11. 再起方法:バキバキに折って組み直す(by魔王様)
翌日、冒険者ギルドの倉庫。スタジオ(仮)には、張り詰めた空気が漂っていた。ピアノの前にレオンが座り、背後には腕組みをしたヴァルガンと心配そうに見守るタケルがいる。
「ふぅー……じゃあ、始めるぞ」
レオンは大きく深呼吸をし、鍵盤に手を置いた。
昨晩、タケルに説得され「もう一度やる」と決めた。逃げ続けるだけの人生は終わりにする。そう意気込んだはずだった。
(……なんでだ?)
レオンの指が震える。
思い出そうとする。教会に入る前、ただ純粋に音を楽しんでいた頃の感覚を。だが、出てこない。浮かんでくるのは学んだ理論や、却下された楽譜の残像ばかり。
「どうした? 早く弾け」
ヴァルガンの低い声がプレッシャーとなり、レオンは焦った。何か弾かなければならない、凄みのある曲を。
ダンッ。
最初に飛び出したのは不協和音。
そこから紡がれたのは複雑怪奇な旋律だった。転調に次ぐ転調、高速で動き続けるリズム。テクニックを詰め込んだ、音楽理論の迷宮のような曲。
「……」
タケルの顔に浮かんだのは困惑。
素人でもわかる、これは凄技かもしれないが良い曲ではない。技術を見せつけることだけに終始していて、聴き手の心を置いてけぼりにしている。
(違う、こんなんじゃない……もっと、もっと凄い曲を作れるんだ……!)
レオンは汗だくになりながら、鍵盤を叩き続けた。指がもつれる。ミスタッチが増える。焦れば焦るほど音は濁り、リズムは崩壊していく。
指先から出てくるのは残骸のような音ばかり。錆びついた自分の才能、枯渇した情熱。その事実を突きつけられるようで、レオンは叫びだしたくなった。
バンッ!!
ついに耐えきれず、両手で鍵盤を叩きつけた。不快な音が倉庫に響き渡り、演奏が強制終了した。レオンは顔を上げない。肩で息をしながら、ピアノを睨みつけている。
「はぁ、はぁ……クソッ……!」
「ちょっと休憩しましょう、今の感じでやっても……」
「ダメだと言いてーんだろ!? そんなの俺だってわかってんだよ!」
怒鳴るレオンの目には涙が滲んでいる。
タケルは言葉に詰まった。どう声をかければいい? 頑張れなんて無責任なことは言えない。かといって、具体的なアドバイスができるほどの知識もない。
ただ、一つわかるのは今のレオンには「音楽」がない。あるのは焦りと恐怖だけ。
「……俺には無理だ! もう何もない……才能も、未来も、居場所も!」
「そんなこと──」
「あるんだよ! 聖女様の言う通りだ、こんな惨めな思いをするくらいなら音楽なんて辞めちまえばよかったんだ!」
レオンは楽譜を床にぶちまけた。書き殴った音符たちが、紙吹雪のように舞い散る。そのまま逃げるようにドアへ向かう。もう二度と戻らないつもりだ。音楽からも、この場所からも。ドアノブに手をかけ、回そうとしたその瞬間。
ドンッ!
巨大な手が、レオンの顔の横でドアを押し留めた。
逃げ道を塞ぐ絶対的な壁。
「また逃げるつもりか?」
響いたのはドスの効いた声。レオンが振り返るとヴァルガンが立っていた。
いつもの傲慢な表情ではない。真紅の瞳が獲物を狩る猛獣のように細められ、レオンの魂を射抜いている。
「……限界なんだよ! 俺には才能がないってわかったんだ、諦めさせてくれ!」
「フン、笑わせるな。本当に諦めていて、音楽への執着がないのなら……なぜ今日、この場に来た。すべて捨て去るチャンスだったはずだぞ?」
「そ、それは……」
「昨日、貴様は言ったな。本当にやりたかった音楽がある、と。だが、さっき貴様が弾いたのは何だ? あの様子、とてもやりたかったものには思えんが」
図星だった。
さっき弾いた曲。あれは「俺は凄いんだぞ」と誇示するためだけの虚栄の塊。かつて目指していた音楽とは全く違う、ただのノイズ。
「答えろ、音楽家」
ヴァルガンは胸倉を掴み、逃げ場を無くした上で問いかける。
「貴様が音楽をしたかったのは、なんのためだ?」
その言葉はレオンが一番触れられたくない、心の奥底に封印していた核心を突くものだった。
教会に認められたい。褒められたい。特別だと言われたい。
幼い頃から刷り込まれてきた価値観。それが彼の音楽の原動力だった。でも、それは「音楽が好き」という純粋な気持ちとは違う。
(本当は、音楽が好きじゃ……ない……?)
認めたくなかった真実が、喉元までせり上がってくる。レオンが信じていたアイデンティティが、音を立てて崩壊していく。
(俺は……俺は……)
抵抗する力もなくなり、ヴァルガンの手からずり落ちるように崩れ落ちた。
「……ああ、そうだよ! 俺はやりたい音楽なんて、最初からなかった!!」
レオンは床に這いつくばったまま、嗚咽交じりに声を上げた。
もうカッコつける余裕なんてなかった。天才という鎧も、エリートというプライドも、すべて剥がれ落ちていた。
「天才と呼ばれてチヤホヤされるのが気持ちよかった、自分が特別な人間だと思いたかった! だから難解な曲を作って『わからない奴はバカだ』って見下してたんだよ!!」
レオンは自分の醜さを、恥も外聞もなくさらけ出した。
音楽への愛? そんな高尚なものじゃない、ただの承認欲求。自分を大きく見せるための虚勢、それが彼の音楽の正体だった。
「俺には伝えたい想いも、溢れる情熱もない! ただ凄いって言われたいだけ、中身のない空っぽなハリボテ野郎だ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらレオンは笑った。乾いた、自嘲の笑い。
「だから聖女様に見抜かれたんだ……『お前には祈りがない』って。はは、正論すぎて笑っちまうよな!? その通りだよ、俺は紛い物なんだから!」
沈黙が落ちる。
彼の本心を聞いたタケルは、どうするのが正解かはわからなかった。だが、以前感じたレオンと自分を重ねる気持ちはさらに強まった。
「……俺も、そうでした」
「……」
「自分には何もないって知るのが怖くて、必死に何かのフリをして……」
タケルの瞳には同情ではない、深い共感が宿っていた。
持たざる者同士だからこそわかる痛み。傷の舐め合いかもしれない。でも、今のレオンに必要なのは正論による断罪ではなく、同じ痛みを分かち合う存在だと感じていた。
「レオンさんは、一人じゃないです。俺も、どん底の気持ちを知ってます」
「……お前もかよ」
レオンの目から、少しだけ険しい色が消えた。
二人の間に奇妙な連帯感が生まれる。ここで優しく励まして一緒に頑張ろうと言えば、レオンも立ち直れるかもしれない。それから、みんなで力を合わせて──
「好都合だ。ならば、我に従え」
「「……は?」」
空気を読まない低音ボイスが、しんみりした雰囲気を粉々に打ち砕いた。
タケルとレオンが同時に顔を上げる。そこには、楽しそうな笑みを浮かべたヴァルガンがいた。
「結構なことではないか。つまり貴様は『何でも入る器』ということだ」
「……ああん?」
レオンが呆気にとられる中、ヴァルガンは演説するかのように両手を広げた。
「中身がないなら、我の野望を詰め込め。主張する熱意がないなら、我の色に染まれ。これほど使い勝手の良い道具はおらんぞ」
「おい、何言ってるんだこいつは」
レオンの涙が止まった。
あまりの暴論に、悲しんでいるのが馬鹿らしくなってきたのだ。
「いやちょっと待てよヴァルガン! 俺の時には『お前は空っぽじゃない』ってフォローしてなかったっけ!?」
タケルが慌ててツッコミを入れる。
かつて無理をした自分に対して向けた、医務室での会話。「貴様がいなければ我はアイドルになれん」と言ってくれた、あの真摯な答えはどこへ行った。
「貴様は相棒だからな。当然の配慮だ」
ヴァルガンは真顔で言い放った。そして、レオンを指差す。
「だが、こいつは配下だ。フォローなんぞいらん、使ってナンボだろうが」
「鬼か!!」
タケルの絶叫が倉庫に響いた。この魔王、身内判定のラインが極端すぎる。
「おい音楽家。貴様にやりたいことがないのなら、我のやりたいことを叶えろ」
レオンの胸倉を掴むと、そのまま強引に引き立たせた。
顔が至近距離まで近づき、真紅の瞳でレオンの目を捉える。
「我のために曲を書け。貴様の承認欲求とやら、我がすべて満たしてやる」
「どういう意味だ……?」
「世界を統べる王の専属作曲家だぞ? 『凄い』に決まっているだろうが。貴様のちっぽけなプライドなど、我が威光の前では塵に等しい」
圧倒的な上から目線。慰めでも励ましでもない、ただの徴用。価値があると肯定するのではなく、お前の価値は王者たる自分が決めてやるという所有宣言。
強引すぎる論理展開についていけず、レオンは口をポカンと開けた。
さっきまで「俺はダメな奴だ」と絶望していたのが嘘のようだ。目の前の男が放つデタラメな理屈で、完全にペースを乱されてしまっていた。
「野望を詰め込めば空っぽじゃないって、そんなのアリかよ……」
「アリだ。なぜなら、王である我がルールだからな」
そう語るヴァルガンの瞳には、一点の曇りもない自信が宿っていた。
「貴様一人では辿り着けない高みへ、我が連れて行ってやる。悪い話ではあるまい? そこには絶対の価値があるのだからな」
ハリボテだと知り、むしろ使えると断言するふてぶてしさ。マリアンヌのように切り捨てることもなく、タケルのように寄り添うこともない。ただ「従え」と命じるだけの暴君。
「……ククッ」
だが、不思議とレオンは嫌な気分ではなかった。
自分で自分の価値を決められないなら、このデタラメな男に預けてみるのも悪くないかもしれない。そう思えてしまったのだ。
「ハハハハハッ! とんでもねぇ奴だ、テメェの言ってることは最低のカスだよ!」
レオンはヴァルガンの手を払い除け、自分の足で立った。
その顔は、自分自身を縛る呪いを吹き飛ばした清々しさがあった。
「いいぜ、乗ってやる。空っぽな俺を、その野望で満タンにしてみろよクソ野郎が!」
「フン、殊勝な心がけだ。存分にこき使ってやろう」
(な、なんだこれ……なんとかなった……のか?)
タケルは冷や汗を拭いながら、二人のやり取りを見守った。
感動的な和解とは程遠い、歪な主従関係の成立。でも、これが魔王らしいと言えばらしいのかもしれない。
「では改めて契約成立だ。すぐ曲作りを再開しろ」
「へいへい。で、どんな曲がいいんだ? また覇気とか抽象的なこと言うなよ」
「注文はシンプルだ。我に相応しい最強の曲を作れ」
「だから抽象的すぎるって言ってんだろカス!」
言い合いながらピアノに向かう二人。先ほどまでの重苦しい空気は消え、倉庫には騒がしい熱気が戻ってきていた。
「はー……これからもっと大変になりそうだ」
苦笑いしながらタケルは二人に近づいていく。
ハリボテの天才作曲家と暴君魔王、そして板挟みに合うプロデューサー。最強で最悪のチームが、ここに爆誕した瞬間だった。




