10. 女神様とドルオタの深夜公園問答
レオンが帰ったあとのボロ家『ひだまり荘』の六畳一間。
濃密すぎる空気にあてられたタケルは、気分転換をしたくなり立ち上がった。
「ん~……ちょっと風に当たってくるわ」
「散歩か? それなら我も付き合うが」
「息抜きするだけ。しばらくしたら戻るよ」
ヴァルガンの言葉を背に受けながら、タケルは軋むドアを開けて外へ向かう。
夜のルミナ・シティは静かだった。ひだまり荘から少し歩き、公園──雨の日にライブをした場所──のベンチに、深く腰を下ろす。
(……聖女マリアンヌ、か)
彼女の言った言葉が何度も脳裏をよぎる。
アイドル活動は命を救うための聖なる務めという、その圧倒的な正義と覚悟。だが、その背景についてどうしてもわからないところがある。
「おーい、ルミナス。聞こえてんだろ、来てくれないかー?」
タケルが虚空に向かって呼びかけると、キラキラとした光の粒子が集まって一人の女性の形になり……女神ルミナスが現れた。
だが、神々しさとは無縁の上下スウェットというラフな部屋着姿。おまけに、片手にはアイスの棒を持っていた。部屋でゴロゴロしていたであろうことが丸わかりである。
「はいはい、お呼びでしょうかプロデューサーさん。深夜の呼び出しなんて、ブラック企業務めの鑑ね」
「悪いな。ちょっと話したくてさ」
「相談料は高いわよ? ま、今回のアイスは当たりが出たからサービスしてあげる。そこまで長くなければ、こっちに来ても誤魔化せるし」
ルミナスは当たり棒をひらひらとさせながら、タケルの隣にドカッと座った。女神というよりは、近所の世話焼きな姉ちゃんといった雰囲気だ。
「で? 珍しく凹んでるじゃない。いつものドヤ顔プロデューサーはどこ行ったのよ」
「……凹んでるっていうか、考えさせられちゃって。誰かのため、人の命を救うためにアイドルをやってる聖女の話を聞いてさ」
「聖女……あー、教会の子に会ったわけね」
「あの子たちは歌や踊りを、人々を救う手段として本気で使ってた。……この世界の『神聖職』って、結局どういう仕組みなんだ? なんでアイドルと紐づいてるんだ?」
タケルの質問を聞いたルミナスは、齧りかけのアイスの棒を虚空に放り投げる。すると、棒は光となってシュンと消滅した。それから、少しだけ真面目な顔つきになる。
「この世界では『人々の想い』がエネルギー、魔力に変換されるのよ」
「想いが?」
「そう。祈り、感謝、熱狂。それら強い感情の波動は、大気中のマナを活性化させる。教会が行う『儀式』ってのは、それらを効率よく集めて、大規模な治癒や結界の維持といった奇跡に変換するシステムのことよ」
ルミナスは空中に指で図形を描いた。人々から放たれる光が一点に集まり、それが大きな力となって降り注ぐイメージ図だ。
「アイドルは、その仕組みとして超優秀なの。何千、何万という人が一斉に同じ対象を見て好きだ、尊い、頑張れってポジティブな感情を向けるでしょ? その瞬間のエネルギーはとんでもないパワーになるわ」
「だから神聖職に準ずるって扱いなのか」
「別ジャンルではあるけど、やってることは司祭や魔法使いと似たものだからね」
この世界においてアイドルとは単なる人気商売ではなく、一種の発電所や国防の要とも言えるわけだとタケルは理解した。
マリアンヌが「自分たちの活動は命を救う」と言ったのは慈善事業のみではない、物理的な事実でもあったということだ。
「アイディール様が歌を祝福したのも、それが一番手っ取り早く、かつ平和的にエネルギーを集められる手段だったのもあるわ」
「安全かつ最適なシステムだから選ばれた……なんか夢がない話だな」
「現実はいつだってシステマチックよ。あんたのいた世界で、魔法と思っていた出来事が科学で説明できるのと同じようにね」
ルミナスは肩をすくめた。異世界だというのに理屈で説明できてしまうあたり、意外とロマンがないなと感じるタケル。
「あと、気になってたといえばさ」
「何よ」
「この世界の音楽とか楽器、なんで俺がいた世界と似てるんだ? ピアノとかギターとか。あんなに作りが複雑なものが異世界でほぼ同じなんておかしいだろ」
レオンが弾いていたピアノは、現代日本のものとほぼ変わらない構造をしていた。黒鍵と白鍵の並び、音階の仕組み。文化が全く違うはずなのに、基本的なルールが同じなのはなぜだろうとタケルは不思議に思っていたのだ。
「ああ、それ? 物理法則が同じだからよ」
「うん?」
「魔法の有無という違いはあるけど、基本的な要素はほぼ一緒なの。重力、空気抵抗、音の伝わり方とかね。あんた、この世界で過ごして特に違和感ないでしょ?」
「意識してなかったけど、確かに……」
「で、法則が同じなら『最も効率よく音を出す形』もおのずと似てくるの。収斂進化みたいなものね。弦を響かせるならギターやヴァイオリンのように、ハンマーで弦を叩いて奏でるならピアノ……ってね」
ルミナスは再び宙に指で図を描いていく。海の中を泳いでいる魚たちだ。
「魚が速く泳ごうとしたら、基本的に流線型になるでしょ? それと一緒。空気を震わせて美しい音を出そうとすると、似たような楽器や理論に行き着くわけ」
「はー……言われてみればって感じだ、なるほどな」
「この世界特有の、魔力を用いて奏でる『魔導楽器』みたいなのもあるけどね。基本は同じだから、あんたの知識もほぼそのまま使えるの」
「お前、ちゃんと神様らしく説明できんだなぁ。サボってる印象しかないのに」
「ぶっ飛ばすわよ」
会話が途切れ、再び静寂が訪れる。
タケルは夜空を見上げたまま、胸の中に溜まっていた一番重い疑問を口にした。
「この世界さ、神様いるじゃん。ルミナスや、アイディール様って主神もいる」
「ここまで色々やって神様いません、なんて言ったら嘘つきにもほどがあるわね」
「だったらさ……」
タケルは視線を足元に落とした。思い返していたのは、孤児院で食事していた子供たち。そして、絶望して酒に溺れていたレオンの姿。
「だったら、神様がみんなを救ってやればいいじゃないか。マリアンヌさんがあんなに苦労して、孤児院を回さなくても……神様の奇跡で、パンを出したり病気を治したりすればいいだろ?」
タケルの質問はとても素朴で、そして残酷な問いだった。
神がいるのなら、なぜ人は苦しまなければならないのか。なぜ幼い子供が飢え、聖女が必死に人助けをしなければならないのか。
「……」
ルミナスの雰囲気が変わった。
それまでの砕けた態度が消え、どこか悲しげな瞳でタケルを見つめる。その表情は、初めて彼女が女神に見えた瞬間だった。
「タケル。それは『できない』のよ」
「できない? 神様なのに?」
「能力的に不可能なんじゃないわ。やってはいけないことなの」
ルミナスはベンチの背もたれに体重を預け、遠い昔を懐かしむように語り出した。
「ずっとずっと、遥か遠い昔……神々が地上で人と共に暮らしていた時代があったわ。飢えも病気も争いもない、人が望めば神がすぐに叶えてあげる楽園だった」
「最高じゃないか」
「そう思うでしょ。でもね、その結果どうなったと思う?」
ルミナスはタケルと目を合わせる。
その瞳の奥には、数千年の歴史を見てきた者だけの重みがあった。
「人間は、考えることをやめたの」
「……え?」
「お腹が空いたら口を開けて待つだけ。病気になったら治してもらうだけ。何か問題が起きても、自分で解決しようとせず祈るだけ。やがて人は火をおこす方法も家を建てる技術も、言葉を紡ぐ喜びさえも忘れてしまった」
ルミナスの声は静かだったが、タケルの心に深く突き刺さった。
「それは幸福じゃなく、ただの飼育。人は、神様のペットに成り下がってしまったの。魂の輝きを失い、ただ生かされているだけの存在にね」
「そんな……」
「だから、神は地上を去ったのよ。人間が人間であるために。自分たちの足で立って、自分たちの手で選んだ未来を掴み取らせるためにね」
ルミナスは空に浮かぶ月を見ながら、言葉を続ける。彼女はどんな気持ちでその話をしているのか、どんな光景を思い返しているのか。
「残酷に見えるかもしれないけど、突き放すことも愛なの。足りないからこそ工夫する。苦しいからこそ助け合う。そこで生まれる力が、世界を動かしていく」
「……」
「だから、神様は直接手を出さず、それなりの距離で付き合わなきゃいけない。普段は世界を見守って、たまーにちょっと背中を押すくらいが丁度いいのよ」
そこまで言ってからルミナスは笑い、いつもの調子に戻った。
「ま、私はサボりたいから手を出さないだけって説もあるけどね!」
「……いい話だと思ったのに台無しだよ」
タケルは苦笑いしたが、胸のつかえは取れていた。神様は救ってくれない。だからこそ、自分たちの力でやる。マリアンヌが歌で稼ぐのも、ヴァルガンが歌で頂点を目指すのも、全部自分たちの力で「何か」を勝ち取るため。
「ありがとな、ルミナス。話してスッキリしたわ」
「お礼なら高級プリンでいいわよ。じゃ、バイバーイ」
ルミナスは微笑み、光の粒子となって消えていった。
残されたタケルは、ひだまり荘の方向に顔を向けた。あそこにいる、傲慢な魔王。彼はすべてを支配しようとしているが、それは人々から思考を奪う飼育とは違う気がする。
だって、ヴァルガンの周りにいる人々は……みんな自分の意志で動き、生き生きとしているように見えるから。
「あいつは魔王だもんな。神様のルールなんて関係ないか」
タケルは立ち上がった。夜風が吹いたが、肌寒くは感じない。
誰かを救うために活動するマリアンヌを否定するつもりはない。だが、自分は自分のやるべきことに挑んでいくのみだ。
「よし、やるぞ! 神様が救わないなら、俺たちで世界をひっくり返してやる!」
タケルは力強く一歩を踏み出し、ボロ家へと戻っていく。
その背中は、公園に来た時よりも少しだけ大きく見えた。




