子爵令嬢の失恋
タピオが国が去ってからも、第三王子の態度は全く変わらなかった。
ある日、とある令嬢の兄から第三王子は決闘を申し込まれたそうだ。令嬢を弄んだあげく、第三王子がその令嬢に飽きたからと捨てたのが原因だった。
それは今までもあったことだったが、その度に弟の尻拭いでタピオが謝罪に行き、十分な保証と必要に応じて令嬢に相応しい両家の子息の仲を取り持った。人となりを厳選してタピオが紹介していたこともあり、タピオの魅了効果がなくなった今でも、夫婦となった彼らは円満な家庭を築いている。
さて、そのような経緯もあり、第三王子の醜聞は今まで取り沙汰されることはなかったのだ。
いつもであれば、誠心誠意、真摯な姿勢で令嬢の身内とも、タピオは向きあい和解へ繋げていく。しかし、今回は仲裁してくれるタピオがいない。
それでも、傲慢な第三王子は腕に覚えがあり、負けるはずがないと挑まれた決闘に臨んだ…。
相手は次期騎士団長と期待をかけられいる侯爵令息で、彼はコテンパンに第三王子を叩きのめしたそうだ。
第三王子は直様、治癒魔法をかけられ怪我は完治したが、そのときの恐怖で自室から出られなくなってしまった。
国王や王妃、王太子は今まで甘やかしてきたことに後悔して第三王子を突き放しており、今では誰よりも優しかった第二王子を恋しがって第三王子は枕を濡らして帰りを待っているらしい…。
それはディアミドから聞いた話だ。
第三王子の性格から考えて、信憑性は全くないな…。タピオは思った。
「それでも…。帰れないよ…。僕は魅了の力で国民を騙したくないんだ…」
「なら…。私もここに住みますわ!」
「なっ!」
タピオの腕にヘルミはしがみつく。
塔の応接間…。日常は食事や団らんの場で使用している部屋へヘルミとディアミドは通された。
長椅子へタピオとヘルミ、その傍らへ控えるディアミド、その対面へサーシャとレンニが並んで立っていた。
「それは困りますね…。私が主人に叱られてしまいますし、何なら首が飛びます…」
ディアミドが戯けた口調でタピオへ告げる。
「勝手なことを言わないでくれ…」
それまで、話を大人しく聞いていたサーシャだったが、ツカツカとタピオの前まで無言で歩み寄ると、手を振り翳して頬を打った。
パンッ!
「なっ、何をなさるの!」
ヘルミは長椅子から立ちあがってサーシャへ抗議する。サーシャは目を吊り上げてヘルミの胸へ指を突きつける。
「ちょっと、お嬢様は黙っててくださる!私はタピオに用があるのよ!」
「ダメです!」
これ以上、タピオへサーシャが危害を加えないよう、ヘルミは二人の間に立ち塞がった。タピオはヘルミのドレスの袖口を軽く引っ張る。
「ヘルミ…。ちょっとだけ黙っててほしい…。ごめんね…」
「…でも」
懇願するタピオの眼差しにヘルミはたじろぎ、渋々、タピオの隣へ戻る。
「サーシャちゃん、何かな?」
サーシャはタピオを真正面から見据えた。サーシャは深呼吸するとタピオへ言った。
「いつまでウジウジしてんのよ!」
「ウジウジ?してるつもりはないよ…」
タピオはサーシャから視線を外す。赤く腫れた頬がサーシャの目に映った。
「ウジウジしているじゃない!国ではアンタを待っている人がたくさんいるのよ!」
「たくさんって…。そんなことはないよ…。恨んでいる人はたくさんいるだろうけど…」
「はぁ?」
サーシャはタピオの襟元を掴んだ。
「そっそんなことはありませんわ!」
「お嬢様は黙っててくんない!今、私が話してんだからっ!」
「くぅ…」
「タピオはね…。魅了なんて関係なく皆んなアンタのことが好きなのよ…」
「そんなことはないよ…。僕はこんなに冴えない容姿だしね…」
タピオは自分で認めている通り、容姿が派手ではなく控え目だ。だが、人格は優れており、彼に接したことのある誰もがその人柄に惹かれていた。
「なっ…。くぅ…」
ヘルミは声を大にして、意を唱えたかったが我慢した。サーシャの視線が痛い。
タピオの魅了は人々の好意の方向性によって増大する。友愛、親愛、恋愛など人様々だ。
多くは第二王子として親しみを覚え、魅了にかかっていたのだが、時にはタピオへ恋をして魅了魔法に惑わされてしまう令嬢がいたのは事実だ。
タピオが舞踏会などに参加しても、令嬢が一目惚れすることはない。ただ、その優しさに直接触れれば、心奪われるものは少なくない。タピオは人の恋心を振り回す非情な人間でないのは幸いであった。
余談であるが…。
そのような魅了にかからないため、タピオが第三王子の問題で令嬢宅へ赴く際には、付き従った侍従がその家門の令嬢へ『色眼鏡』を渡してそれを装着するよう申し伝えた。『色眼鏡』は国王から直々に承ったものであり国内に一つしか現存していないものだ。
魅了回避の魔法防具だったのたが、それを知らないタピオは貴族令嬢の間で流行っているのだろうと常々考えていた。
「タピオ!耳かっぽじってよぉーーーーく聞きな!」
サーシャへ襟首を引っ張られて、タピオは背筋を正す。
「あっはい!」
「タピオはね!容姿なんて関係ないの!アンタって誰にでも親切だし!思いやりがあって!温かいし!いてくれないと…。寂しいわ…。料理だって上手でアンタと食べる食事は楽しいし…。私がこんなだけど、いつだって味方でいてくれたじゃない…。そんなに無条件で優しい人いないわ…。何も見返りを求めない人っているんだなって感心した…」
罵倒が飛んでくるのだと予想していたタピオだったが、サーシャは何故かタピオを褒めちぎる。
「サーシャちゃん?」
「くぅ…」
「私は部類の男前好きなのよ!性格より容姿!外見重視なのっ!なのに…。アンタのことが好きなのよ…。こんな私がアンタのこと好きになったの…。だから、魅了魔法なんて関係なくアンタのことが好きだった人はたくさんいると思うわ…。国でタピオのことを待ってるわよ…」
襟を強く握っていた手が緩み、サーシャはタピオの膝の上で泣き崩れる。
「サーシャちゃん…」
タピオは驚きで目を丸くした。サーシャの告白は信じがたいものだった。
塔に連れられてきた当時、顔が好みだと言って嫌がるレンニの後ろをサーシャは着いて歩き回っていた。サーシャはタピオへ見向きもしなかったし、興味も持たなかった…。
けど、サーシャの言葉は嘘ではない。サーシャの紫色の綺麗な瞳がそれを物語っていた。
「くぅ…」
サーシャはヘルミから見ても魅力的だ。
タピオがヘルミでなくサーシャを望んだらどうすればよいのか、気が気でない…。それでも、ヘルミは口出ししたいのを堪えていた。
「ありがとう…」
「んっ…」
サーシャの頭をそっと撫でて、タピオは柔らかく告げる。
「そして…。ごめんね…。僕はヘルミが好きなんだ…。初めて笑いかけてくれたあの日からずっと…」
「分かってる…。誰よりもそこのお嬢様を大事にしてるってこと…」
サーシャはタピオを見上げた。タピオの眼差しには愛情が滲んでいるが、それが恋慕でないことをサーシャは理解していた。
潤んでいるサーシャの瞳にハンカチを差し出したのはヘルミだった。ヘルミの表情には罪悪感が見てとれる。
「くぅ…」
サーシャは誰か誰かを好きになったり、想いあったりするとき、その幸せの影に傷つく人もいるのだと実感した。
今まで私はたくさんの人を傷つけたんだ…。自分のことしか…。考えてなかったな…。
「国へ戻ること…。今すぐは無理かもだけど…。前向きに考えてみるよ…」
「くぅ…」
「そこのお嬢様!さっきから、くぅくぅくぅ煩いのよ!」
「くぅ!」
まだ涙でサーシャの視界はぼやけていたが、『くぅ』で返すヘルミの返事に思わず笑っていた。




