7. ボイトレ、これすなわち魔力放出の極限制御
山奥レッスンの朝は早い。
小鳥のさえずりが聞こえる爽やかな空気の中、タケルは耳栓を装着し、さらにその上から耳当てをするという完全防備で臨んでいた。
「今日は表現力のレッスンです。魔王様、この課題曲を歌ってください」
タケルが差し出したのは、街で流行り始めているバラード曲『星降る夜の約束』の歌詞カードだ。切ない恋心を綴った、しっとりとしたナンバーである。
「ふむ……歌詞を読む限り、離れ離れになった恋人を想う歌か。これを、感情を込めて歌えばいいのだな?」
「そうです! 切なさ、哀愁、そして溢れ出る愛を表現してください」
ヴァルガンは深く頷き、大きく息を吸い込んだ。その時、周囲のマナが渦を巻き彼の肺へと収束していくのが視覚的に見えた気がした。タケルは嫌な予感がして、とっさに岩陰に隠れる。
「あ゛い゛し゛て゛る゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛ッッッ!!!!」
ドォォォォォォォォンッ!!
爆発だった。比喩ではなく、本当に空間が爆ぜた。
デスボイスの域を超えた、破壊神のソニックブラスト。その衝撃波は前方の崖に直撃し、ガラガラと音を立てて崩落させた。空を飛んでいた鳥たちが、気絶してボトボトと雨のように落ちてくる。
タケルは完全防備していたにも関わらず、鼓膜が破れそうな激痛に襲われその場に倒れ込んだ。
「ぐふっ……! ち、違う……!」
タケルは頭がくらくらする中、ゆっくり手を伸ばしストップの合図を出した。
「それは『愛』じゃなくて『呪詛』です! 物理攻撃判定が出てます! バラードで崖崩れを起こすアイドルがどこにいますか!?」
「ぬ? なぜだ? 我の魂の叫びは、戦場では敵兵を恐慌状態に陥らせ、士気を完全にへし折ったぞ?」
ヴァルガンは心外そうに首を傾げた。今の彼にとって感情を込めるとは、すなわち魔力を最大出力で乗せることと同義なのだ。
「だから恐がらせちゃダメなんですって! アイドルの歌は癒やしと魅力を兼ねたもの! 貴方のは『兵器』です!」
「癒やし、魅力……? 声を潜めるなど、弱者のすることだ。王たる者、常に覇気を轟かせ、知らしめるべきであろう」
ヴァルガンは譲らなかった。声を張る=強さという魔王としての常識が、染み付いて離れないのだ。このままでは平行線だしキリがないと判断したタケルは、切り札を使うことにした。
「……はぁ。そうですか。やっぱり無理かぁ」
タケルはわざとらしく溜息をつき、空を見上げる。
「これじゃ、あのステラには到底勝てないかぁ〜」
「……なんだと?」
ヴァルガンが苛立たしそうに呟く。予想通り食いついたとタケルはこっそり笑い、言葉を続けた。
「思い出してください、魔王様。あのライブでのステラを。彼女は、貴方のように大声で叫んでいましたか? マイクを破壊するほどの怒号を上げていましたか? ……違いますよね」
「……」
「彼女はマイク一本で、時には囁くような声で表現して数万人を支配していました。あれこそが、真の強者の技術──『魔力の圧縮』です!」
ビシッとヴァルガンに向かって指を向け、タケルは勢いのまま断言する。
「無駄な拡散を防ぎ、針のように鋭く練り上げた魔力を聴く者の鼓膜ではなく脳に直接響かせる! それこそが、あの『支配』の正体なのです! 大声を出すだけの貴方は、彼女から見ればただの騒音かもしれませんね」
「騒音、だと?」
魔王としてのプライドに火がついた。ヴァルガンは自分の拳を見つめ、ギリリと握りしめた。
「……我は力任せに魔力を垂れ流していただけ、ということか。未熟だった」
「気づいていただけましたか!」
「うむ。真の王者は、囁き一つで国を動かすもの。よかろう。その『圧縮』とやら、会得してみせよう。これも、玉座を奪うための一歩だ」
ヴァルガンがやる気になったところで、タケルは即席の修行セットを用意した。平らな岩の上に一本の細いロウソクを立て、火を灯す。
「では、特訓です。この火を吹き消さないように、かつ、ここから十メートル先の岩を揺らすイメージでお腹から声を出してください」
「矛盾していないか?」
「矛盾していません! 息や風を出すのではなく、音だけを届けるのです! それが発生の第一歩であり、魔力制御の極意です!」
ヴァルガンは岩の前に体育座りし、小さなロウソクの炎を睨みつけた。その巨体と、小さな炎の対比がシュールだ。
「ぬん……」
「あ、鼻息で消さないでくださいね」
「……わかった。ん〜〜〜……」
ヴァルガンは口を僅かに開け、喉の奥で音を作り始めた。だが一拍置いてフッ、と火が消えてしまう。
「失敗! 息を出しすぎです、もっとコントロールして!」
「ぬう……難しいな。んん〜〜〜……」
ヴァルガンは眉間に深い皺を寄せ、再び火が灯ったロウソクに向かって声を出す。今度は声に覇気が乗りすぎて、ボッ! とロウソク自体が爆散した。
「出力過多! 抑えて!」
「チッ……もっと細かく制御せねばいかんか」
悪戦苦闘していたが、流石はかつて世界を恐怖させた王。集中力と学習能力はずば抜けている。何十回、何百回と繰り返すうちに、徐々にコツを掴み始めた。
(力を内へ……外へ漏らすのではなく、体内で共鳴させる……。喉ではなく、丹田で魔力を練り上げる……)
「んんん〜〜〜……」
低い、唸るようなハミング。ロウソクの炎は揺れない。だが、タケルの足元の小石が、カタカタと微かに震え始めた。
(おお……! ちゃんと響いてる! しかも、なんだこのイケボ……!)
タケルは驚いた。ヴァルガンの声質は元々、非常に良い。深みのあるバリトンで、まるでチェロのような腹の底にズシンと来る響きがある。
これまではデカすぎるせいでただの騒音だったが制御され、圧縮されたその声は──ちゃんと魅力的だった。
時間が過ぎ、空が茜色に染まる頃。ヴァルガンは静かに目を開けた。
「……掴んだぞ」
ロウソクに向かって息を吸い込み、バラードの一節を口ずさんだ。
「♪星降る夜に〜……誓いを〜……」
崖は崩れない。鳥も落ちない。ロウソクの火も消えない。
空気全体がビリビリと振動し、タケルの心臓を鷲掴みにするような心地よい圧が襲ってきた。怖いけど聞いていたくなる、魂に響くような重厚な歌声。
「……すごい」
タケルは思わず聞き惚れ、拍手を忘れていた。
これは武器になる。この声を活かしながらテクニックを身につければ、どんな曲も歌いこなせるかもしれない。ヴァルガンの声によって曲の魅力をさらに引き出すことすらできそうだ。
「喉の調子が整ってきたようだ。どうだ、軍師よ? これなら、あの小娘の『脳内直接攻撃』にも対抗できよう」
「ええ、完璧です! 魔王様らしさが出た、いい歌声になったと思います!」
「ならばよし。腹が減った、今日は猪でも狩って帰るか」
(……食費が浮くのは嬉しいんだけど、いいのかなこれで……)
歌声という最強の武器を手に入れた二人は、意気揚々と(猪を担いで)ボロ家へと帰還するのだった。




