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18. 祭り前夜、星は地上に降り立つ

 夏祭り前日、ルミナ・シティの外れにある広場は本番に向けた準備の喧騒に包まれていた。

 ずらりと並んだ屋台からはソースや香辛料の香ばしい匂いが漂い、職人たちが最後の仕上げに金槌を振るう音が、祭囃子のようにリズミカルに響く。

 タケルたちは明後日の後夜祭で使う機材の搬入を手伝っていた。ガルド率いる冒険者たちが力仕事を引き受けてくれているが、自分たちも手を動かさずにはいられなかったのだ。


「いい雰囲気ですねぇ……。この空気だけでご飯三杯いけますよ」


 タケルはくんくんと鼻をひくつかせ、深呼吸をした。

 祭りの前の高揚感、非日常への入り口。張り詰めた糸のような緊張感と、解放を待つエネルギーの予感。このワクワク感は何度味わっても飽きない。


「出陣前の宴に似ているな。兵士たちの血が滾る匂いがする」


 ヴァルガンもまた、どこか楽しげに周囲を見渡している。魔王にとって戦場と祭りは同義語なのかもしれない。

 その時、タケルは屋台の並びに立っている見覚えのある少女を見つけた。

 ニット帽を目深に被り、顔の半分ほどを覆うような大きな黒縁眼鏡をかけた地味な服装。彼女は屋台の軒先でアイスクリームを真剣な眼差しで選んでいる。


「あれ? エトルさん!」


 タケルが声をかけると、少女──エトルはピクリと反応し、振り返る。その手には買ったばかりのワッフルコーンアイスクリームが握られていた。


「あ、タケルさんにヴァルガンさん! お久しぶりです」


 エトルは手を振りながらニコニコと駆け寄り、タケルとヴァルガンに挨拶する。


「また会えて嬉しいです。エトルさんも、祭りの準備で来たんですか?」

「いえ、視察も兼ねて一足先にお祭り体験です。ほら、祭り当日だと混んで自由に楽しむ時間が少ないでしょう?」

「あはは、確かに。ちょっとわかります」


 エトルはアイスクリームを食べながら答えた。その仕草は無邪気そのものだが、不思議と立ち姿には隙がない。

 雑踏の中で人とぶつかることもなく、自然と自分のパーソナルスペースを確保している。まるで、人混みの方が彼女を避けているかのように。


「でも、一番楽しみなのは明後日の後夜祭ですね。RE:Genesisのライブ、期待してます」

「えっ、もう知ってるんですか!? 告知したばかりなのに!」

「アイドル好きとして、これくらいの情報収集は当然です」


 エトルは悪戯っぽく眼鏡を押し上げた。レンズの奥で、瞳がキラリと光る。


「審査ライブでタケルさんが倒れたと聞いて、心配だったんですけど……元気そうでよかったです」

「うっ……お恥ずかしい限りです。ご心配おかけしました。でも、もう大丈夫です!」


 タケルは恐縮しながらも、胸が熱くなった。

 こんなにも自分たちのことを見てくれているファンがいる。しかも、あの失態も含めて肯定してくれている。なんて熱心なファンなんだ!


「絶対、期待に応えます。明後日は最高のステージにしますよ!」


 二人が会話する横で、ヴァルガンは無言でエトルを見据えていた。

 タケルには「ただの純朴なファン」に見えているかもしれない。だが、魔王としての研ぎ澄まされた勘が激しい警鐘を鳴らしている。


 この小娘から漂う気配。やはり、ただの魔力ではない。何万もの視線を浴び、期待という重圧を跳ね返し、頂点に立ち続ける者だけが纏う覇気。


「……貴様」


 ヴァルガンが一歩踏み出すと、威圧感で周囲の空気がピリつく。だが、エトルは動じない。アイスクリームを味わいながら、小首をかしげただけだ。


「ただの観客にしては、随分と場慣れしているな」

「あれ、そうですか? いたって普通の女の子ですよ」


 エトルはクスクスと笑った。眼鏡の奥の瞳がスッと細められる。

 一瞬、周囲の雑踏音が遠のいた。祭りの喧騒が消え失せ、二人だけの空間が構築されるような錯覚。


(……この小娘、やはり只者ではないな。巧妙な認識阻害魔法が展開されている。我が注視しなければ判別できないレベルの、精密な魔力コントロール……)


 ヴァルガンは内心で舌を巻いた。

 一般人なら何も察知できないレベルで、自然と「エトル」という地味な少女がそこにいると認識させられてしまう高度な魔法。これだけの芸当ができるのなら、堂々と街を出歩いて騒ぎにならないわけだ。

 そして何より、魔王の眼光を正面から受けても微塵も怯まないその胆力。


「面白い。明後日の我のステージ、存分に見届けるがいい」


 ヴァルガンの宣言は、ファンへのサービスではなく好敵手への宣戦布告。


「ええ、もちろん。楽しみにしてますよ、ヴァルガンさん」


 エトルもまた、余裕の笑みを返した。

 その笑顔は、タケルに向けた親しみやすいものではない。同じ高みに立つ者だけが交わす、冷たくも美しい微笑み。


「では、私はこれで。食べ歩きの続きに戻りますね」


 エトルは「じゃあ、また」と軽く手を振り、軽やかな足取りで去っていった。その背中は、雑踏の中に溶け込むようでいて、決して埋もれることのない不思議な存在感を放っていた。


「いい子だなぁ……。あんな子がファンだなんて、俺たち恵まれてますよ」

「貴様は本当に鈍いな」

「へ? 何がですか?」

「いや、いい。……獲物は大きいほど狩りがいがあるというものだ」


 ヴァルガンはエトルが消えた方向を睨みつけたまま、拳を握りしめた。

 予感があった。あの女とは、いずれ戦うことになる。それも、そう遠くない未来に。この世界という巨大なステージの覇権をかけて。


 祭りの前夜。

 星は密かに地上に降り立ち、魔王と静かに対峙した。

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