4. 不協和音の果てに、聖女は来たる
数日後。
タケルの懸命な説得(という名の頼み込み&付き添いのガルドによる圧)で、レオンは再びギルド倉庫のスタジオ(仮)に戻ってきた。ただし、露骨に不満そうな表情で。
「……とりあえず形にはしたぞ」
レオンはタケルたちに背を向けたまま、ピアノの前に座る。
手に持っていたのは、五線譜がびっしりと書き込まれた楽譜。姿を見せなかった間にも作業を進め、仕上げてきたことがわかる。
「文句ばっか言われんのも癪だからな。テメェらが欲しいと言ってた重厚さとドラマチックさ、全部詰め込んでやったよ」
投げやりな言葉と共に、演奏が始まった。
ジャーン……。
重々しい和音からスタートするイントロ。
技術的には完璧だった。複雑な進行と転調。緩急をつけ、盛り上げながら展開するメロディライン。音楽祭の審査員が聴けば「素晴らしい構成力だ」と高得点をつけるだろう。
隙がなく、破綻もない。だが冷めていた。
(……違う)
タケルは眉をひそめた。確かに上手い。でも、心が動かない。
宝石箱を見せられているのに、肝心の中身が空っぽのような感覚。そこにはヴァルガンの覇気もなければ、レオン自身の渇望もない。
ただ、発注通りの要件を満たすために組み上げられた音のパズル。クオリティ自体は上がったのに、酒場で聞いたあの演奏からはさらに遠ざかったようにさえ感じられた。
「一応聞くけどよ。これで完成なのか?」
「そうに決まってんだろ。これ以上、何を足せって言うんだ? 音は限界まで増やして、転調も多い。ちゃんと厚みがあってドラマチックな構成だろうが」
首を傾げながら尋ねるガルドに対し、レオンは淡々と答える。その目には「これで文句ないだろ」という微かな苛立ちが混ざっていた。
「ふむ。上手いな、実に上手い。だが、それだけだ」
「……あぁ? 何が言いたいんだ、テメェ」
「貴様の自己満足を見せつけられて、つまらんと思っただけだ」
演奏を聞き終えたヴァルガンのコメントは、前回よりもさらに容赦がなかった。数日経って何か変わるかと思ったら、より退屈になっていたという失望を隠そうともしない。
「貴様はこの曲を作っている間、一度でも我を思い浮かべたか?」
「……」
「この旋律は『自分はこれだけ難しいことができる』と言うための羅列だ。技術を披露することに囚われていたのだろう?」
ヴァルガンの指摘に、何も言わない。あらゆる言葉に反論してきたレオンが、俯いて手を握りしめている。
「着飾れば良いというものではない、相手に合わせた装飾が必要だ。貴様は、厚化粧をしたドラゴンを見て『美しい』と評するのか?」
「……ッ! う、うるせぇ! 素人の分際で、知ったような口を利くなッ!」
レオンが椅子を蹴り倒して立ち上がった。呼吸は荒くなり、怒りと動揺で手を震わせている。
「俺がどれだけ苦労して、このバランスを成立させたと思ってる! テメェの無茶な要望を、音楽として成立させるために頭を使ったんだぞ……!」
「貴様が頭を使ったのは『自分を評価しろ』という部分でしかない。ゆえに、心が動かぬと言っているのだ。こんな抜け殻のような曲、価値もない」
ヴァルガンは冷酷に言い放ち楽譜を奪い取ると、その指先に小さな炎を灯した。
チリッ……と紙が焦げる音が倉庫に響く。
「やめろッ!」
悲鳴のような声を上げ、ヴァルガンの手から楽譜をひったくるように奪い返した。焦げ跡がついた楽譜を抱きしめ、レオンは肩を震わせる。
「ふざけんな、俺の曲だぞ……! 俺が作った、俺の……!」
「ならば、もっとマシなものを作れ。今の貴様の曲には、血が通っていない」
「うるせぇッ!!」
レオンの怒号が響いた。それは単なる癇癪ではない。数日かけて懸命に考えた曲とアイデンティティそのものを否定されたことへの、絶望に近い叫びだった。
「やめろ、ヴァルガン! やりすぎだ!」
見かねたタケルが間に割って入ると、ヴァルガンは鼻を鳴らして指先の炎を消した。このままでは完全に決裂してしまう。だが、それと同時にレオンの曲が抱える問題点は、タケル自身も感じていたことだった。
「……正直な感想を言うと、俺もヴァルガンと同じ気持ちです。綺麗だけど、RE:Genesisのための曲かと言われると……しっくり来ていません」
穏便に進めるなら、一旦受け入れるべきかもしれない。しかし、違うものは違うと言わなければ意味がない。プロデューサーとして、落とし所はしっかり探らなければならないのだ。
「あの酒場で聞いた時の演奏と、この曲は全然違う印象を受けました。なんというか、無理に形にしているような……」
「もういいッ!」
レオンは強引に話を切り上げると、涙目で睨みつけた。
「テメェらの道楽に付き合った俺がバカだった。金なんていらん、契約終了だッ!!」
レオンは楽譜を胸に抱いたまま、スタジオ(仮)を飛び出してしまった。その場に残されたのは、気まずい沈黙。
「……あの様子からすると、今回は修復不可能かもしれません」
「あいつ、本気で傷ついてたぞ」
タケルはドアの方を見つめたまま、動けなかった。今、追いかけて説得しようとしたところで逆効果だと自覚があったからだ。
(この音楽の違和感、原因は一体なんなんだ……?)
酒場で聴いた演奏、あれは本物だった。あの音色を出せる人間を切り捨てて、他に誰を選べというのか。しかし、実際に作ってきた曲は噛み合わない。
チームとしての機能不全。音楽祭は刻一刻と迫っているのに、曲どころか作曲家さえ失ってしまった。
*
その日の夜。ボロ家『ひだまり荘』は重苦しい空気が漂っていた。
タケルとヴァルガンはちゃぶ台を挟んで向かい合いながら、雑貨屋の特売で買った安売りのパンと具のないスープを食べていた。
「はぁ~、どうしたらいいんだろうなぁ……。何かレオンさんの中に引っかかりがあるんだろうけど、解決方法が見えない……」
「フン。我の要望に応えられんのが悪い」
「でも、やり方ってもんがあるだろ!」
「事実を伝えたまでだ。それに、あやつ自身もわかっていたのだろう。自分の曲が『死んでいる』ことをな」
ヴァルガンの言葉は鋭かった。
確かに、レオンのあの激昂の仕方は異常だった。痛いところを突かれたからこそ、過剰に反応したようにも見えた。
「……だとしても、このままじゃ前に進めないって」
タケルは頭を抱えた。
才能のピースは揃っているはずなのに、バラバラに散らばってしまっている。どうすればいい、どうすればこのピースを繋ぎ合わせられる?
──カラン、カラン、カラン。
その時、どこからともなく清らかな鐘の音が聞こえてきた。夜だというのに朝焼けの光が差し込むような、清らかな気配が近くから漂ってくる。
「……む?」
ヴァルガンが食事する手を止めた。
鋭い眼光で、玄関のドアを睨みつける。
「なんだ、この鼻につく清浄さは……」
魔王の全身から警戒心が滲み出る。ただの客ではない。彼が本能的に忌避する「聖なるもの」が近づいている。
ボロアパートの薄汚れた空気が、その存在によって強制的に浄化されていくような違和感。ヒールで階段を上がる音が近づき、ドアの前で止まった。
コンコン。
控えめだが、拒絶を許さない響きのノック音。
「こんばんは。夜分遅くに失礼いたします」
扉の向こうから響いたのは、柔らかな雰囲気の女性の声。
当然、二人はこんな声を聞いた覚えはない。
「……どなたです?」
「わたくしは聖アイディール教会の聖女、マリアンヌと申します。少々お時間よろしいですか?」
(へっ? 聖女様が、なんでこんなところに……?)
タケルが恐る恐る尋ねると、扉の向こうから答えが返ってきた。開けてはいけない気がする。だが、開けないわけにはいかない。
ドアに近づき、ゆっくり開くと──そこには月明かりを背負い、純白の法衣をまとった聖女が慈愛に満ちた微笑みを浮かべて立っていた。
「ごきげんよう。とても大事なご相談があり、お伺いしました」
聖女の来訪。
それは混迷する事態をさらなるカオスへと突き落とす、新たな嵐の予兆だった。




