第十八話「新たな街へ」-5
「……あの時、沢山の怪我人が【病の街】に運び込まれてきました。何十人、何百人。医療術師たちもその対応に追われてしまい、医薬品が不足することになりました。そのため、急遽私が調達に出てきたんです」
ちらりと、視線がボックス席の外――元々彼女が座るはずだった席の方に移る。そこにはパンパンに膨らんだ鞄や荷物が載せられており、彼女の細腕でよくここまで運んでこられたものだと、感嘆するほどだ。
「だから、私も魔信機での通信で聞いただけなのですが、曰く――怪我人の中に、その神父様の仲間たちが潜んでいたようです」
「なんだと? それじゃあ、今の街は……」
「はい。歩く死体と、それを操る一団に占拠されてしまったそうです……」
馬鹿な、と僕は思わず立ち上がってしまった。
あの襲撃事件に乗じ、街に忍び込んだ?
ということはつまり、リトラの手下たちも、昨日の列車に乗っていたということか。
だとすればそれは、あまりにも出来すぎな――。
「――出来すぎな偶然、ではなさそうね」
冷静に、リタが現状を分析する。顎に手を当てた彼女が結論を弾き出すまでにかかった時間は、僅かに数秒。確信を口にするのにも、それだけの時間があれば、彼女には足りるのだ。
「恐らく、有翼人の襲撃もリトラの一派によって仕組まれたものと見ていいでしょう。明らかにあれは不自然だったわ」
「そういえば、前にもそんなこと言ってたな。有翼人は知能が高いから、列車を襲うような無謀な狩りはしない……とかなんとか」
確かに、それならば話は通りそうだ。
リトラが有翼人を焚き付け、列車を襲わせた。その際の怪我人になりすまし、仲間を大量に街に潜入させ、そのまま占拠する。
なるほど、あの陰湿な男がやりそうなことだ。
「でも、わからないわ。そこまでやってしまえば、流石に『国家』が敵になるわ。いくら状態のいい死体が手に入ると言っても、解剖用なら数も知れてるし。あまりにもリスクとリターンが見合わないわね」
それは、確かにそうだ。
街の占拠――そんな大がかりなことを行えば、また別の勢力とぶつかる原因にもなるだろう。
そこを押してでも実行したということは、つまり。
「……恐らくですが、狙いは第一医療棟に安置されたご遺体だと思います」
「いや、だからそれも、数が――」
「――一千体」遮るように、彼女の震える声が続く。「第一医療棟には、火葬が間に合わずに収容しているご遺体が、現時点で一千体以上あるのです」
「一千体……!? そりゃまた、なんで……?」
そんなに多くの死者が、街で出たと言うのだろうか。それこそ、屍竜でも暴れたかのような被害状況だ。
「……わかったわ。『呪い』の周期を、終えたばかりだったのね」
確信に満ちた声で、リタが言う。答え合わせは一瞬で、シーナの無言の首肯がひとつ。
『呪い』。
先程も話に上がったばかりだ。【病の街】の呪いは、確か――。
「……今年の呪いは、酷い肺咳でした。雨が少なく、乾燥していたことも災いしたのでしょう。治療法の発見が遅れ、多くの人が亡くなりました」
【壁の街】の呪いは、十二年周期で目覚めると言っていた。
それであれば、【病の街】の呪いも似たようなサイクルで回っていてもおかしくない。なるほど、そこを狙って、やつらは街を襲ったわけか。
「今は、私の師匠に当たる方が、人を集めて第一医療棟に立て籠もっています。怪我人も多いと聞いているので、一刻も早く、薬を届けなければならないんです」
彼女の声は、そこでほとんど悲鳴のような調子に変わっていた。ただならぬ様子に、思わず僕も気圧される。
これで全て合点がいった。あの時、屍竜の巣で潔く退いていったのも、この状況があったからなのだ。
邪魔なドラコが介入できない、自分たちの勢力圏に僕たちが誘い込まれる。そこまでがあの時点で、完璧に仕組まれていた――。
「――気に入らないわね」
リタの声に、苛立ちが混じる。目は殺気を帯び、すぐにでも癇癪を起こしてしまうのではないかと、見ていてヒヤヒヤするほどだ。
しかし、彼女は冷静だった。ただ冷たく、状況を咀嚼する。【赤翼】は決して、感情に任せて動いたりはしない……少なくとも、仕事中であるならば。
「何もかも自分の手のひらの上です、って感じなのが気に入らないのよ、あの神父。本当、消し炭にしてやりたいわ」
「そんなこと言ったって、仕方ないだろ。それとも、他に何か、ラティーンを治すことができるアテがあるのか?」
「ないわ。あのまま置いていけば、死を待つしかない。そもそも私たちには、選択肢が残されてないのよ」
トントンと、絶えず窓枠を叩く爪の音が続く。激情に声を荒げる彼女は何度も見たことがあるが、静かに怒りを表す姿を目にするのは初めてかもしれない。
リタという人間にとって、ラティーンがどれほど大きな存在だったのか。彼女の過去を知らない僕に、それを測り知ることはできない。その程度に、僕らは他人なのだから。
そんな様子を見かねてか、シーナがおずおずと手を挙げる。
「あ、あの……治す、って、もしかしてお二人は、何かの治療法を探すために【病の街】に向かっているのでしょうか?」
「……ああ、そうか。話してなかったな」
どこまでを彼女に伝えるべきか、少しだけ悩む。しかし、取捨択に使える時間は決して多くなく、順列並び替えも中途半端のまま口を開く。
「僕らの仲間が、毒を受けちまってな。それが魔物の毒……とにかく特殊なもんらしいんだ。だから、そいつをどうにかする方法を、僕らは探しに行くのさ」
とはいえ、現地がそんな混乱に巻き込まれているとなれば、果たして本当に解毒法が見つかるかは怪しいが。
最悪の場合、既にそれが可能な医師が命を落としている――その可能性も検討するべきだろう。
口にしつつ、裏側でそう考えている僕に、シーナはどこかハッとしたような表情を返してきた。
なんだ、その反応は――と、そんな思考が過ぎるよりも早く。
「――それなら、私たちが力になれるかもしれません」
シーナの声が力を帯びる。その様に、何かを感じ取ったのだろう。リタがゆっくりと、投げ出していた視線を彼女に戻した。
「……力になれるって、それは、どういうこと?」
「言葉の通りです。私の師匠は【病の街】……いえ、大陸有数の『毒使い』。たとえ、未知の魔物の毒であろうと、対処法を持っているはずです」
『毒使い』。
どこか、医者のイメージとは乖離したようにも思えるその響きに、思わず身構えてしまう。
だが、これで話はシンプルになった。僕たちのやるべきことと、目の前の問題がガッチリと重なったのだ。
「リタ。これはもう、やるしかないんじゃないのか?」
「……ええ、そうね。どうせどこかで、やらなきゃいけないことを、前倒しするだけだもの」
どこか、リタの瞳が鋭く輝いたような気がした。僕らにはこのくらいわかりやすい方がいい。
と、少しだけ気を遣って待ってみたものの、彼女は何も言う気配がなかった。ただ、僕の方をじっと見つめ、何かを待っているように。
その意図も、いつの間にかわかるようになっていた。カッコつけるのは、僕の役目だと言うことなのだろう。
ならば、やってやろう。どうせ、乗りかかった船だ――。
「安心しろよ、シーナ。お前の師匠と街は、僕らが何とかしてやる」
そこで親指を立てて、隣に掛けるリタを指した。まあ、ほとんど戦うのは彼女なんだが、そんな注釈は不要であろう。
僕の言葉に、シーナの表情がパアッと明るくなる。それを曇らせぬために、そして何より、ラティーンを救うために。
戦士などではないというのに、戦う理由が増えるのは、決して悪いことではないように思えた。
そんな僕を、僕らを乗せて列車は進む。向かうは永遠の病に噎ぶ街。そして今は、死の病に侵された街。
来たる宿命との決着に、ただ、血が冷たくなるような感覚を覚えながら――。
――そんな自分の内側で、進行する病にも気が付かず。