第十九話「病の街」-1
列車が目的の駅に止まる頃、既に辺りは薄闇に包まれていた。完全に没した日が、逢魔が時を踏み越えた不気味さを覚えさせる。
駅に降り立てば、窓からは街並みが覗く。ここから見える限りでは【病の街】は幾分、質素な街に見えた。
いや、今までに滞在してきた【夕暮れの街】や【壁の街】が大きすぎるだけであり、ここも僕の故郷に比べれば幾分マシなのではあるが、建物は低く、道幅も狭い。
けれど、それとは不釣り合いに思えるほど大きな建物がいくつか点在しているのが見えた。掲げられているのは、リタやシーナが持っていたバッジに刻まれているのと似たマークだ。街の端から順番に、数字が振ってあるのも見える。
そんな景色に目を這わせながら、僕は首を傾げた。
「なんだ、思ったよりも静かだな。占拠された、なんて言ってたから、もっととんでもないことになってるもんだと――」
そう言いかけた僕を、遮るようにリタが前に出た。そして、周囲に注意深く視線を向ける。
「――静かすぎるわ。明らかに異常事態ね」
彼女の言葉に、僕も再び街を観察する。
確かに言う通りだ。往来には誰も歩いていない――どころか、ほとんどの建物に明かりが灯っていなかった。
がらんどうの街の中、微かに明かりが見えるのは、点在する大きな建物だけだ。それだって、光量を絞っているのか、頼りない仄暗さを感じさせる。
「ええ、街の人たちは皆、医療棟に避難しておりますので、今の街は、ほとんど無人状態でしょう」
後から列車を降りてきたシーナが、穏やかな口調でそう話す。その細身にいっぱいの荷物を背負った彼女は、ひどくアンバランスに見える。
「医療棟……って、あのデカい建物か? 確かに、えらい頑丈そうに見えるが……」
「はい、『冒涜戦争』の時に建設されたものになります。かの大戦の中で、この地は医療の中心地として無数の砲火に狙われましたが――その悉くを退けたものだと聞いています」
ふうん、と僕はその話を適当に聞き流していた。要は、とにかく丈夫な建物ということだろう。
それなら、建物ごと潰されて全滅――なんて未来はないだろう。ひとまず、安心というところだろうか。
「……あんた、気を抜いてるの? 安心なんかできないわよ」
心境が顔に出ていたのか、リタが眉を顰める。
「どんなに外壁が強くても、中に侵入られたらおしまいじゃない。そもそも、明確な勝利条件の無い立て籠もりは、基本的にジリ貧になるばかりなのよ」
「……っと、そうだな。悪い悪い、先を急ごうぜ」
バツの悪さを誤魔化すために頭を掻いた僕を追い抜いて、シーナが先頭を行く。彼女は駅の出口まで淀みのない足取りで向かうと、東の方角を指差した。
「そうしましたら、こちらです。師匠たちがいる、第一医療棟にご案内します」
彼女はそのまま、往来に踏み出していく。誰も人のいない通りは、疑うまでもなく見通しがいい。
こうして見る限り、周囲に敵影も見当たらなかった。とはいえ、僕らに見つからないように息を潜めている可能性もある。ここはひとつ、慎重に――。
「待った。あんたたち、そのまま進んだら死ぬわよ」
――進もうとして、リタに後ろ襟を掴まれる。
ぐえっ、と蛙が潰れるような音と共に立ち止まった僕は、なんだよ、と苛立ち混じりに振り返った。
「死ぬって、おいおい。何言ってんだよ。見ての通り、敵なんて――」
「見えないわね、確かに。少なくとも私には」
「……なんだよ、いやに引っかかる言い回しじゃないか」
僕は足を止め、前方に視線を投げる。当然だが、そこには何もない。ただ静かな道が広がっているばかりだ。
何も見えない。何も――見ようとしなければ。
「――まさか」僕は首元のロザリオに手を伸ばす。
それと同時に――全身に怖気が走った。先程まであれほど軽かった足は、嘘だったかのように硬直し、緊張し、そして何より、警戒した。
「……ジェイ、さん?」
不安げに覗き込んでくるシーナを、僕は片手で制した。決して、この先に進むことがないように。
「――悪霊だ……!」
僕はそれだけをどうにか絞り出す。視界の先では、つい数秒前まで穏やかに見えていた通りが、まるで悍ましい地獄の入り口であるかのように、口を開けている。
「やっぱり、思った通りね。不可視の悪霊たちによる警戒。恐らくは街中がこの状態でしょう」
「あ……悪霊? そんな、もし、そんなのに捕まってしまったら……」
「……良くて、呪殺だな。悪けりゃ、死ぬよりも酷いことになる」
僕は込み上げてきた吐き気を抑えつつ、どうにかそうとだけ絞り出す。
街のあちこちが、墓場でも見たことがない濃度の魂たちによって覆われている。恐らくは空も駄目だろう。浮遊霊たちの格好の餌食になってしまう。
「考えたわね。普通の魔物なら蹴散らして進めるけど、霊魂は流石の私も骨が折れるわ」
「……ああ、そうだな。これは無理だと思うぜ。待ってろ、今、霊視でどこか通れそうな道がないか――」
「調べなくていいわよ、そんなの。向こうは私たちをこの街までおびき寄せたのよ。当然、あんたがついてくることも織り込み済みでしょ。この状況で、唯一幸運にも空いている道なんて、そんなの怖くて通れないわ」
「……まあ、それもそうか」
僕は大人しく首肯する。あの狡猾な男だ、どんな罠を仕掛けているかわからない。
しかし、それではこれ以上進むことができなくなってしまう。どこかでリスクを飲む必要があるのではないか――そう考えていた僕の背を、軽い力が叩いた。
「あ、あの。それなら、大昔、薬品の搬出入に使っていたという地下通路はどうでしょう? この街に長く滞在している医療術師しか知らない、秘密の通り道です」
「そんなもんがあるのかよ。なら、そっちがいいんじゃないのか? なあ、リタ!」
僕は振り返りつつ、リタに視線を向ける。彼女は深刻そうな表情を崩さず、そのままシーナを見つめていた。
何かを値踏みするような視線が数秒。やがて、解けるようにして、その目が伏せられる。
「……そうね、いいでしょう。ただ、一応あんたの霊視は挟んでからよ」
勿論だ、と僕らはシーナの後をついて、駅の裏手側に回り込むことにした。
駅の周りには不思議と悪霊は漂っていなかった。それもそうか、ここまで覆ってしまえば、列車が通過した際に乗客へ悪影響を及ぼす可能性がある。
少しでも発覚を遅らせているのだろうか――なんて、そんな事を考えているうちに。
「ここです。この地下から、各医療棟に向かうことができるようになっています」
彼女が足を止めたのは、駅舎のすぐ裏手に立つ倉庫の前だった。
古びた金属が軋み、擦れる音と共に扉が開けば、すぐに黴臭さが僕らを出迎えるだろう。
すかさず、リタが何事かを唱え、明かり代わりの火の玉のようなものを用意した。仄明るく照らされた周囲は、一瞬でも注意を欠けば転倒してしまいそうなくらいに酷く散らかっていた。
シーナは屈み込み、足元にある扉のようなものを開いた。直下に伸びる梯子は、所々が錆びてはいるものの、体重をかけた程度では問題なさそうだ。
照らしてもらい、中を霊視してみたが、悪霊の気配はない。僕らは梯子を降り、地下通路とやらに踏み入ることにした。