1. 推しのライブ前夜に異世界転移なんて絶対に許さない
六畳一間の安アパート。遮光カーテンで閉ざされたその部屋は、異様な熱気と静寂に包まれていた。部屋の真ん中に居た男──天咲タケルは、震える手でスマートフォンを確認した。時刻は午後十一時五十九分。もうすぐ、伝説の日が始まる。
「……よし。ペンライトの電池、予備含めて四セット交換完了。タオル、リストバンド、法被、装備オッケー。チケット……」
タケルはケースに入った紙片を、聖遺物を扱うかのように両手で持ち上げた。
『ミルキーウェイ ラストライブ 〜銀河の果てまで〜 in 日本武道館』。
座席番号、アリーナAブロック最前列。
「長かった……。デビュー当時、客が七人しかいなかった地下アイドル時代から五年。ついに武道館に立つ解散ライブ……これを見届けるためだけに、俺は生きてきたんだ」
タケルの目にはうっすらと涙が滲んでいた。これはただの入場チケットではない。ブラック企業での過酷な労働に耐え、睡眠時間を削り、食費を切り詰め、全ての徳を積んで勝ち取った天国へのパスポート。
「明日で人生が終わってもいい。いや、明日こそが俺の命日だ。……ありがとう、神様」
その言葉がフラグだと、彼は知る由もなかった。突然、タケルの足元がカッと白く光り、床そのものが幾何学模様の陣を描いて輝きだした。
「……は? え!? ちょっ、なんだよこれ!」
徐々に視界がホワイトアウトし、身体が浮遊する。タケルの頭に一つの映像がよぎった。そう、ラノベやアニメでお約束の展開……別の世界へと召喚される流れが。
「って、そんなのが現実で起きる意味がわかんねえよクソがああああ!」
本能が警鐘を鳴らした。これはマズい、非常にマズい。タケルは必死に泳ぐように身体を動かすが、効果なし。地面から引き剥がされないよう苦し紛れにバッグを掴むが、バッグごと宙へと持ち上がっていく。
「ちょ、待て! ふざけるな! 今じゃない! 今はダメだああああああああ!!」
タケルの絶叫は、無慈悲な光の中に吸い込まれて消えた。誰も居なくなった部屋に、アリーナ最前列のチケットを残して。
*
光が収まってから、タケルはゆっくりと目を開く。そこにあったのは美しい神殿だった。床には雲がたなびき、どこからともなく聖歌のような音楽が流れている。
そして目の前には、後光が差すほど美しい金髪の美女が立っていた。サラサラのロングヘアに抜群のスタイル。身体のラインがよくわかる、肌にフィットしたきらめくローブ。背中には光輝く翼。誰もがひれ伏すような女神そのものの姿だ。
「ようこそ、選ばれし勇者よ……。我が名は女神ルミナス。世界を救うため、汝の魂を──」
「おいテメェ、今すぐ戻せ! ここがどこか知らんが、俺には行かなきゃならない場所があるんだ! 明日の物販待機列は始発から並ばないと限定Tシャツが枯れるんだよ! わかってんのか!? これで解散なんだぞ舐めやがってええええ!!」
「えっ、あ、ちょ、待って」
女神の厳かな口上を遮り、タケルは地団駄を踏んだ。敬いも畏れなどない、あるのは純度100%の殺意だけだ。女神ルミナスが素で動揺し、美しく組んでいた両手が泳ぐ。
「え、世界救済とか興味ない感じですか? 魔王が復活しそうで結構ヤバいんですけど」
「知るかそんなもん! 俺にとっての『世界の終わり』は、推しのラストライブを見逃すことだ! もう日付が変わるんだぞ!? 俺を返せ! 武道館に!」
タケルは女神に詰め寄った。その目力は、徹夜明けの充血も相まって魔物より恐ろしい。ルミナスは一歩後ずさり、こめかみを押さえた。
「うわぁ、ハズレ引いた……。パッションの強さだけで選んだのが裏目に出たわ……」
「おい何か言ったか?」
「……ゴホン! で、でもね勇者様。これは一方通行の召喚なの。貴方がこれから向かう世界で使命を果たさないと、元の世界に戻れないシステムになってて……」
「なんだそのクソみてーなルールは、クーリングオフさせろ! 消費者庁に訴えるぞ!」
「あー、うるさいわね! 上から『お前の担当エリア、魔王出るらしいぞ』って言われてこっちも焦ってんの! だからその場しの……じゃない、熱意ある魂を引っ張ってきたんだから協力して! 世界を救うまで、帰還ゲートは私にだって開けられませんよーだ!」
ルミナスが逆ギレした。最初の神々しさはどこへやら、子供のように駄々をこねる女神を見てタケルは頭を抱える。最悪だ、物理的に戻れないなら喚いても時間の無駄。だが、このまま大人しく従うわけにはいかない……。
「……はぁ、わかった。百歩譲って話を聞こう。世界を救うって、具体的には? 剣を振れってのか? 体力には自信があるが、戦いの経験はライブ限定品争奪戦くらいしかないぞ」
「魂を見たから知ってるわ。スポーツはしていたみたいだけど、戦闘なんて無理でしょ? そこは期待してないから安心して。で、見て。これが、貴方の行く世界『プリズマリア』の魔導都市『ルミナ・シティ』よ」
ルミナスが空中に指を走らせると、宙に映像が表示される。日本ではあまり見覚えのない西洋風の石造りの街並みに、鮮やかなネオンのような光が溢れていた。
路面電車やきらめく魔石灯、そして広場には巨大な水晶のスクリーンが浮かび──その画面に美少女が歌い踊る姿が映し出されていた。
「ん? 歌って踊って、光の演出……ここ、アイドルの概念があるのか?」
「ええ。プリズマリアの主神アイディール様にちなんで『アイドル』と称されているわ。崇高な神に愛された輝きをもたらすもの、という意味よ」
「略し方がそのまんますぎるだろ」
「神聖な由来と言いなさい。……どう? こういう面白そうな世界、行ってみたいでしょ?」
タケルの目がスナイパーのように鋭くなり、彼の脳内で「オタクモード」のスイッチが入る。映像の美少女をじっと観察し、そして……我慢できなくなった。
「……なんだこの照明、肌のトーンに対して青白すぎる! これじゃ顔色が悪く見えるだろ! 衣装の素材も重すぎてダンスのキレを殺してる! 客の手拍子はバラバラ、コール&レスポンスの概念がないのか!? アイドルも客席への目線配りが甘い! あたし超キマってる~って自分に酔ってるのがバレちゃうだろ! ああもう、もどかしいッ!!」
「いや急にベラベラ語らないでよ……キモ……」
(……ん? 待てよ? この世界には『魔法』がある。演出の自由度は日本以上、そして魔法を駆使した技術力もある。なのに、ノウハウが圧倒的に足りていない……)
タケルは口元を歪め、悪巧みをするような笑みを浮かべた。その瞳が怪しく光る。
「一応確認だが、俺は何をどうすれば『世界を救う』条件を達成したことになるんだ?」
「申し訳ないんだけど、断言できないわ。魔王復活を阻止するのか、復活した魔王を倒すのか、それとも……って感じで『世界を救う』定義が広くてなんとも言えないの」
「そのへんは曖昧と……あと、元の世界へ戻る時ってタイミングは指定できるのか?」
「そこは大丈夫、希望通りにできるわ。転送直前に戻してあげることも可能よ」
その言葉を聞いてタケルは心の中でガッツポーズをした。定義が広い、つまり解釈次第ではサクッと元の世界に戻れる可能性はある。もし長い滞在になったとしても、最終的にミルキーウェイのライブさえ見に行ければ問題ない!
タケルは決意した。推しのライブに行けなかった怨念を、この世界への文化侵略へと昇華する。誰も見たことがない最強のアイドルを作ってみせると、タケルの中に熱が生まれ始めていた。
「おい女神、取引成立だ。この世界に行ってやる。その代わり、俺にスキルを寄越せ! 呼び出したからには、何かそういう特典があるんだろ? 俺が理想とする『最強のアイドル』を召喚し、プロデュースする力をくれ!」
「え、あ、うん、いいけど。えーと、これとこれで……よし、設定完了。向こうの世界に着いてから、呼び出したい相手を強くイメージすれば出てくるはずよ」
「ならばよし、さあ送れ! 伝説の始まりだ!」
「はーい、いってらー」
ルミナスが異世界への門を開くと、タケルは自ら光の渦へと飛び込んでいく。ルミナスはひらひらと手を振って、その後ろ姿を見送った。
「あれ? 私、召喚スキルの『出力リミッター』設定、チェック入れたっけ? ……ま、いっか。一般人の想像力なんてたかが知れてるし。さーて、次の仕事終わらせないと……」
この怠慢が世界を揺るがす大事件を引き起こすことを、女神はまだ知らなかった。
*
「どわっ!?」
空中からドスンと落ちるように着地したタケル。転送された先は、ルミナ・シティの路地裏だった。鼻をつくのは微かな香辛料と、焦げたオイルのような匂い。
そっと街を覗き込んでみると、鎧を身につけた冒険者風の人々や狼や虎の獣人など……現代日本では絶対に見かけないような存在だらけ。頭上を見上げれば飛行船が優雅に行き交い、石造りの大きな塔の壁面には巨大な『魔導ビジョン』が張り付いている。
タケルは服の埃を払い、召喚される前に掴んでいたバッグを確認した。中にはライブへ行く前に準備していた、ペンライトやタオルなどのグッズが入っている。
(まあ、何もないよりはマシって考えておくか……。さて、まずは俺のパートナーとなる『推し』を召喚するぞ!)
タケルは路地裏の暗がりで、大きく息を吸い込んだ。女神から貰ったスキル『召喚』……イメージするのは、タケルが考える最高で最強の存在。
誰もがひれ伏すような圧倒的なカリスマ。
歌声一つで世界を支配し、その一挙手一投足が伝説となる存在。
既存の枠には収まらない、破壊的なまでのインパクト──!
「いでよ! 俺の理想、最強のアイドルッ!!」
タケルが叫ぶと同時に、足元に魔法陣が展開されていく。だが、その光は予想以上に禍々しかった。白やピンクではない、漆黒と赤紫の毒々しい色が滲み出てくる。大気がビリビリと振動し、路地裏のゴミ箱が衝撃波で吹き飛んだ。
「うおっ!? なんだこれ!? アイドルのエフェクトじゃなくないか!?」
タケルは腕で顔を覆い、強風に耐えた。やがて光が収束し、黒い煙の中から一つのシルエットが浮かび上がる。
煙が晴れると、そこには──
「……貴様か、我を封印から解き放ったのは」
腹の底に響くような重低音ボイス。身長は二メートルを超えているだろうか。
鍛え上げられた逆三角形の巨大なシルエット、地面を踏みしめる重厚な音。全身を黒いフルプレートアーマーに包み、背中には巨大なマント。爛々と燃えるような赤い髪、頭にねじれた角を生やした歴戦の巨漢が立っていた。
その顔は子供なら即座に裸足で逃げ出すほどの、強面でダンディな褐色肌のおっさん。眼光だけで人を殺せそうな鋭い瞳が、タケルを見下ろす。
「我が名はヴァルガン・ヴォル・ディアボロス。かつて世界を恐怖で支配した魔王である。……して、小僧。生贄の準備はできているのか?」
「……は?」
タケルの脳裏に、女神のリミッター設定ミスという概念はまだない。ただ一つ確かなのは、彼が召喚したのは間違いなく最高で最強で破壊的な存在だったということだ。




