第二十一話「骸使い」-2
だが、彼女はそうしない。足を止めずに、語り続ける。
「……私も、かつてはそうだったよ。私の両親は『冒涜戦争』で死んでしまってね、孤児として育てば、弱い者は奪われることばかりだ」
「……あんたが、孤児?」
僕は思わず聞き返す。何となく、医者というからには裕福な家庭をイメージしていたが、そういうわけでもないのか。
彼女はこくりと頷き、さらに続ける。
「酷いものだったよ。十になる前くらいか、私は人身売買の組織に捕まった。身寄りのない女児など、使い道はいくらでもあるからね、行く末はバラ売りか、好事家の玩具か」
「気分の悪くなる話だな……それで?」
「ああ、薬を打たれ、後は船で大陸の外に運び出すだけ。その刹那、私は助けられたのだ――」
その口ぶりは、まるで何かを誇るようですらあった。
そして実際にそうなのだろう。その時の体験が、今の彼女を作っているに違いない。
問題は――その続きが予想外だったことだ。
「――名高き万能屋、【赤翼】にね」
「……っ!?」
驚愕に、足を止めてしまいそうになる。
しかし、そんな余裕もない。もたつき、躓きそうになったバランスを立て直しながら、僕は何とか追いついていく。
「なんだい、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔して。【赤翼】の武勇伝なんて、珍しいものでもないだろう」
「……そうだ、そうだったな」
僕は、そこの道を右へ、と指示を出してから、彼女に話の続きを促した。
「ふむ、まあ、なんだ。それ以上でもそれ以下でもない、由無し事ではあるんだがな。弱さを誇っていた、何も持たない小娘が、大きな力に救われたことで、強さに憧れるようになったと、そういう話だよ」
「あんたが何も持たない小娘だったなんて、信じられないけどな」
「”信じられない”はどこにかかっている? 小娘の部分か、それとも何も持たないの部分か?」
両方だ、と冗談を飛ばしつつ、僕は少しだけ歩調を緩めた。というよりも、先行しているエイヴァが、速度を落としたのだ。
もしかすると、何か別のことに気を取られているのかもしれない。それを咎めるつもりもなく、代わりに、自分の内から出た興味に従うことにした。
「……なあ、エイヴァ。ってことはだ、お前は【赤翼】に会ってるってことだよな」
僕は、慎重に言葉を選ぶ。
かねてよりあった、リタが本物の【赤翼】ではないのではないかという疑念。それは、【壁の街】を経て、ある程度輪郭を帯びた話になってきた。
そして、エイヴァは、その答えを知っている。いや、聞くまでもなく、今までの反応が答えであると言えるだろう。
だって、彼女はリタのことを――恐らく、知らないのだから。
「当然だろう。私は、今でも忘れないよ。あの雄々しき背中から広がる、炎のような紅蓮の翼を――」
歌うように、エイヴァが口にする。
それに僕が反応をするよりも早く、背後で、悲鳴のような声が弾けた。
「――お師匠様、前ですッ!」
シーナの声、と認識する前に、僕らの足元が弾ける。強い衝撃と共に石畳が弾け、無数の破片が全身を打ち据えた。
「なっ……!?」
防衛本能が、咄嗟に手を顔の前に翳す。手のひら越しに見える景色の向こうで、同じように白衣の裾を使って顔面を覆うエイヴァが見えた。
それよりも、さらに向こう。夜明けの暗澹に紛れるようにして、ずるりと立ち上がる影が目に入った。
長い髪を後ろで括った、痩躯の男。前に見たときに着ていた簡素な入院着から、飾り気のない単色の黒衣へと、その装いを変えている。
何より、こちらを睨むように展開された、魔法陣の輝きは、忘れられようもない。
「魔弾のリッチ……! ここで来るか!」
口にしつつ、背中を汗が伝うのを感じていた。ここから相手までは、かなりの距離が離れている。ギリギリ目視はできているものの、リタの羽弾でも届かないだろう。
仮にウィスプが使えたとしても、それすらも射程外。唯一の救いは、町中であるため遮蔽物が多いことか。しかし、魔弾の威力からして、隠れた壁ごとぶち抜かれても不思議ではない。
それに、帯同するシーナが、そんな動きについてくることは不可能だ。もたついた僕たちは、格好の獲物になるに決まっている……!
「――っ、――!」
再び、魔法陣が輝く。僕は咄嗟にシーナの肩を掴み、横合いの建物の影に飛び込んだ。
同時、僕らが一秒前まで立っていた位置が、飛来した魔弾に打ち砕かれる。凄まじい威力は、被弾した後の生存を諦めさせるのに十分なものだ。
「くそっ……どうする、このままじゃ、やられっぱなしだ……!」
呟いてから、気が付く。
焦る僕とは裏腹に、エイヴァは沈黙を保っていた。同じ建物の壁を背に、横目で射手の狙う往来を睨みつけている。