子爵令嬢と公爵令嬢
日光を浴びて青々と光る星型の葉が無数に絡まりながら石垣をつたい空へと伸びていた。その石垣へ沿うようにサーシャの畑はある。
かぼちゃの実が成りはじめ、オクラは食べごろだ。
「今日のお昼はオクラのスープを作ろうかな…。カボチャが大きくなったらコロッケにしてもいいかも…」
献立を考えるなんて…。
私…。かなり進歩したわよね…。
この環境に随分と適合してきたことへサーシャは我ながら感心する。
「そろそろ、ここら辺にニンジンを植えて…。ダイコンもいいわね…」
土を触り確認しながら、サーシャは今後どの種を撒くかを検討した。昨年は土いじりなんてしたくないと駄々をこねていたのが嘘のようだ。
不意にサーシャは遠くの空を眺める。畑から少し離れた石垣の合間、澄んだ晴天へ筆で書かれたようなスジ雲が並んでいる。
「あれ?石垣が崩れている…」
先日の嵐で雷でも落ちた?
サーシャは確認のため近くまで移動する。地面には砕けた石の破片がたくさん転がっていた。
「レンニに言って直してもらおうか…。特殊な魔法が組みこまれているんだっけ?修道院へ報告した方がいいのか…」
梯子を持ってくれば、崩れた場所から楽に越えられそうだ。だが、サーシャに逃亡という選択肢は思い浮かばなかった。知らず知らずのうちにサーシャはこの暮らしを気に入っていた。
「まぁ、とりあえずレンニだわ…」
ここ数日、レンニは修道院へ行くこともなく塔にいる。理由があってか、タピオも子供たちの授業を一週間ほど休んでいた。
「あのぉ…」
頭上から声が降る。
石垣の上部、丁度崩れた場所から女性がこちらを覗いている。懸命に背伸びをしているようで、隙間から見える顔が上下にふらついていた。
「ここにタピオ様はいらっしゃいませんか?」
サーシャはその女性に目を奪われていた。
サーシャは容姿にかなり自信があったのだが、その女性はサーシャよりも美しい。
黒曜石のような深い闇色の眼差しは慈悲深く、豊かな黒髪は絹糸のように煌めいている。玉のように美しい白肌、血のように鮮やかな赤い唇が艶めく。
「誰?」
「申し遅れました…。私、ヘルミと申します…」
ヘルミ…。
あの公爵令嬢と同じ名前だ…。
サーシャは焦燥感に駆られる。何故か、苛立ちを感じて落ち着かない。
それでも、サーシャは狼狽えていることをヘルミへ気づかれないよう、いつもよりも丁寧な口調で説明する。
「そう…。私はサーシャよ…。ここは魅了使いの人間が誰にも魔法をかけないように暮らしている場所なの…。塔を囲む石垣に魔法耐性を持つ石が組みこまれているらしいから、大丈夫だと思うけど…。一般人は近づかない方が良いわ…」
瞬く間にヘルミの頬は歓喜で赤く染まった。花が綻ぶような満面の笑顔でサーシャへ問いかける。
「魅了?やっぱり、ここにタピオ様がいらっしゃるのね?私、タピオ様に会いに来ましたの…」
ヘルミは石垣をよじ登ってきそうな勢いだが、石垣はそれなりの高さがあり令嬢には難しい。
「わざわざ、こんな辺鄙なところに?暇なの?」
冷たく言い放つサーシャだったが、ヘルミはサーシャの口調に気づきもしない。
「いいえ…。いいえ…。私はただ…。タピオ様に会いたくて…」
一週間ほど前…。
ヘルミは修道院へ訪れた。
「タピオ様?罪人にそのような方はいらっしゃいませんよ。罪を問われ、あの塔に収容されているのはこの国を混乱させた女性です…」
修道女は答えた。修道女は嘘をついていない。罪人はサーシャだけなのだから…。
「もし、誰かが僕を探しに来たら、いないと伝えてほしい」
タピオは強く望んでいた。もちろん、子供たちにも強く口止めをしている。
だが、ヘルミは納得することが出来ず、近隣の村へ滞在していた。
王家はタピオの所在に対して箝口令を敷き、何も教えてくれなかった。公爵家の徹底調査の結果、ヘルミはこの塔の存在を知った。ここまで来て簡単に諦めることはできなかった。
「はっ?そのタピオとやらに何の用なのよ?」
サーシャは語気を強めて問いただす。初めて会ったヘルミへ対して、サーシャは憤りを感じていた。
何で!来たのよ!
もうこれ以上…。タピオを苦しめないで!
「私…。私はタピオ様を愛してますの…。だから…。ずっと…。ずっと…。忘れられないのです…。タピオ様はこちらにいらっしゃるのですよね…。愛していると…。愛していると…。その一言で構いません。お伝えいただけませんか?」
「いやよっ!」
ヘルミの願いをサーシャは反射的に拒絶した。
「えっ?」
「だって…。タピオなんて知らない!いないのよっ!」
「あぁ、まっ…。待ってくださいましっ!お願いです!待って!」
サーシャは走りだした。ヘルミの叫び声が後ろから追ってくる。
収穫したオクラを忘れてきてしまったとサーシャが思い出したのは、塔まで戻ってきてからだった。