子爵令嬢の退屈な日々
サーシャはとある王国の王太子を魅了魔法で惑わしていた子爵令嬢だ。
今は王国と隣国の国境に位置している修道院の塔で日々を静かに暮らしている。自身を見つめ直すため、何ら労働を課されることなく、ただ時間が過ぎるのを待っていた…。
「ざけんなぁーーー!暇なんじゃい!」
サーシャのいる塔は修道院と隣接しているが、石垣で隔てられていた。石垣には特殊な魔法が施されており、内側へ滞在しているものは魔法が使えない。魅了魔法も然り…。
「また、叫んでる…。サーシャちゃん?こればかりはどうしようもないと思うけど…」
ここは魅了魔法で人を狂わせた罪人が収監される施設だ。
三年間、ここで生活をして害がないと見做されれば、魅了封じの魔道具をつけられて、施設外へ放免される。反省がみられない場合、別の鉱山へ移送され、死ぬまで重労働を課される。
この説明は塔に三年間服役した後に受けるもので、サーシャは現在そのことを知らなかった。
「だって、何もすることないんだよ!ああー!今頃、私は王太子妃だったのに!リーアムのやつ!」
椅子から足を投げだして座っているサーシャは頭を掻きむしった。
「またその話?」
その隣りでうんざりした表情の青年がえんどうの筋を取っている。
「だって、悔しいじゃない?あんなに毎日『愛してる』って言ってさ…。手のひら返したように捨てるんだよ…」
「それはサーシャちゃんがリーアムくんを魅了にかけてただけでしょ?本物の愛ではなかったんだよ…」
「本物の愛って何よ?魅了だろうが何だろうが、私を好きになったことには変わりないじゃない?」
毎日、同じような内容をサーシャから訴えられて内心辟易しているにもかかわらず、青年は辛抱強く話に付き合ってくれる。
「だからって…。リーアムくんの婚約者を国外追放にしてしまったのはどうかな?」
「あれは私がしたんじゃないわよ!リーアムが勝手にしたんだから…。私は別に国外に追いださなくても…。婚約破棄してくれれば良かったの…。そうすれば王太子妃だよ。次期王妃なんだから、女性で一番高貴な存在になれるんだよ?」
自分本位な言い分に青年の側へ控えている猫耳の少年が呆れた口調で告げた。
「阿保か?お前が高貴な存在だって?」
「そこの獣人は黙ってなさい!ムカつくわ!」
王国でサーシャは獣人に会ったことはなかった。サーシャがこの塔で初めて見た獣人は琥珀色の美しい大きな瞳を持つ少年で、今は青年の真正面で洗濯物を畳むのに勤しみ、机の上にシャツを折り重ねていた。
「はぁ…」
「ため息つくなっ!」
「サーシャちゃん、彼の名前はレンニだよ。獣人だなんて呼ばないでほしいな…」
常に穏やかな口調で諭すように話す青年だったが、従者が侮られることを嫌ってサーシャへレンニを名前で呼ぶように促した。
「獣人に獣人って言って何が悪いの!私の魅了が発揮できたら、獣人だってそんな態度じゃなかった!私に尻尾振って甘えてくるんだからねっ!」
「それって、虚しくない?それにサーシャちゃんがレンニのことをちゃんと名前で呼ばないんなら、僕はサーシャちゃんの分、ご飯は作らないよ…」
塔ではあらゆる魔法が使えない。火を起こすのも薪を焚べなければならない。貴族令嬢であったサーシャは使用人に身の回りの世話を任せており、家事などした事はなかった。
「…」
「タピオ様…。そんな女のことは放っておいて構わないかと…」
休むこともなくレンニはシャツを所定の位置へ片付けている。
「んっ?レンニもそんなこと言っちゃダメだよ…。僕らは同居人なんだから、助け合わなきゃね」
「タピオ様がそう仰るなら…」
タピオと呼ばれた青年は異国の第二王子で、レンニはタピオに仕えていた侍従である。
タピオは第二王子の地位を捨てて国を出奔しているのだが、レンニはタピオへ付き従う意志が固く、ここまで付いて来たのだ。
「サーシャちゃんだって、結局…。王太子だったリーアムくんが好きなんでしょ?ただのリーアムくんでは愛せなかったんじゃないの?」
「将来を考えれば、貴族令嬢たるもの天辺目指したいじゃない?相手のステータスだって大事でしょ?」
「その相手には婚約者がいたんだよ…。ステータス云々の前に道徳的観念はないの?因果応報だよ…。自分に返ってきただけでしょ?」
「ああー!私はタピオの説教が聞きたいわけじゃないの!暇なのよ!暇!何でこんなところで三年も飼い殺しされなきゃいけないのよ!」
「それなら、家事を手伝ってはどうなんだ?いつもタピオ様に任せて、自分はゴロゴロしているだろ?せめて、淑女ならば、自分の洗濯ぐらいするべきだ」
着替えなどは自分で何とか済ませていたものの、その他のことをサーシャは全くできず、洗濯物も溜まっていく一方で、見兼ねたタピオが手伝おうとした。サーシャの下着をタピオに洗わせたくないレンニが洗濯担当を引き受けたのだ。
因みに食事や掃除などはタピオが切り回していた。
「何で私がしなくちゃいけないの?私は貴族令嬢だったのよ?出来るわけないじゃない?」
レンニは冷ややかな眼差しでサーシャを見下す。
サーシャに魅了をかけられた王太子が国外追放した元婚約者は平民へ身を窶したと聞き及ぶ。
彼女も貴族令嬢だったはずだ…。庶民の生活に馴染むまで苦労しただろう…。もしかしたら、行き倒れているかもしれない。
貴族の栄華を享受してきたものが、平民として生きることは過酷なのだ。
サーシャと一緒にいるとどうしても苛立ちを覚えてしまう。何故、主人はサーシャに親切に接するのか、それが主人の人柄だと重々承知しているが、この傍若無人な令嬢のことをレンニは好きになれなかった。
「暇つぶしに読書でもする?修道院から本借りて来てあげようか?」
「読書なんて嫌よ!あー!何で私がこんな塔に閉じ込められなきゃいけないのよ!」
「それはお前が魅了の力で人々を誑かしたからだろ?」
「私は元々美人なのよ!だから、皆んな私を好きになるの!魅了なんて知らなかったわ!ただ愛想を振り撒けば、皆んな私にメロメロになっただけなんだからっ!」
確かにサーシャは艶やかで見目が良い。
胡桃色の豊かな髪は腰まで波打ち光沢を放っている。藤色の大きな瞳は長い睫毛で更に目力が増し華やかだ。潤いのある滑らかな肌、豊潤な胸、異性を虜にする要素を持つ身体つきであるのは認めよう…。
「何度聞いても呆れるな…」
だが、どれだけ容姿が優れようとも、内面が伴わなければ品位は下がる。
「うっさいわね!仕方ないじゃない!私ばかりが身の上を話しているんだからっ⁉︎そう言えば…。タピオは自らこの塔へ来たんだっけ?」
二人が小競り合いをしているのを、タピオは傍観していたのだが、不意にサーシャと視線が交差する。
「そうだよ…。誰かが僕の魅了に惑わされないように自主的にね…。僕も一国の王子という身分だったけど、ここで暮らしていくうちに、家事スキルは身につけていったんだよ」
誰かに罪を問われることはなかったが、自分から進んでタピオは修道院の塔に幽閉されることを希望した。
本来であれば、男女が塔で生活を共にするなど許されない。サーシャが塔へ投獄されることが決まり、修道院側はタピオに出ていくよう通達したのだが、タピオは断固として退去せず留まった。
タピオの聖人並みの性格は修道院でも認知されており、致し方なく特例として、タピオはサーシャと一緒に暮らすことを認められたのだった。
「ねぇ?暇つぶしにタピオが何でここに来たか?詳しく教えてよ」
指を組んだ手の上へ顎を乗せて上目遣いをしたサーシャは甘えた声でタピオに要求した。
「つまらないと思うけど?」
「いつも私の話ばかりじゃない?たまには人の話を聞くのも悪くないわ」
「無理に話す必要はないかと?」
レンニが口を挟むと眉間へ深い皺を刻みサーシャはレンニを睨みつける。
「はぁ?」
「…。別に構わないよ…。面白くも何ともない話だけどね…。うーーーん、どう話そうか…。そうだな…。かつて僕には愛する人がいたんだ…」
タピオは遠い目をして話し始めた。切なそうに瞳が揺れていた。
「彼女も僕を好きだと言っていたし、僕も彼女を愛していた。だけどね…。僕の魅了の力が判明したとき…。思ったんだ…。彼女は果たして本当に僕を愛しているのかと…」