8. 女神の差し入れはお説教つき
ルミナ・シティの公園。
午前のBランク依頼──暴走したトレントの伐採──を終え、次の現場へ向かうまでの僅かな隙間時間。タケルは公園のベンチに座り、ぐーっと背伸びをした。
「よーし……! これでノルマ半分突破!」
タケルは魔導端末のスケジュール表に『済』マークをつけながら、満足げに笑った。Bランクの依頼は八件をクリア、残り日数は十六日。
目の下には薄くクマができているが、目は爛々と輝いている。疲労感よりも達成感が上回っている状態だ。
「この調子なら絶対間に合うぞ。俺のスケジュール管理能力、完璧すぎる……!」
休憩しつつ自画自賛するタケルの耳に、奇妙な音が届く。
「アアアアア〜〜〜〜!!」
公園の噴水の方角から聞こえる重低音の発声練習。ヴァルガンだ。「声を整える」と言って、通行人を威圧しながら喉を温めている。
「タフだなぁ、魔王様は。俺も負けてられないな」
タケルが気合を入れ直そうとした、その時。
カサッ。
隣に誰かが座る気配がした。
「はい、これ」
目の前に差し出されたのは湯気の立つ紙コップと、紙包みに入った食事らしき何か。
「え? あの、どちら様……」
タケルが顔を上げると、隣に座っていたのは深めに帽子を被りワンピースを着た女性だった。彼女が帽子を少しだけめくると、サラサラの金髪が風に揺れた。
「よっ。相変わらず忙しそうね」
「ルミナス!? なんでここに!?」
タケルは驚いて声を上げた。女神ルミナスがカジュアルな服装でベンチに座っている。羽もないし、神々しい雰囲気は皆無。ただの一般人にしか見えない。
「現地視察よ。月に何回かは降りられるの」
「……サボりか?」
「視察。書類上は『担当エリアの魔力濃度測定』。ほら、ちゃんと測定器っぽいやつ持ってるでしょ」
ルミナスはドヤ顔で、安っぽい水晶玉を見せた。絶対におもちゃだ。
「はぁ……。まあいいや、ありがとな」
タケルは差し出された温かい飲み物──ホットミルクティーを受け取り、一口飲んだ。甘さが疲れた脳に染み渡る。紙包みを開けると中に入っていたのはサンドイッチ。食べてみると中身はなぜかツナマヨだった。
「ん、美味い! ……なんで異世界にツナマヨあるんだ?」
「この世界でも食べたいなーと思ってね。私が『偶然』落としたレシピを、雑貨屋が拾って作り出したのよ」
「そんなことやっていいのかよ……」
「あくまで『偶然』落としちゃっただけだからねー。食事が美味しくなる分には誰も困らないんだし、いいじゃない」
ルミナスは自分用に買ったサンドイッチを齧りながら、噴水の方で発声練習を続けるヴァルガンを眺めた。
「なあ、ルミナス。アイドルの始まりが歌の奇跡って話、本当か? この前、セレイナさん……ギルドの人に聞いたんだけど」
「へえ、勉強熱心ね。大体合ってるわ」
ルミナスは少しだけ真面目な顔になった。
「昔、アイディール様が『歌』という行為に祝福を与えたの。その影響で、この世界の音楽には少しだけ神の力が混ざってる。人の心を動かし、時には奇跡だって起こす。ステラって子が特別扱いされてるのも、その力が強いからでしょうね」
「だからアイドルが神聖職扱いなのか」
タケルは納得したが、その話を聞いてふと新しい疑問が湧いた。
「じゃあ……ヴァルガンの歌にも、神の力は宿るのか? 魔王なのに?」
ルミナスはサンドイッチを飲み込み、肩をすくめた。
「さあ? 魔王の歌に神の祝福が乗るかどうかなんて、前例がないもの」
「……だよな」
「でもまあ、アイディール様は気まぐれだから。案外、面白がって力を貸すかもね」
ルミナスは悪戯っぽく笑い、そしてヴァルガンの方へ視線を戻した。
「あるいは……祝福がなくても心を動かせるなら、それはそれで『奇跡』じゃない?」
たった一人。傷ついた少年の心を動かした、ヴァルガンの歌。祝福されてもそうじゃなくても、あの歌は間違いなく奇跡だった。
「……そうだな。神様の力がなくても、ヴァルガンの歌は最高だからな! あいつの歌で世界中を熱狂させてやるよ!」
「元気そうねー」
ルミナスが振り返り、タケルをじっと見た。その瞳は、女神としての深い知性を湛えていた。そして、少しだけ呆れたような色も混じっている。
「で、本題なんだけど」
「ん?」
「あんた、ちょっとペース落としなさいよ」
ストレートな忠告だった。声色に先ほどまでの軽さはなく、真面目に言っていることがわかる。
「私には見えるわよ。あんたの魔力、結構カツカツじゃない。睡眠不足と栄養の偏りで、生命力も削れてるわ」
「えー、そうか? 全然平気だぞ。カフェインも入れてるし、気力十分だよ。このまま突っ走れば余裕だって」
「まだ、ね。今は気が張ってるから誤魔化せているだけ」
ルミナスの目にはすべてが見えていた。タケルの中にある生命力、魔力……エネルギーの源が失われつつあるのを。
普通の人間なら赤やオレンジ、力強さが溢れる色になっている。だが、今のタケルの身体には青や紫……冷たい色が増え始めていたのだ。
「人間の体なんて脆いものよ。このペースを続けたら、どっかでガタが来るわ。……あんたが倒れたら、あの魔王はどうなると思う?」
「だから倒れないって。俺はプロデューサーだぞ? 自分の体調管理くらいできるって」
「……」
ルミナスはジト目でタケルを見た。全く響いていない。彼の中ではちょっと無理してる自覚はあるものの、限界に近づいている自覚はないのだ。
「……ま、言っても聞かないタイプよね、あんた。好きにしなさい」
ルミナスは諦めたように立ち上がった。
「私の仕事に支障が出たら、どう責任取ってもらおうかしら」
「大丈夫だよ。任せとけって!」
タケルは明るく言ってサムズアップする。
ルミナスは背を向け、歩き出した……が、数歩進んで足を止めた。
「一つだけ覚えておきなさい。『推しのために死ぬ気で頑張る』って美学、私は嫌いじゃないわ。でもね──」
振り返らずに、彼女は言った。
「推しは、ファンが身を削って犠牲になることなんて望んでないはずよ」
その言葉を残し、ルミナスは光の粒子となって消えた。
「……死なないってば。大げさだなぁ」
残されたタケルは、空になった紙コップを握りしめたまま苦笑した。女神様が心配してくれるのはありがたいが、今の自分にはブレーキなんて必要ない。アクセル全開でゴールまで駆け抜けるだけだ。
「タケル、そろそろ次の現場に行く時間だぞ。大丈夫か?」
発声練習を終えたヴァルガンが戻ってきた。タケルは弾かれたように立ち上がる。
「エネルギー充填したのでオッケーです! さ、行きましょうヴァルガン」
タケルは勢いよく歩き出した。その足取りは軽く、迷いはない。
さっきの話はルミナスが気にしすぎなだけだろうと考えていた。
この時は、まだ。




