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19. 打ち上げはグイッとエールで

 夜の帳が下りたボロ家『ひだまり荘』。六畳一間の部屋の中、裸電球のような魔導ランプが温かいオレンジ色の光を放っている。


「いやぁ……すごかったですね、今日のライブ!」


 タケルは頭にタオルを被り、濡れた髪をガシガシと拭きながら言った。声が上ずっているのは興奮が冷めやらぬ証拠だ。疲労で体は重いはずなのに、心は羽が生えたように軽い。


「魔王様も、風邪引かないようにしっかり拭いてくださいね。貴方の身体が大事な資本なんですから」

「我を誰だと思っている。この程度の雨で体調を崩すようなヤワな身体ではない」


 魔王ヴァルガンは、上半身裸になってタオルで体を拭いていた。

 ヴァルガンはタケルが徹夜で縫った『RE:Genesis』のパーカーを、丁寧にハンガーにかけていた。かつて着ていた豪華な鎧よりも大切そうに。


「さて! 初ライブ成功を祝して、打ち上げといきましょう!」


 タケルは机の上に、雑貨屋で買ってきた袋の中身を広げた。勇者のエール(という名前の安っぽい炭酸酒)の瓶がいくつか。そして、営業終了間際のセールで半額になっていた串焼きのパックだ。


「乾杯!」

「うむ、乾杯」


 瓶を合わせてカチン、と軽い音が響く。タケルがエールをゴクゴクと喉に流し込むと、炭酸の刺激と麦の香ばしさが乾いた体に染み渡る。


「ぷはーっ! うめぇ!」

「……悪くない」


 ヴァルガンも一口飲み、串焼きを手に取った。そして、串焼きの肉を見つめながらポツリと呟く。


「成功、か。客はたったの二人だったぞ、軍師よ。貴様の言う成功のハードルは随分と低いのだな」

「数じゃないんです。満足度です! あの少年もエトルさんも、間違いなく感動していました。心を動かされていました。それが何よりの証拠です! これは偉大な一歩ですよ!」

「偉大な一歩……」


 ヴァルガンは、自分の手のひらをじっと見つめた。

 太く武骨で、無数の傷が刻まれた手。かつて、この手は破壊と殺戮のためだけに使われてきた。拳を振るえば城壁が砕け、魔法を放てば軍隊が消滅した。人々はこの手を見て怯え、命乞いをした。

 だが、今日。この手に残っている感触は違った。雨の中で少年の頭を撫でた時の、あの頼りない温もり。そして耳に残る小さな拍手の音。


「不思議な気分だ。世界を恐怖で震え上がらせ、何万もの人間をひれ伏せさせた時よりも……あの小僧一人を笑顔にした時の方が、胸の奥が満たされるとはな」


 ヴァルガンは胸に手を当てた。そこには今まで感じたことのない、じんわりとした温かいものが満ちていた。ドス黒い支配欲や破壊の衝動ではない。もっと静かで、もっと深い充足感。


「支配欲とは冷たく、飢えたものだと思っていたが……」

「それが『アイドル』ですよ。誰かを笑顔にして、自分も笑顔になる。誰かに勇気を与えて、自分も勇気をもらう。アイドルとファンの関係は、一方的なものじゃない。お互いを必要とするものなんです」


 タケルはヴァルガンの目を真っ直ぐに見た。


「恐怖で縛り付ける支配は、いつか反乱を生みます。でも愛と感動で結ばれたものは、永遠に解けません。……魔王様は今日、間違いなく最高のアイドルでした。あの少年にとっての、一生のヒーローになったんですよ」


 ヴァルガンは少し驚いたような表情をし、そして照れくさそうに視線を逸らした。串焼きを一口齧り、咀嚼する。


「よかった」


 ヴァルガンはエールの瓶を弄びながら、ボソリと呟いた。小さな、本当に小さな声だったが、静かな部屋にはっきりと響いた。


「歌って、よかった。……貴様の口車に乗せられたのも、悪くなかったかもしれん」


 その一言を聞いてから一拍置いて、タケルの涙腺が決壊した。


「うわあぁぁぁん! 魔王様ぁぁぁぁ! よかったですぅぅぅ! 俺も、俺も魔王様を召喚できて本当によかったぁぁぁ! 一生ついていきますぅぅぅ!」

「ええい、泣くな鬱陶しい! 鼻水がつくだろうが!」


 タケルは泣き叫びながら、勢いよくヴァルガンの巨体に抱きついた。ヴァルガンは嫌そうな顔をしてタケルを引き剥がしたが、その手つきは乱暴ではない。むしろ、タケルの背中をポンポンと叩く、不器用な慰めが含まれていた。


「満足するのはまだ早いぞ、軍師。たった二人を感動させたくらいで泣くな」

「ひっく、はい……」

「次はもっと多くの愚民どもを感動させてやる。我の歌で、この国中を震わせてやるのだ。覚悟しておけ」

「はい! もちろんです!」


 ヴァルガンの瞳には新たな野望の火が灯っていた。一度知ってしまった歓びをもっと味わいたい。もっと多くの人間に届けたい。それは世界征服よりも強欲で、純粋な願い。


「それから、タケルよ」

「はい。……え?」


 ヴァルガンが自分のことを初めて名前で呼んだ。そのことに驚き、固まるタケル。


「貴様は配下ではなく、我の相棒として認めてやろう。それと、貴様はあの時……我をヴァルガンと叫んだな」

「えっ!? ライブのことですか!? あの、あれはその、ノリというか勢いで──」

「相棒として我が名を呼ぶことを許可する。光栄に思うがよい」


 怒られるかと思ったら、予想外の提案。さあ、言ってみるがいい。そう言いたげにヴァルガンはタケルの言葉を待っている。


「……ヴァルガン、様?」

「あの時は呼び捨てだっただろう」

「…………じゃあ、ヴァルガン」

「うむ。それでよい」

(慣れねぇ~~~~! 絶対しばらく敬語抜けねぇ~~~~!)


 違和感しかないが、ヴァルガンがこう言ったのならそうするしかない。だが、この名前呼びも含め、今回のライブでお互いの距離が縮まったと改めてタケルは感じていた。


「さあ、タケル。次の作戦を考えるとしよう。何か策はあるか?」

「そうですね、どう攻めるか戦略を考えましょう!」

「おっと、その前に酒だ。もう一本開けるぞ」

「あの、今の俺たちにとってはわりといいお値段するので大事に飲んでもらって……」


 二人の笑い声が、夜更けまで響いた。泥と雨にまみれた一日が終わる。そして明日からは、新たな戦いの日々が始まるのだ。

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