9. 寝ずに作業すればいけると誰かが言ってた(幻聴)
午前中、冒険者ギルドのクエストボード前。
タケルは魔導端末の画面を見つめながら、明るい声で言った。
「よし、依頼十件達成。ノルマまでもう少し……このペースなら、期限には確実に間に合います!」
ノルマは残り五件、期日まで残り十三日。目の下のクマはかなり濃くなっていた。明らかに疲れていると顔を見るだけで伝わるが、その瞳だけは異様な輝きを放っている。
カフェインと達成感、そして「あと少し」という希望がタケルを突き動かしていた。
「貴様の采配おかげだな。この状況なら、少しペースを落としてもよいのではないか?」
「あ~……確かに。多少余裕はできましたからね。じゃあ、次の依頼をやったら休むってことにしましょうか」
タケルは次のBランク依頼書を掲示板から取ろうと手を伸ばす。
ピロリン♪
その時、魔導端末の通知音が鳴った。
画面に表示された差出人を見て、タケルの心臓が嫌な音を立てた。
『ルミナ・シティ夏祭り実行委員会』
件名:【重要】審査プロセスの変更について。
「……変更?」
震える指でメールを開く。そこに書かれていたのは、死刑宣告にも等しい文字列。
『本年度より応募者多数のため、最終審査に加え「事前審査ライブ」の実技試験を追加いたします。
日時:五日後
場所:中央広場特設ステージ
※欠席の場合は辞退とみなします』
「い、五日後ぉぉ!? 急すぎるだろ!!」
思わずタケルは絶叫した。あまりの衝撃に、膝から崩れ落ちそうになる。
「タケルさん……! 審査プロセスの連絡、見ましたか!?」
愕然としているタケルたちに、慌てた様子でセレイナが声をかけてきた。
「はい……なんで、こんな急に……!?」
「……正直に言うと、不自然な変更です。最終審査があるのに、事前審査をさらに追加。しかも、人によっては通知されてから準備するのが厳しいタイミングです」
「フン、わかりやすいものだ。裏で何かが動いたわけだな」
ヴァルガンはそういうことか、と理解したように鼻を鳴らした。
「準備が既に終わっている『誰か』が確実に合格できる策。しかも表向きの理由としては納得できるもの。したたかな奴だ」
「……そういった意図があっても不思議ではありません。しかし、応募者多数なのは事実ですから、受け入れざるを得ないです」
「ギルド依頼もまだ残ってるのに、ライブ準備もしなきゃいけない……」
過密スケジュールの彼らにとって、これは致命的な一撃だった。余裕ができたのは、あくまで『このペースでギルド依頼を達成すれば』というのが前提。
タケルの想定ではギルドの依頼をほぼ片付けてから、最終審査に間に合うようライブの準備を本格的に進めるつもりだった。ヴァルガンのレッスンはしているが、選曲や振り付けなど本番想定の用意は追いついてない。
(どうする、どうする、どうする……!? どうすれば、解決できる……!?)
タケルの脳内で、思考が高速回転する。
ギルド依頼は止められない、スポンサー契約の絶対条件だ。これを落とせば推薦状は貰えない。事前審査を優先して一時的に依頼を止める?
いや、ダメだ。スムーズに進む依頼が残るとは限らない。後回しにした場合、日数がかかる依頼が来てしまうとその時点でアウトになる。だが審査ライブを無視すれば、夏祭りの道は閉ざされる。どちらも必須、しかし時間は有限。
(無理だ、両方は回せない……。どう考えても物理的な時間が──)
そこまで考えた時、タケルの脳裏に選択肢が浮かんだ。
撤退。来年に持ち越す。今回は諦める。
それが一番賢い選択だ。セレイナに伝えれば「こんな状況になったら仕方ない」と、きっとそう言うだろう。
(……嫌だ)
タケルは唇を噛み締めた。
ここまで来たんだ。泥水をすするような思いをして、それでも這い上がって、ようやく掴みかけたチャンス。
ここで引いたら、ヴァルガンの『今』を逃してしまう。次にこのチャンスが来るのはいつになる?
(やるしかない。……俺が被ればいいんだ)
タケルの中で、何かが焼き切れた音がした。
完全分業制。Bランク依頼の調査と準備はあらかじめ済ませる。調べた内容を事前に打ち合わせして、ヴァルガン一人でも依頼に対応できる流れを作る。自分は裏でライブの準備をすべて終わらせる。
ヴァルガンだけで進めるのが難しい依頼は手伝う。これなら両立できる、自分の睡眠時間をゼロにすれば計算上は間に合う。
「……ヴァルガン!」
タケルはバッと顔を上げた。その目には、狂気じみた決意が宿っていた。
「作戦変更です、ヴァルガンは残りの依頼に集中してください。俺は別行動で、審査ライブの準備を進めます!」
「待ってください、正気ですか? このスケジュールなら撤退を──」
「大丈夫です! 俺には魔法がありますから!」
「む? いつの間に魔術を学んだのだ?」
「あはは、比喩ですよ比喩! 俺に任せてください、完璧なステージを用意しておきますから!」
タケルは笑顔で答えた。絶対、ヴァルガンに心配させてはいけない。アイドルを輝かせるために力を尽くすのがプロデューサーの仕事だと、自分に言い聞かせていた。
*
そこから先は、地獄のワンオペが始まった。
一日目深夜。
ボロ家の机の上には、大量の楽譜と本が散乱していた。
審査ライブで歌うカバー曲の選定作業だ。審査員の心証を良くしつつ、ヴァルガンの魅力を最大限に引き出す楽曲を選ばなければならない。
「審査員の年齢層を考えると、少し古めの曲にすべきか……? 一番やりやすいのはあくび亭でやった曲だけど、同じじゃ幅がないと思われるかも……やっぱ新曲で……」
タケルはブツブツと独り言を呟きながら、ノートにペンを走らせた。
睡魔が襲ってくるたびに自分の頬を強くつねり、痛覚で意識を繋ぎ止める。
二日目昼。
ヴァルガンが単独で依頼に向かっている間、タケルは街中でビラ配りをしていた。審査ライブには観客動員数も評価に含まれる。少しでも人を集めなければならない。
「審査ライブ、やります……。来てね、絶対来てね……」
炎天下の中、タケルは死んだ魚のような目で、ゆらゆらとビラを差し出していた。声は掠れ、足元はおぼつかない。通行人たちは「ひっ」と怯えて避けていくが、タケルは気づかない。
頭の中にあるのは一人でも多くという強迫観念だけだ。
三日目深夜。
衣装の直し、MCや振り付けの作成、演出プランの練り直し。
タケルの横には、怪しい色の液体が入った空き瓶がタワーを作っていた。路地裏の薬屋で買った『安眠打破ポーション』だ。眠気を吹き飛ばし、さらに体力回復効果まで備えた一品。寝る時間が足りないなら、無理やり補えばいい。
「……うぷっ。まずい……でも効く……」
三本目を飲み干し、作業に戻ろうとしたが……視界が歪み始める。
「……あれ? 太陽が二つ? ……ああ、天井のシミか。ハハハ、シミがヴァルガンの顔に見える……応援してくれてるんだな……」
幻覚と現実の区別が曖昧になり始めた。壁の木目が動いて見える。ペンの音が話し声に聞こえる。だが手は止まらない。止まったら終わる。止まったら、ヴァルガンのチャンスが消える。自分がやりきればチャンスを掴める。
「やらなきゃ……俺がやるんだ……ヴァルガンを、ステージに……」
四日目早朝。
ガチャリ。
ドアが開き、ヴァルガンが帰宅した。タケルに任された魔物討伐を終えてきたのだ。
「戻った。依頼はちゃんと終わらせたぞ。……む?」
部屋の中は綺麗に片付けられていた。徹夜の痕跡は消してある。
タケルは台所に立ち、完璧な笑顔で振り返った。
「お帰りなさい、お疲れ様でした! こっちも準備万端ですよ」
声は明るい。だが、その顔色は蝋人形のように白く、目の下のクマは隠しきれないほど濃くなっている。そんなタケルの姿を見て、ヴァルガンは眉をひそめた。
「タケル。貴様、寝ているのか?」
「短いですけど寝てますよ。夢も見ないくらい爆睡です」
心配させないための嘘。ライブの準備、書類手続き、依頼の事前チェックで徹夜続き。限界が来ると倒れるように数時間の仮眠を取り、無理やり動き続けている。
当然、ゆっくり休むことはできていない。寝すぎてしまったらすべて終わるという恐怖とプレッシャーで勝手に目が覚めてしまうのだ。
タケルはコーヒーを淹れようとカップを持ち上げた。その時。
パリン!
手が滑り、カップが床に落ちて砕け散った。握力がなくなっていたのだ。
「あ……」
「……」
「あはは、滑っちゃいました! ドジっ子属性の追加ですかね? すみません、すぐ片付けます」
タケルは強引に誤魔化し、震える手で破片を拾い集める。指先から血が出ても痛みを感じない、感覚すらも鈍っている。
ヴァルガンは無言でそれを見つめていた。疑念は確信に変わっている、こいつは寝ていない。限界を超えている。
(だが、この嘘を暴いてしまってよいのか?)
タケルが必死になっているのは、自分をステージに立たせるため。今ここで「嘘をつくな」と指摘するのは、彼が積み上げた努力を否定することになるのではないか。ここまで来て「やめろ」と言う権利が自分にあるのか。
そう思ったヴァルガンは──
「……そうか」
短く答え、目を逸らした。
その言葉はタケルにとって救いであり、そして残酷な許しとなった。
「ライブ準備はほぼ終わったので心配しないでください。今日の依頼、一緒にこなして万全の状態で審査に向かいましょう!」
タケルの笑顔は今にも崩れ落ちそうなほど脆く、痛々しかった。




