう! 俺を見ろ、俺に酔えと上から目線で支配するんです!」
「フン、何を今更。我はずっとそうしているぞ?」
「ええ、そのままでいてください! 貴方のその傲慢さこそが最大の武器、ファンサになります!」
「ククク……なるほど。我のありのままが、民衆を魅了するというわけか。よかろう」
ヴァルガンは鏡の前でポーズを取った。軽くパーカーの襟を広げ、鎖骨と胸板をチラ見せし……そして、フッと口角を片方だけ上げる。
それは計算された笑顔ではなく、心からの不敵な笑み。完璧だった。
(よし、準備は整った……!)
タケルは拳を握りしめた。歌、ダンス、そしてキャラクター……全てのピースが揃った。最強の魔王アイドル、RE:Genesis。その土台が今、ここにある。
(……あれ? なんか俺、楽しくなってる?)
タケルはふと、ヴァルガンがアイドルとして成長していることを楽しんでいる自分に気付いた。生き延びるため仕方なく始めたはずなのに、少しずつ「ヴァルガンはどんなアイドルになっていくのだろう」と気になってしまっている。
(全然アイドルに向いてないと思っていたのに、不思議だ……)
「どうした軍師よ、急に黙って」
「……いえ、なんでもありません。では数日後、街へ出て実践です! 路上ライブで、みんなの度肝を抜いてやりましょう!」
「望むところだ。我の咆哮で、ルミナ・シティを震撼させてやる」
ヴァルガンは鏡の中の自分に向かって、宣言するように言った。その背中には、もはや迷いはない。あるのは頂点を目指す王者の風格のみだった。




