レオン・アルトゥス・ヴァルディス
午後の授業を全て終えた中庭には、穏やかな空気が流れていた。石畳の上に伸びる影、風に揺れる木々の葉、談笑する生徒たちの声。
その中に混じって、鋭い音が響いている。聞き覚えのある、木刀が空気を裂く音だ。
リゼは足を止めた。音のする方、いつも変わらずに彼がいる場所へ視線を向ける。
中庭の端に設けられた訓練場。円形に草一つなく整備された土の訓練場の中央で、がたいの良い男子生徒が一人、リゼの腕程もありそうな木刀を振っていた。
無駄のない動き。踏み込みは正確で、軸はほとんどぶれていない。一振りごとに空気を裂き、鋭い音を残す。速く、そして――重い。見せるための剣ではない。実践を想定したであろう積み重ねられた鍛錬の剣だ。
リゼはその姿を遠目に見つめる。見間違えるはずがない。レオン・アルトゥス・ヴァルディス。武力国家ヴァルディス王国の第一王子、その人。そして未来において王の座を継ぎ、魔物の大軍勢と死闘を繰り広げ、最後まで戦い続けた剣士。
何度も、迫りくる人類滅亡に立ち向かい、友として、共に戦ったこともある人物だ。豪胆で明確な芯を持った人類最強の剣士。意見をなかなか変えない彼と対立したこともあったが、その時は滅亡の期間が早まった。
レオンは剣を止めた。呼吸は乱れていない。木刀を下ろし、ゆっくりとこちらに振り向き、その鋭い視線がリゼを捉える。正確に、迷いなく。まるで見ていた事に最初から気づいていたかのように。
数秒の沈黙が二人の間に流れる。
先に視線を逸らしたのは、リゼだった。歩き出し、アルヴァがその後に続く。
今は接触しない。その必要はないのだ。彼とは今後直接話す機会も、剣を交える機会も存在する。その時何を話すのかも決めている。
レオン・アルトゥス・ヴァルディスは、王子であるが現時点ではただの学生でしかない。それ以上でもそれ以下でも。現時点でも強い。同年代では敵なしとも言える実力を持っているが、未来で見る彼は――もっと強かった。多くを背負ってあの場に立っていた。一振りにかける思いも、その鋭さも、今よりも数段高い境地にいた。
リゼはそのまま学院付属の図書館へと足を進める。彼女へ向けられていた視線は、すぐに途切れ、鋭い音が一定のリズムで繰り返され始める。相変わらず実直な剣だが、彼には、まだ多くの経験が必要だ。近いうちに、彼に教える必要がある。戦う為の剣、実践的で効率が良い剣の振るい方を。
その時はすぐに来る。なので、今は自分の準備を進めることが優先事項だ。
図書館は学院の本校舎からは少し離れた場所にある。入り口が学院内と外の二つがあり、学生は許可なく入館が可能で、一般利用者は許可があれば入館が可能であるため、入り口が複数存在するのだ。
学生でも入るときは身分証明をしなければならない。服に備え付けられている物入れから学生証を入り口に立っている警備員に提示し、入館する。この図書館は国中の本が建国から今なお集約され続けており、くだらない誰かの雑記から特別な許可があっても閲覧できないような封印指定の本まで、様々な本が蔵書されている。
鞄に入っている終末書は、この図書館で勉強をするために訪れた際に出会った。特別な棚にあったわけでも、立ち入り禁止区域にあったわけでもない。だれでも閲覧出来るような場所に、あたかも初めからそこにあったかのように棚に並んでいた。
昨日の事、偶々必要な本が近くにあった為に引っ張り出そうとしたときに周りの本と一緒に落ちてきてしまい、床に散らばったときに気になって借り出した。その後教室でこの本を広げ、文字一つない終末書を手にした時、恐らくその時に、リゼ・アルフェンの長きに渡る悲痛な戦いが始まったのだ。
今図書館へと赴いた理由は一つ。この終末書の持ち主となるためだ。いくら文字一つないこの本であっても現在は王立図書館の蔵書の一冊。返却せずに持ち出したままでいればいずれ罰則を受けることになっていい事がない。
こんな本を管理していた癖に、中身に関しては把握していない管理人はいい加減な仕事をしている。それを棚に上げて問題があれば一切容赦せずに罰を与えようとしてくるのだから厄介なものだ。
「管理人、リゼ・アルフェンです。本の保存指定申請を行います」
本の持ち主となるために正式な規則を利用する。三週目から何度も繰り返した手順、既に準備も終わっている。
「……保存指定。理由と該当の本は」
「昨日お借りしたこちらの本です。理由は装丁劣化の進行。及び本文紙質の酸化。長期保管が必要と判断しました」
鞄から出した終末書は作られた時代は大昔、見た目古く感じるだろう。形式上虚偽はないし、管理人も横目で見て軽く頷く。
管理人は机の下から分厚い規定集を開く。紙の擦れる音が数回、指がページの上を滑る。
「第十二条……及び第十三条に該当」
顔が上がり視線がこちらへ向く。
「管理責任者の登録が必要です」
「私が引き受けます」
「学生でも可能ですが、学院承認、教師の方からの署名が必要です」
本と一緒に取り出し用意していた書類を提示する。必要事項は授業中に記載が済んでおり、署名は午後の授業終わりに貰っている。
その書類に管理人が目を通す。内容を注意深く確認しているが、不備はない。確認はすぐに終わり、管理人が署名し印章を押す。印章の赤いインクを乾かす為に片手で仰いで乾燥を促しつつ、帳簿の修正を行う。赤字で内容を訂正し、管理者の欄にリゼ・アルフェンの名前が書きこまれる。
この瞬間、終末書の持ち主はリゼとなり、長期間の持ち出しをしても罰則規定は適応されず、利用停止処分も発生しない。
「所在確認は半年ごと、持ってきてください。紛失、破損時は規定に沿って罰則が与えられます」
「わかりました」
今後この本を無くすようなことがあればこの世界での詰みに他ならない。常に肌身離さず持ち歩く予定だ。
「こちらの本は返却します」
本題が終わった。適当に借りていた本を全て返却する。私には必要ないし必要な知識は頭に入っている。
管理人は簡単な手続きを処理し、返却された本が脇に積まれた。あとで管理人が元あった場所に戻すのだろう。
今日、図書館ですることは終わった。終末書は鞄の中に戻る。貸出でもなければ盗み出したわけでもない。合法的管理だ。なんの問題もない。




