5. アイドルのレッスンは芋ジャージから
翌朝。タケルは小鳥のさえずり……ではなく、魔王ヴァルガンのいびきによる振動で強制的に目覚めるハメになった。
「ふわぁ……今日はバイト探しだなぁ……ん?」
重い瞼を擦りながら、薄い煎餅布団から身を起こす。すると、枕元に見覚えのない白い封筒が置かれているのに気づいた。
差出人の名前はないが、封蝋の代わりに押されたスタンプには『神界事務局・異世界支援課』というふざけたロゴがある。
「……なんだこれ?」
封筒を開けると中には数枚の紙幣と、手書きのメモが入っていた。
『呼び出し手当よ、毎日支給するから感謝しなさい。あ、この世界の通貨は『ルマ』ね。1ルマ=1円くらいの感覚で使うように。 byルミナス』
タケルは紙幣を数えた。五千ルマ、つまり五千円。この世界の物価はまだよくわからないが、成人男性二人の一日の食費&生活費としてはあまりにも心許ない。
「ケチくせえ……! 予算ありません感、ここまで表に出すなよ!」
タケルは悪態をつきながら、それでもありがたく財布にしまった。背に腹は代えられない。裕福とはいかないが、これで最低限の生活はできる。
(今すぐバイトしなきゃヤバい! って状況じゃなくなったし、そうなると……まずはアイドルとしての素質がどれくらいあるか、魔王様をテストしてみるのがいいか。何をするにしたって、確認しなきゃ始まらないし)
タケルは頭の中で、どんなメニューをこなしてみるか組み立てていく。大学時代、アイドルの仕事に少しでも関わりたいと考え、地下アイドルスタッフとしてバイトした経験を活かす日が来た。
バイトなのに歌・ダンス・ビジュアルのレッスン計画やイベント稼働、プロモーションまでやらされた苦行の意味はこういう時のためにあったのだ!(と考えることで理不尽なブラック経験を納得させることにする)
タケルは台所へ向かい、備え付けの魔導冷蔵庫を開けた。中にはルミナスが買い置きしていたであろう食材──パンと、少しばかりの肉と野菜が入っている。
手早く朝食を用意しテーブルに並べたところで、隣の部屋から地鳴りのようないびきが聞こえてきた。
「魔王様! 起きてください! 今日からレッスンですよ!」
「ぬ……? もう朝か。……ふぁ〜あ」
魔王ヴァルガンが大あくびをする。それだけで部屋の障子がビリビリと震えた。タケルは手早く着替えを済ませると、昨日衣装召喚チケットから出た一着の服をヴァルガンに投げ渡した。
「今日はこれを着てください」
「なんだ、この安っぽい布は」
「ジャージです。アイドルにおける伝統的な修行着ですよ」
「こんな珍妙なものが? ……修行着なら、仕方あるまい」
それは蛍光グリーンの、いかにもなデザインをしたダサい芋ジャージ。ヴァルガンは渋い顔をしたが、修行着と言われては断れない性格らしい。渋々袖を通した……が、案の定サイズは全く合っていない。
上着のファスナーは胸筋の厚みで閉まらず、ズボンは太腿の筋肉でパツパツになり、長さが足りず七分丈になっている。見た目は無理して昔の服を着た休日のプロレスラーだ。
「さあ、ご飯を食べたら行きますよ! まずは基礎レッスンです!」
「うむ。して、訓練場はどこだ? やはり地下闘技場か?」
「いいえ、公園です」
タケルは爽やかに言い放った。支給されたとはいえ極貧生活、練習するための場所代を支払う余裕など1ルマたりともないのだから。
*
ボロ家から徒歩五分。滑り台や砂場があり、子供たちがキャッキャと遊ぶ平和な公園。ママさんたちがベンチで井戸端会議をし、鳩がのんびりと地面をつついている。そんな平和な空間に、異物──ゴツい魔王が侵入した。
「ここで訓練をするのか? 随分と平和ボケした空気が漂っているな」
ジャージ姿の巨漢が、仁王立ちで公園を見渡す。その異様な威圧感にママさんたちの会話がピタリと止まり、鳩が一斉に警戒態勢に入った。
「開放感があっていいでしょう? さあ、まずは発声練習……ボイトレから始めます!」
タケルは周囲の視線を気にすることなく、ヴァルガンの前に立って指示を出す。
「アイドルの基本は歌声です。お腹から声を出して、遠くの人に届けるイメージで! 喉ではなく、魂で歌うんです!」
「容易いことだ。戦場において、全軍に号令を届かせるのは将の務め。イメージは『全軍突撃』だな? いくぞ」
ヴァルガンは大きく足を開き、深く息を吸い込んだ。周囲の大気が、掃除機のように彼の肺へと吸い込まれていく。
「あ、いや、突撃じゃなくて愛を届け──」
タケルの訂正は間に合わなかった。ヴァルガンの口が、カッと開かれる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
ドンッ!!!!!!
衝撃波が発生した。これは歌声ではない、物理攻撃だ。タケルは鼓膜が破れるかのような感覚を覚えた。いや、実際にキーンという耳鳴りが止まらない。
周囲の被害も甚大だった。公園の木々の葉が一瞬にして全て落ち、枯れ木のような姿になった。池の水面が爆発したように跳ね上がり、気絶した魚たちが白い腹を見せてプカプカと浮く。
そして何より──
「ぎゃああああああん!!」
「うあああああママああああああ!!」
遊んでいた子供たちが泣き叫び、ママさんたちが耳を押さえて逃げ惑う阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「クハハ、この感覚も懐かしい! ではもう一度──」
「ストップ! ストォォォォップ!! 人が死ぬ! 声量オバケか貴方は!!」
「ぬ、なぜ止める? まだ本気の3%も出していないぞ?」
「3%でこれ!? 100%出したら国が滅ぶわ! ボイトレでジェノサイドする気ですか!?」
「……ふむ。『アイドル』とは、随分と繊細な技術が求められるのだな」
ヴァルガンは首を傾げた。その様子に全く悪気はない。彼はタケルの指示通り、真面目に遠くまで届く声を出しただけなのだ。
「い、一旦発声練習は中止です! 次はダンス、身体を動かしましょう!」
「うむ。身体を使うことならば我の得意分野だ」
「アイドルはステップが命。軽やかに、リズムに乗って! ワン、ツー、ワン、ツー!」
気を取り直してダンスレッスンへ移行し、タケルはお手本として左右に動く軽快なアイドルステップを踏む。
「こうか?」
ヴァルガンが見様見真似で足を上げて、踏み下ろす。
ズガンッ!!
地面が揺れた。
「え?」
バキィッ!! ドスンッ!!
ステップを踏むたび地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、クレーターのように陥没していく。軽やかさゼロ、重戦車の行進だ。
「ちょ、待った待った待った! 四股じゃないんだよ! 地震速報出るわ!」
「ぬう……。貴様の動き、見た目以上に足腰のバネが必要なようだな。地面が豆腐のように脆い」
ヴァルガンは自分の足元を見て眉をひそめた。彼の筋力に対して、公園の地盤が脆弱すぎたのだ。あちこちが穴だらけになっている。
「脆いのは魔王様の加減です! もっとこう、ふわりと! 妖精のように!」
「妖精……? 羽虫のように飛んで毒を撒く害虫のことか?」
「この世界の妖精の概念エグい!」
「おい貴様ら! そこで何をしている!!」
タケルがツッコミを入れていると、遠くからけたたましい笛の音が聞こえてきた。駆けつけてきたのは、銀色の鎧を着た数名の男たち。ルミナ・シティの治安を守る警備兵──下級騎士たちだ。
「通報があったぞ! 『謎のモンスターが出現して暴れている』とな!」
「モンスターだと……?」
ヴァルガンは煩わしそうに眉をひそめた。騎士の一人が、ヴァルガンを指差して叫ぶ。
「その緑色の奇妙な服……さては新手の蛮族か? 筋肉ダルマめ、神妙にお縄につけ!」
「下郎が。誰に向かって口を利いている? ……死にたいようだな」
ヴァルガンの瞳が、どす黒く濁った。その瞬間……空気が凍りついた。先ほどまでのコミカルな雰囲気は消え失せ、本物のプレッシャーが公園を支配する。ヴァルガンが一歩踏み出すだけで、騎士たちが「ひっ!?」と怯えて後ずさった。
(マズい、このままじゃ大惨事だ! 荒事だけは絶対に避けないと!!)
「す、すみません! これは違うんです!」
タケルは騎士たちの前に飛び出し、両手を振った。
「これは『前衛的パフォーマンス』の練習なんです! そう、彼は……えっと、外から来た凄腕のアーティストで!」
「パフォーマンスだと? 地面を破壊し、騒音を撒き散らすのがか!?」
「そ、そうです! 破壊と再生のアートです! でもちょっと張り切りすぎちゃって! あはは!」
タケルは乾いた笑いを浮かべながら、後ろ手で魔王のジャージの裾を引っ張り小声で話しかける。
「ほら、逃げますよ! これ以上はマズいです!」
「なぜだ? あの程度の雑兵、指先一つで消し炭にしてくれる!」
「ダメです! アイドルは一般人と喧嘩しちゃいけないんです! 気に食わない相手を消し炭にするアイドルなんて、ウケませんよ!」
「くっ……これも修行の一環というのか!?」
「というわけで、失礼しまーす!」
「なっ!? こら、待てぇぇぇ!!」
タケルはヴァルガンの腕を強引に引き、ダッシュで公園の出口へと走った。騎士たちの怒号を背に、二人は路地裏へと消えていく。
「はぁ、はぁ……くそっ、覚えていろよ騎士ども……! いつかドームの最前列で、サイリウムを振らせてやるからな……その時は土下座してチケットを懇願するがいい……!」
「……軍師よ。その態度は小物臭すぎるぞ」
ヴァルガンは呆れたようにタケルを見下ろしたが、その口元は少しだけ楽しそうに歪んでいた。こうして、最初のレッスンは公園破壊&不審者認定という結果で幕を閉じたのだった。




