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11. 王として、アイドルとしての矜持

 翌日。魔導列車前の広場は、昨日と同じ喧騒に包まれていた。タケルと魔王ヴァルガンは、再び定位置に立ちながらビラを配っている。


「……受け取ってくれ」


 ヴァルガンの声色が、昨日とは微妙に違っていた。命令形の「受け取れ」から、ほんの少しだけ頼み込むニュアンスを含んだ「受け取ってくれ」へ。

 さらに、差し出す手の角度も威圧感を与えないように低い位置から出すようにしている。昨日の老婆との出会いが、ヴァルガンに他者への歩み寄りという概念を植え付けたのだ。


「『RE:Genesis』? なんだそりゃ。ま、暇つぶしに読んでやるよ」

「……かたじけない」


 一人の若者が、面白半分でビラを受け取った。若者はクスクス笑いながら去っていったが、それでも受け取ってもらえたという事実は変わらない。午前中だけで、十枚近くが捌けた。


「いいですよ! その調子です魔王様!」


 タケルは興奮気味に言った。どんな形であれ、認知されれば勝ちだ。変なオッサンがいるという噂でもいい、それが興味の入り口になる。順調だ。このままいけば、夕方には目標枚数を達成できるかもしれない。


「おいおい、邪魔だなぁオッサン」


 そう思っていた矢先に、柄の悪い声が響く。人混みを割って現れたのは三人の男たち。革鎧を着込み、腰には剣や斧をぶら下げている。あまり質の良くない、いわゆるチンピラ冒険者の類である。


「俺らの待ち合わせ場所で何やってんだ? どけよ」


 リーダー格の男──頬に傷のある金髪の男が、ヴァルガンの目の前に立つ。ヴァルガンは見下ろす形で男を一瞥し、静かに言った。


「我らも仕事中だ。場所を譲るわけにはいかぬ」

「あぁん? 仕事ぉ?」


 男は鼻で笑い、ビラを乱暴にひったくった。


「……プッ! おい見ろよ、この絵! 下手くそだなオイ!」

「なんだこの似顔絵、ゴリラかよ」

「アイドルぅ? 自称するだけなら誰でもできるんだよなぁ」


 男たちが下卑た笑い声を上げる。タケルの顔がカッと熱くなった。その似顔絵はヴァルガンから「我の目が怖いと言われるなら、少し丸く描くのはどうだ」と提案され、タケルが何度も書き直して完成させたもの。それを笑われた。

 アイドル活動は、生き延びるために仕方なく始めたはずだった。なのに、今はもう仕方なく始めたことなんて思えない。馬鹿にされて悔しい。だが、ここで怒鳴りつけても意味がないと考えたタケルは感情を抑える。


「……冷やかしなら向こうに行ってもらえますか? やることがあるので」

「へっ、笑わせるぜ! こんな適当なビラ配って頑張ってまーすってか?」

「返せ」


 ヴァルガンの声が低くなった。だが、男はニヤニヤしながら、タケルが持っていたビラをはたき落とした。ビラがバラバラと地面に落ちる。そして、男はブーツでビラを踏みつけ、グリグリとねじり上げた。


「あ……」


 タケルの口から声が漏れた。ヴァルガンと二人で描いた夢の欠片が、泥だらけになって破れていく。


「おっと、うっかりやっちまった。でも、ゴミだからいいよな? 掃除してやったんだ、感謝しろよ」


 男が嘲笑った、その刹那。


 ──ドクン。


 広場の空気が凍りついた。温度が急激に下がったわけではない。もっと根源的な、生物としての恐怖が空間を支配したのだ。


「……」


 ヴァルガンの背後に、漆黒の影が立ち昇ったように見えた。真紅の瞳が怪しく光る。漏れ出した殺気だけで、周囲の雑踏音が消え失せたかのような静寂が訪れた。


「ひっ……!?」


 チンピラたちの笑顔が凍りつく。彼らは本能で理解した。目の前にいるのは、ただの強面ではない。踏んではいけない虎の尾どころか、竜の逆鱗に触れたのだと。


「……貴様」


 ヴァルガンが拳を握りしめた。その筋肉が岩のように隆起し、血管が浮き上がる。この男の頭蓋を粉砕し汚い足をへし折ることは、魔王からすれば赤子の手をひねるより容易いことだ。


(ヤバい、殺す気か……!?)


 タケルは青ざめた。止めなければ。でも、足がすくんで動けない。

 ヴァルガンが怒るのも当然だ。タケルだって、できることなら殴り飛ばしたい。でも、ここで暴力を振るえば……全てが終わる。


 ヴァルガンの拳が、振り上げられ──


 ピタリと止まった。ヴァルガンはギリリと歯を食いしばり、大きく息を吐いた。そして握りしめた拳を、ゆっくりと開く。


「……ふぅ」


 ヴァルガンはその場にしゃがみ込み、ビラを一枚ずつ拾い始めた。殺されるほどのプレッシャーが突然消えたことにより、チンピラたちが呆気にとられる。


「……は? なんだよ、いきなり……ビビらせんじゃねえよ」

「チッ、つまんねーの。行こうぜ」


 男たちはバツが悪そうに捨て台詞を吐き、そそくさとその場を去っていった。ヴァルガンは何も言い返さなかった。ただ黙々と、破れて泥にまみれた紙切れを拾い集め、袖で汚れを拭っていた。


「魔王様……」


 タケルは駆け寄り、しゃがみ込んで一緒にビラを拾う。


「大丈夫ですか?」

「……軍師よ」


 ヴァルガンは視線をビラに落としたまま言った。


「我はかつて、逆らう者は全て消し炭にしてきた。虫ケラごときに舐められたまま生きていけるほど、我のプライドは安くない」

「……はい」

「だが、今あいつらを殺せば……昨日、ビラを受け取ってくれたあの老婆への裏切りになる。そうだろう?」


 ヴァルガンは、昨日の老婆の笑顔を思い出していた。もしここで暴れれば、間違いなく騒動になる。「新人アイドル、市民を襲撃」と。そうなれば、やっぱり怖い人だったんだとあの老婆も失望するだろう。

 初めて自分のビラを受け取ってくれた相手を裏切ることだけは、ヴァルガンの王としての矜持が許さなかった。


「……っ」


 タケルの目から、涙が溢れた。この人は本当に強い。腕力ではない、心の強さが王たる所以なのだ。


「はい。そうです。貴方は今、魔王ではなく『アイドル』ですから! ファンを悲しませることは、絶対にしません!」

「……しかし、悔しいな。力が及ばず、己の旗を汚されるというのは……これほどまでに腹立たしいものか」


 タケルも頷いた。悔しい。あんな奴らに笑われて何も言い返せず、ただ拾うことしかできない自分が悔しい。


「絶対に……絶対に見返してやりましょう」


 タケルは汚されてしまったビラを胸に抱き、誓った。


「いつか、このビラが一枚一万ルマ……いや、プレミアがつくほどの伝説にしてやりましょう。あいつらが『あの時貰っておけばよかった』って、地団駄踏んで後悔するくらいに」

「ああ、その通りだな」


 ヴァルガンは立ち上がり、泥を払った。その表情からは先ほどまでの怒りは消え、静かな闘志に満ちていた。


「行くぞ、軍師。まだ配り残しがある」

「はい!」


 二人は再び、人混みの中へと戻っていった。泥にまみれたビラは、今はまだ汚れた紙屑かもしれない。だが、その汚れこそが、彼らが本気で夢を追いかけた勲章となる日を信じて。

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