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3. この時代の覇者は、たった一人の少女

 魔導ビジョンの中で、静寂が訪れた。

 華やかな映像がフェードアウトし、画面は深い蒼色に染まる。嵐の前の静けさだと理解したタケルは無意識に喉を鳴らした。来る。ドルオタの勘が告げている。これは、セットリストの核となる本命曲の予兆だ。


「……空気が変わったな」


 隣で魔王ヴァルガンが低く唸る。アイドルを知らない彼もまた、本能で察知していた。画面の向こうにいる敵が、本気を出そうとしていることを。


 暗転していたステージに、一筋のスポットライトが落ちる。そこに立っていたのはバックダンサーも派手な舞台装置も従えない、たった一人の少女──ステラ。

 彼女は数万人の視線を一身に浴びながら、微塵も揺らがない。ただ、ニッコリと微笑んだ。それは慈愛でも、媚びでもない。絶対王者が民衆に見せる、余裕と自信に満ちた完璧なスマイルだった。


 彼女が白く細い指を掲げ、パチンと鳴らす。


 ──ドォォォォォォォォンッ!!


 爆発音ではない、歓声だ。ドームを埋め尽くす数万人の人間が、たった一つの合図で同時に喉を震わせたのだ。地響きのような轟音が、魔導ビジョンのスピーカーを限界まで震わせる。


「なっ……!?」


 ヴァルガンが目を見開き、一歩後ずさった。その顔に浮かんでいるのは、驚愕。


「今、何が起きた……? 詠唱破棄どころの話ではないぞ。指を鳴らしただけで、一瞬にして数万の空気を変えただと!? これほどの規模の精神干渉魔法を、無詠唱で!?」

「魔法じゃありませんよ、魔王様。あれが『カリスマ』です」


 曲が始まる。アップテンポで、しかしどこか切ないイントロ。ステラがマイクを握り、踊りだす。安定感ある歌声とダンス、曲の流れを意識した表情作り……その動きは洗練されており、現代日本のアイドルと比較しても遜色ないレベルだ。


「見てください。あのステップ、体幹が全くブレていません! 激しいダンスなのに、呼吸音がマイクに一切乗っていない! そしてカメラ目線! 彼女は今、自分を映すカメラがどこにあるかを完璧に把握して、0.1秒の狂いもなく視線を送っているんです!」


 タケルは早口で解説しながら、目頭を押さえた。尊い、あまりにも尊い。異世界に来て初めて目にした本物の輝きに、魂が浄化されていくようだ。一方、ヴァルガンの視点は全く異なっていた。


「……隙がない」


 ヴァルガンの額に、一筋の冷や汗が流れる。


「あの笑顔、ただ笑っているのではない。表情筋の一つ一つまで制御し、全方位からの視線に対して『完璧な姿』を演じ続けている。あれは『鉄壁の盾』だ。どこから斬りかかろうとも、あの笑顔に弾き返される……!」


 ステラがターンを決め、スカートがふわりと広がる。その動きに合わせるように、画面の向こうの観客席から『フッフー!』という掛け声が上がった。

 転移前にタケルが見たライブではバラバラだったコールが、完璧に揃っていた。ステラが客席にマイクを向ける。


『盛り上がってるー!?』

『『『イェェェェェェイ!!』』』

『男子ー!』

『『『オォォォォォォッ!!』』』

『女子ー!』

『『『キャァァァァァッ!!』』』

「……恐ろしい。性別や属性ごとに号令をかけ、それぞれの忠誠度を確認しているのか。軍隊ですら、これほど迅速に統率は取れんぞ。まるで、小娘の手のひらの上で数万の兵士が踊らされているようだ」

「ええ、その通りです。これが『コール&レスポンス』。アイドルとファンが呼吸を合わせ、一つの生き物になる瞬間です」


 息を呑むヴァルガンに対し、タケルは誇らしげに言った。ステラの現場では客側の練度が明らかに高く、完成されている。

 おそらくステラという存在が圧倒的すぎるがゆえに、ファンたちも「彼女のステージを汚してはならない」と自らを律し、高め合った結果なのだろうとタケルは考えていた。


 曲はクライマックスへ向かう。大サビ、転調。ステラの歌声がさらに一段階、ギアを上げた。高音が突き抜け、ビブラートが空気を震わせる。

 そして、曲が終わりに近づくと彼女はカメラ──タケルとヴァルガンに向かって指を向け、バチンとウインクを投げた。


『ばぁーんっ♡』

「ぬぉっ!?」


 ヴァルガンが咄嗟に両腕をクロスさせ、防御姿勢を取った。目に見えない衝撃波が、彼の巨体を揺さぶる。


「ぐ、ぅ……! これは……遠隔精神攻撃マインドブラストか!? 物理的なダメージはない……だが、胸の奥が締め付けられるような、奇妙な感覚が……!」

「いいえ、愛です! ファンサという愛の力で、民をメロメロにしているのです!」


 画面の中では、最前列の観客たちが次々と白目を剥いて倒れていく様子(興奮による失神)が映し出されていた。


「あ、愛……だと? 恐怖ではなく、愛という名の甘い毒で縛り上げているのか? しかも民衆は苦痛の表情ではなく、恍惚の表情で倒れていく……自ら喜んでその鎖に繋がれに行っているというのか……」


 ヴァルガンは呆然と呟いた。彼の知る支配とは、力による服従だ。逆らう者は殺し、恐怖で縛り付ける。だが、目の前の光景はその対極にある。誰も傷ついていない、誰も怯えていない。なのに、誰もが彼女にひれ伏している。


「……貴様の言う通り、我がやろうとしていたことは古い考えだったようだな」

(よ、よかった……言いくるめ成功! これで世界征服なんて物騒な考えは捨ててくれるはずだ。あとは適当に「隠居して余生を楽しみましょう」とか言えば誤魔化せる!)


 アイドルという新たな概念を見せつけられ、その圧倒的なパワーと価値を理解したヴァルガンは静かに、しかし重々しく告げた。その言葉を聞いて、タケルはホッと息を吐く。これで世界は救われた、ありがとうアイドル。


「恐怖による支配など、あの『高度な洗脳術』に比べれば児戯に等しい。……認めるしかない。今の時代の覇者は、あの小娘だ」

「ええ、そうですとも。わかっていただけて何よりです。この世界は既にトップアイドルである彼女のもの、我々が出る幕はありません。そうと決まれば、どこか静かな田舎でのんびりと──」

「だからこそ、奪う価値がある」

「……え?」


 ヴァルガンの瞳に、再び狂暴な光が宿った。魔王の名に相応しい凶悪な笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「我は王だ、頂点以外に座る椅子など持たぬ。あの小娘が『最強』だと言うのなら……それを引きずり下ろし、我がその座に就くのみ」


 ヴァルガンはタケルの方を向き、巨大な指を突きつけた。


「おい、軍師よ」

「へ? ぐ、ぐんし?」

「貴様に命ずる。我を『アイドル』にしろ」


 タケルの思考が停止した。あまりのパワーワードに、脳の処理が追いつかない。


「……はい?」

「聞こえなかったか? 貴様の意見に理があるのは認めてやる。暴力は古い、これからは愛と熱狂による支配の時代だとな。ならば、その流儀に従ってあの小娘を超える『アイドル』となり世界を征服してやる」


 ヴァルガンはマントを翻し、仁王立ちしながら高らかに宣言する。


「教えろ。『アイドル』とやらの戦い方を。歌でも踊りでもなんでもやってやろう。あのステラとかいう小娘から、王座を奪い取るのみだ!」

「い、いやいやいや! ちょっと待ってください! 話が飛躍しすぎです!」

「無理とは言わせんぞ。貴様、『効率的に心を奪う方法を知っている』と豪語したではないか。まさか、魔王である我に嘘をついたわけではあるまいな?」

(はい嘘つきましたッ!)


 ヴァルガンの指先に、再び小さな火球が灯る。脅しだ、完全に脅迫だ。しかし、その瞳は本気だった。彼はタケルが提示した新しい戦場に、本気で挑もうとしているのだ。


「い、一応確認ですが……本当にアイドルを目指すのですか?」

「当然だ、二言はない。恐怖と力ではないやり方が最適だとわかったからにはな。だから軍師よ、貴様の知識を活かして我を『アイドル』として導け」

(世界征服を止めたかっただけなのに、なんで魔王をプロデュースすることになってんの!? しかも相手は、パッと見ただけでわかる実力者……このガチムチおっさんで、あの完璧な美少女アイドルに勝つ? 無理ゲーにもほどがある!)


 嫌だと言いたい。速攻で逃げ出したい。だが、逃げたらどう考えても詰むし世界が滅ぶ。魔王がいきなり人類を攻撃する選択肢を避けられたと思ったら、さらに厄介な流れになってしまった。タケルは天を仰ぐ。


(どうしてこうなってしまったんだ……)


 推しのライブに行けず、異世界に飛ばされ、魔王を召喚してしまい、次はその魔王をアイドルにしてトップを目指す? なんだこのクソゲーは。難易度設定バグってるだろ。

 タケルはちらりと魔王を見た。圧倒的な体格、響き渡る声、人を惹きつける……かもしれないカリスマ性。オーディションにこんなのが来たら即落とす、アイドルとしての適正皆無な存在。


(……でも、やるしかねえ! 生き延びるには、それしかない!!)


 ここで諦めてしまったら元の世界に戻れなくなる可能性がある。そうなると、ミルキーウェイのライブを二度と見ることができない! タケルは覚悟を決めて、この大嘘を貫き通すことにした。顔を上げて、ヴァルガンに向かって手を差し出す。


「……わかりました、魔王様。貴方が最強の『アイドル』になれるよう、俺がプロデュースして差し上げます!」

「殊勝な心がけだ。期待しているぞ、我が軍師よ」


 路地裏で結ばれた、魔王とドルオタの奇妙な契約。こうして、世界征服(アイドル活動)の幕が上がった。

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