魅了王子と恋心
彼女と初めて出会ったのは、春の庭園だった。
若葉の息吹を感じられるほど緑が目に鮮やかで、花は彩り豊かに咲き乱れていた。
国王から第三王子の婚約者だと紹介された少女は、どの花よりも美しかったのをタピオは覚えている。
折しも季節は春…。
あの時と同じだ…。色とりどりの花たち…。
愛らしい…。今は…。僕の婚約者…。
「難しいお顔をされておりますが…。お疲れでしょうか?」
やや丸みを帯びた切れ長な闇色の瞳で心配そうにタピオの顔を覗きこむのは半年前タピオと婚約をしたばかりのヘルミだ。
仕草一つ一つが洗練されており、清淑なヘルミが首を傾げると、揺れた濡羽色の髪へ綺麗な光の輪が輝きを散らす。
タピオに招かれたヘルミは宮中の庭園にあるガセボへ通された。テーブルに用意されたのは南国から取り寄せた上質な紅茶とこんがり均一の焼き色のついたフィナンシェ…。タピオは菓子に手をつけず、紅茶は冷めきっていた。
花々の芳しい香りが風に運ばれ、ほのかに辺りを漂っている。鮮やかな黄色の小さな花弁が降り落ちる。ミモザが風に舞い踊り青空を彩った。
心ここに在らずといった様子でタピオは返答もせず空を仰ぐ。ヘルミは立ちあがりタピオの傍らまで近づくと再び声をかけた。
「タピオ様?」
ヘルミは両手でタピオの手を握り、真珠のように艶めいている自身の頬へ押し当てた。その拍子にヘルミの柔らかな唇に軽く触れ、タピオの意識がヘルミへ向いた。
「君は僕のことを愛しているのか?」
突然、タピオから発せられた問いにヘルミは戸惑いはしたが、親しみを感じる温かな栗色の瞳を真っ直ぐに見据えて答えた。
「もちろんですわ…。タピオ様…。貴方と一緒に過ごすこの時間が私にとって幸せなのです」
穏やかに微笑むヘルミは春を告げる女神のように神々しい。
「本当に?」
それは貴女の本心なのだろうか…。僕の魅了の影響で…。そう感じているだけではないのだろうか?
「何故…。信じてくださらないのです…」
悲しそうに睫毛を伏せるヘルミを認め、タピオは胸が締めつけられるように苦しくなる。
「君は弟の婚約者ではなかったか?何故、僕を愛するようになったのだ?」
「何故?何故って、タピオ様の全てが愛おしいからですわ…」
快活で情熱的な第三王子は婚約解消する以前も令嬢たちの憧憬の的だった。弟はしっかりとした輪郭をしており、勇ましい眼差し、筋骨隆々とした体格から頼もしさが感じられる。
冴えない容姿のタピオの全てがヘルミはどうして愛おしく感じるのか…。タピオは不思議でならなかった。
「君は僕を愛していない…。本当に君が好きなのは…。今でもきっと…」
ヘルミは目を潤ませて首を横へ振る。
タピオはヘルミを愛している…。
弟の婚約者であったため、想いをひたすら隠していたが、タピオの初恋はヘルミだ。初めて会ったあの日から一途に恋心を抱いていた。
魅了のことを知るまでは…。
弟へ罪悪感を感じてはいたものの、ヘルミから選ばれたタピオは今までになく至福の時間を過ごしていた。
「そのような悲しいことを仰らないでくださいませ…。私は貴方様をお慕いしております。愛しております…」
「…。ならば、僕が一緒に死んでくれと言ったら君は死ぬのか?」
タピオには数日前、セバスチャンがピーナッツを食べようとしていたことを顧みる。
「何を躊躇うことがありましょうか?貴方と一緒に死ねるなんて、この上ない喜びですわ…」
「本当に…」
「信じてくれませんの?」
タピオの両手を掴み、ヘルミは自分の首にタピオの手を当てた。その上から手を重ねると圧をかけ、絞めるように促す。
咄嗟にタピオはヘルミを突き飛ばした。体勢を崩してヘルミは地面へ倒れた。
「ダメだ…。やめてくれ…。お願いだから、死ぬだなんて言わないでくれ…」
「何故、お泣きになるのです…。私、私が貴方を苦しめているのですか?」
ヘルミの言葉でタピオは自分が泣いていたことに気づいた。タピオの頬へ涙の道筋ができ、とめどなく流れていた。
タピオはヘルミの細い身体を抱き起こしてドレスの裾についた土汚れを払った。タピオが屈んだとき、大地へ涙の滴が落ちて、小さな染みが浮かんだ。
「いや…。違うよ…。君がいたから僕の日々は輝いていたんだ…。けど、それも…。終わりだね…」
「えっ?」
ヘルミはタピオの言葉が理解できない。
「さよならをしよう…。愛していたよ…」
タピオは一方的に別れを告げるとヘルミへ背を向けて歩きだした。
「どうして…」
その場に残されたヘルミは呆然とタピオの背中を目で追う。
振り返れば、悲しみに満ちたヘルミの顔で心がかき乱されてしまう…。タピオは一度も振り向きもせず、その場を去っていった。




