5. 豆知識:聖女のリバースは虹色キラキラ
ボロ家『ひだまり荘』に、あまりにも不釣り合いな光景が広がっていた。
金色の刺繍が施された純白の法衣に身を包んだ聖女、マリアンヌ。彼女の背後には、シスター風の衣装を着たアイドルユニット『ホーリー・エンジェルス』の少女たちが三人、廊下で待機している。
対するは部屋着のタケルと、パーカーに革パンといういつもの格好をしたヴァルガン。さらに男二人の生活臭溢れる数々の雑貨が、部屋のあちこちに置かれている。
「……少々、空気が淀み過ぎではなくて?」
マリアンヌは眉をひそめながら部屋の中へ入ってくる。その一歩一歩が、まるで泥沼に足を踏み入れるかのような慎重さだ。
「あ、すみません! こんな散らかっちゃって……!」
タケルは慌てて、書類や散らばった道具の山を隅に蹴りやった。
聖女がボロ家に降臨、普通ならありえない事態にパニック状態だ。
「改めまして……貴方がRE:Genesisのプロデューサーですね。わたくしはマリアンヌ、ご相談のため教会から参りました」
マリアンヌは汚い部屋への嫌悪感を瞬時に隠し、営業用の完璧なスマイルを浮かべた。その笑顔は眩しいほどだが、目は一切笑っていない。
「は、はじめまして、タケルです! ようこそお越しくださいました!」
「タケル、なぜ媚びる? 相手が誰だろうと堂々としていればよいものを」
「いきなり聖女様が来たら丁寧にするに決まってんだろ!」
奥でふんぞり返っていたヴァルガンが、不機嫌そうな反応をする。その声を聞き、マリアンヌの視線がゆっくりと魔王に向けられた。
「貴方が噂のアイドル、ヴァルガンさんですか」
マリアンヌは一歩近づく。
聖女としての鋭い観察眼で、この粗暴な男の本質を見極めようとしたのだ。
──ピシッ。
完璧な笑顔に亀裂が入った。
ヴァルガンと視線が合った瞬間、マリアンヌの脳内に警報が鳴り響く。いや、警報どころではない。魂のレベルで拒絶反応が起きたのだ。
(……え?)
聖女としての感知能力が、ヴァルガンの内側にあるものを捉えてしまった。人間の基準では考えられない、深淵よりも昏く、圧倒的で強大な……純度100%の邪悪。
かつて世界を恐怖で支配し、数多の命を刈り取った魔王の魂。血と死と破壊の匂いが、強烈な悪臭となって鼻腔を直撃する。
「……っ!?」
呼吸できなくなったマリアンヌの顔色がサッと青ざめた。
心臓が早鐘を打ち、胃袋が強烈な収縮を起こす。
(な、なんですか、コレは……!? 化け物……いえ、そんなレベルの代物ではありません……災厄……!?)
至近距離で浴びせられた魔王の邪気。
これまで清く正しく生きてきた聖女にとっては、致死量を超えた猛毒だった。
「う……ぷっ……」
マリアンヌがふらつき、口元を押さえた。
「あ、あの? マリアンヌさん? どうしました?」
「お……おぶっ……」
異変に気づいたタケルが声を掛けるも、返事はない。
マリアンヌが目を白黒させる。限界だ。耐えられない。生理的な拒絶反応が、理性を吹き飛ばした。
「おぼえええええええええええええっ!!!!」
「うわあああああ聖女様が吐いたァァァッ!?」
清廉潔白な聖女が盛大に吐いた。
しかも、ただの嘔吐ではない。口から勢いよく噴出したのは虹色に輝く光の粒子と、キラキラした星屑のようなマナの奔流だった。
「なんか綺麗!? えっ、聖女って汚物も聖なる物質なの!? これ大丈夫なやつ!?」
目の前で繰り広げられる神々しくも汚らしい光景に、タケルはツッコまずにはいられなかった。聖女はマーライオンのように勢いよく、虹色の何かを撒き散らし続ける。
「げぼっ……オエエエエエッ……キラキラキラ……」
マリアンヌのリバースが止まらない。ヴァルガンの邪悪さに当てられ、体内の聖なる力が過剰反応し逆流しているのだ。
「……なんだこの女は」
大抵のことには動じないヴァルガンが、心底嫌そうな顔で一歩引いた。
「挨拶代わりにゲロとは、最近の聖女は随分と前衛的だな」
「どう考えても違うだろ!」
「マリアンヌ様ーっ!?」
「エチケット袋と浄化魔法を、早く!」
「教会神聖水です、こちらをお飲みください!」
聖女の異変に、待機していた護衛の少女たちが部屋へ雪崩れ込んでくる。
狭い六畳一間は大パニックだ。少女たちがマリアンヌの背中をさすり、キラキラした何かを魔法で消去し、水を飲ませる。
その様子を見てタケルも慌ててタオルを差し出した。
「大丈夫ですか!? すみません、うちのアイドルがなんか……刺激的だったみたいで!」
「はぁ、はぁ……うう……」
マリアンヌは少女たちに支えられながら肩で息をしている。涙目でプルプルと震え、顔は真っ青だ。
彼女はタオルを受け取り口元を拭ったが、ヴァルガンの方を見ようとしない。いや、見れないのだ。今すぐ直視したらまた吐いてしまう。
「あ、ありえません……人の形をした災厄、歩く禁忌……いえ、存在自体が神への冒涜……」
「あのー……?」
タケルが恐る恐る声をかけると、マリアンヌはハッとして顔を上げた。
それからゆっくりと深呼吸を繰り返す。
(落ち着きなさいマリアンヌ。わたくしは聖女。どんな苦難も乗り越えてきた……)
彼女は必死に理性を総動員して、目の前の現実を処理しようとする。
──魔王だ。ここにいるのは間違いなく魔王クラスの怪物。
だが、そんなことはありえない。魔王は遥か昔に封印されたはず。現代の、しかもこんなボロ家で、部屋着姿のプロデューサーと一緒にアイドル活動をしている魔王?
(……意味不明です。そんな馬鹿な話があるとでも?)
マリアンヌの脳が、自己防衛のために事実を拒否した。
もしこれを魔王と認めてしまったら今すぐ国中に警報を出し、騎士団をはじめとした兵力を動員し、世界規模の戦いを始めなければならない。
そんなことになったらルミナ・シティは一瞬で火の海だ、教会のあらゆるスケジュールが破綻する。
(そう、きっとただの『ものすごく邪悪な雰囲気のおじさん』に決まっています)
彼女は無理やり自分を納得させた。
現実逃避、それは聖女にも許された心のシェルターである。
「……失礼しました」
マリアンヌは立ち上がり、乱れた法衣を整える。口元は少し汚れているが表情はキリッとした聖女モードに戻り、タケルたちに向き直った。
ただし、視線はヴァルガンから微妙に逸らしている。(吐かないために)
「あまりに強烈な個性をお持ちでしたので、つい体調を崩してしまいました」
「体調を崩したで片付けていいレベルでしたかね……?」
「オホン! 話を戻しましょう。本日はご相談……いえ、お願いがあって参りました」
「お願い、ですか?」
「はい。単刀直入に申し上げますが、次回の新人音楽祭を辞退していただけませんか?」
その言葉に、タケルは首を傾げる。
辞退。わざわざ聖女様が直接出向いて、なぜそんなことを?
「え、どうしてですか? 俺たち、エントリー済みですよ?」
「わたくしたちの出るステージに、貴方がたのような不適切な存在が並ぶと困るのです。教会の、ひいては神の顔に泥を塗る行為ですから」
「……はい?」
タケルは耳を疑った。不適切。泥を塗る行為。
オブラートに包んでいるようで、中身はナイフの塊みたいな暴言だ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 不適切ってひどくないですか!? 俺たちは真剣にアイドルやってるんですよ!」
「圧で周囲を従わせることがですか? 力でねじ伏せることがですか? そのような振る舞いはアイドルに相応しくありません」
「ぐっ……」
痛いところを突かれる。確かに、これまでの活動が物理寄りなのは一切否定できない。
「今回の音楽祭は、聖歌隊『ホーリー・エンジェルス』が出場します。その場に異物が混ざればイベント自体の格が下がり、悪影響が出かねません。ですから辞退していただきたいのです」
ニュアンスとしては『ウチのシマを荒らすな』と言っているのに近しい、聖女の口から出たとは思えない主張。だが、その目は本気だった。彼女にとって音楽祭は単なるイベントではなく、教会の威信をかけた舞台なのだ。
「これまでの活動記録も拝見しましたが、あんなものは『お遊び』です。プロとは結果と責任を伴うもの。表に立つ者としての自覚も、社会的な役割も果たしていない。ただ目立ちたいだけのエゴでしょう?」
タケルは唇を噛んだ。反論したいが、言葉が出てこない。
そもそも、この活動の始まりは『アイドルになって世界征服をする』というもの。原動力はトップを取りたいというエゴだ。誰かのため、社会のためにという高尚な理念はない。
「フン。随分と偉そうな口を利く小娘だ」
話を黙って聞いていたヴァルガンが、ゆっくりと立ち上がった。
マリアンヌがビクッと反応して後ずさる。
「格? 神? くだらん。民が熱狂すれば、それが正義だ。貴様らの神ごとき、我の歌で吹き飛ばしてやろう」
「なっ……!?」
彼女の顔が真っ赤になる。恐怖よりも、信仰心を傷つけられた怒りが勝った。
「か、神ごときですって!? なんて不敬な……! 取り消しなさい!」
「断る。我に指図するなど百年早い」
「「「聖女様への無礼、許しません!」」」
護衛の少女たちが一斉に武器を構えた。
マイクに見せかけたトゲ付きメイス、刃のついたタンバリン、そしてメリケンサック。
「「「それ以上侮辱するなら、浄化いたします!」」」
「殺る気満々じゃねーか!? 待って! 暴力反対!」
狭い部屋が一触即発の戦場と化し、タケルが悲鳴を上げる。
ここで乱闘騒ぎになったら音楽祭どころか即逮捕だ。
「……おやめなさい。野蛮な真似をしては、この方々と同じレベルになってしまいます」
マリアンヌは息を吐いて、怒りを鎮めた。
彼女は武器を構える少女たちを片手で制し、冷ややかな目でタケルたちを見据えた。
「仕方がありませんね。貴方がたと違い、わたくしたちの活動にどんな価値があるか。その『現実』を見せて差し上げましょう、ついて来なさい」
「えっ、どこに行くんですか?」
「来ればわかります。そこに、わたくしたちがアイドルとして成すべき役割があります」
マリアンヌはくるりと踵を返し、扉の方へと歩き出す。彼女の背中は先ほどまでの高慢さとは違う、何か重いものを背負った使命感を漂わせていた。
拒否権はない雰囲気だ。タケルとヴァルガンは顔を見合わせ、しぶしぶ聖女の後を追うことになった。だが、タケルは心の中で一つだけツッコミを入れていた。
(マリアンヌさん、口元にまだキラキラしたの付いてますよ……)




