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12. 泥を踏みしめて見上げる星

 夕暮れで琥珀色に染まったルミナ・シティ。長い影を引きずりながら、タケルと魔王ヴァルガンは無言で歩いていた。彼らの懐には泥を払い落としたものの、シワだらけになってしまった手書きのビラが入っている。

 結局、あれから配れたのは数枚だけ。チンピラに絡まれたという事実と、言い返せなかった無力感。そして何より自分たちの旗印であるビラを汚されたという屈辱が、鉛のように二人の心にのしかかっていた。


「……」


 ヴァルガンの背中は、いつもより小さく見えた。タケルは声をかけようとしたが、言葉が見つからない。


 ザワッ……。


 帰り道を歩いている途中、街の空気が一変した。行き交う人々が示し合わせたかのように足を止め、大通りの方角を見上げる。塔に貼られた巨大な魔導ビジョンが、眩い光を放ち始めたのだ。


『速報です! ただいま、歌姫ステラのドームライブ中継に来ています!』


 アナウンサーの興奮した声と共に画面いっぱいに映し出されたのは、宝石箱をひっくり返したようなきらびやかなステージ。そして、それを埋め尽くす数万人の観客が振る光の海。まるで星空が地上に降りてきたかのような光景だった。


「おっ、ステラちゃんだ!」

「今日だったのか! 見なきゃ!」


 無関心に歩いていた人々が、笑顔でビジョンの前に集まっていく。


『みんな、こんばんは〜っ! ステラだよっ!』


 画面の中央に、純白のドレスをまとった少女が舞い降りた。汗一つかいていない陶器のような肌。計算し尽くされた完璧な笑顔。彼女が手を振るだけで、画面越しでもわかるほどの熱狂が渦巻く。


『今日は新曲、『スターライト・シンフォニー』を届けちゃいます! このライブが初披露だから、みんな覚えていってねーっ!』


 イントロが流れる。壮大で、希望に満ち溢れたメロディ。ステラが歌い出すと街頭の安っぽいスピーカーから流れる音ですら、人々の心を鷲掴みにした。

 疲れた顔をしていた商人が笑顔になる。喧嘩していたカップルが手を繋ぎ直す。チンピラたちでさえ凶悪な顔を緩め、「やっぱステラちゃん最高だな……」とうっとりしている。


 圧倒的な光。泥だらけの魔王とはあまりにも対照的で、残酷なまでの格差を見せつけていた。


「……」


 ヴァルガンは、ビジョンを見上げたまま動かなかった。その瞳に映るのは自分にはない輝き。誰もが愛し、誰もが求め、誰もが笑顔になる存在。


「……遠いな」


 ヴァルガンがポツリと呟いた。


「かつて我は、世界をこの手の中に収めていたつもりだった。恐怖で支配し、全てをひれ伏せさせていたと」

「魔王様……」

「だが……今の我の手にあるのは、この紙切れ一枚だ」


 ヴァルガンは懐から、クシャクシャになったビラを取り出した。薄汚れた紙、下手くそな似顔絵。画面の中の宝石のような輝きと比べれば、それはあまりにも惨めでみすぼらしい。


「我は本当に、あの『星』に届くのか? ここから、あそこまで登れるのか?」


 傲岸不遜なヴァルガンが、初めて見せた弱音と不安だった。

 自分の力の限界ではなく、自分の居場所はどこにも存在しないのではないかという根源的な恐怖。ステラという太陽の前では、自分など夜の闇に紛れて消えてしまう影に過ぎないのではないか、と。

 タケルは胸が締め付けられた。どれだけ強気に振る舞っていたとしても、頭のどこかで疑問に思ってしまう気持ちもわかる。でも、だからこそ。ここで自分が肯定しなければならない。タケルはヴァルガンの前に立ち、その目を真っ直ぐに見据えた。


「……届きます。いや、届かせます! 絶対に!」

「根拠はあるのか?」

「あります! 彼女は『太陽』です。完璧で眩しくて、誰もが憧れる光です。でも……太陽が沈まなければ、夜は来ない」


 タケルは空を指差した。琥珀色の空に、一番星が光り始めている。


「世の中には、太陽の光が眩しすぎて辛い人だっています。光に照らされたくない傷を抱えた人だって、たくさんいるんです」

「……傷、か」

「貴方は『月』になれる。いや、もっと深い『夜』になれる。泥だらけだからこそ、地を這ったからこそ、歌える音楽があります! 綺麗事じゃない痛みを叫べるのは、貴方の強さです!」


 タケルの言葉に熱がこもる。そうだ、きっとステラには歌えない歌がある。完璧超人には理解できない、敗者の痛み。屈辱。悔しさ。それを知っている魔王だからこそ、響く人が必ずいる。


「貴方のストーリーは、ここからが面白いんですよ! 誰も知らないところから這い上がり、星を掴む……そんなドラマを見せられたら、オタクは一生ついていくしかないんです。泥にまみれた分だけ、頂に立った時の輝きは増すんですから!!」

「……フッ」


 ヴァルガンの肩が揺れた。顔を上げると、その口元にはいつもの不敵な笑みが戻っていた。汚れてしまったビラを、ヴァルガンは大切そうに懐にしまう。


「太陽が照らせぬ闇を統べる王……か。それもまた一興」

「ええ! 闇属性アイドル、最高にカッコいいですよ!」

「よし。ならば見せてやろう、地を這う者の意地というやつを」


 ヴァルガンはビジョンに背を向けた。もう、ステラの輝きに目は眩まない。自分の進むべき道──泥臭く、暗く、しかし力強い覇道が見えたからだ。


「帰るぞ、リベンジの準備だ。必ずや、我の歌で民衆を掴んでやる」

「はい!」


 二人は再び歩き出した。頭上には星が輝き、足元には泥がある。でも、それを踏みしめる足音は先ほどよりもずっと力強かった。

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