第十七話「襲撃、そして」-3
【壁の街】は、大陸の中でも有数の都市だ。
『呪い』の魔物たちから民を守るために建設された壁は、イコールで街の安全性を担保することに繋がっている。そのため、多くの商人がこの街を訪れ、そのまま腰を据えることも多いのだ。
必然、集まるのはモノだけではない。ヒトも技術も、多くのものがここには集まる。故に、医療技術も決して低くはないのだが――。
「――駄目ね、ここにある設備じゃ、完治させるのは難しいわ」
ここは【壁の街】の病院。
自分の分の手当てを終え、待合室で随分と長いこと待たされていた僕に、リタはそう言った。
胸を貫かれたラティーンの治療。それは数時間にも及び、処置室から出てきたリタがそうぼやきながらソファに倒れ込む頃には、空が西日に染まり始めていた。
「完治させるのは難しい、ってどういうことだよ。傷は塞がったんだろ」
「ええ、無事に止血も、縫合も上手くいったわ。けど……」
リタは言い淀む。あの後、最低限の応急処置のみを施した後、ドラコの背に乗って街まで帰ってくることができた。
ラティーンの傷は、常人であれば致命傷となりうるものだったが、そこは原初の竜騎士。ほとんど気力だけで、ここまで耐えてきたようだった。
「リタ様、あとは私が説明する」
言い淀むリタをよそに、小さな影が近付いてくる。治療の助手としてついて行ったマキナだ。
彼女は無表情を崩さず、かと言って無感動なわけでもなく、淡々と事実のみを口にする。
「傷はどうにか塞がった。リタ様の医療魔術は、街の一流の医者たちと比較しても遜色ない」
「……っ、なら」
僕は僅かに、腰を浮かせながら。
「問題は、毒の方。この街にある薬では解毒できない、特殊な毒」
特殊? と僕は首を傾げる。
「恐らく、魔物由来の毒ね。普通の解毒薬や魔術では、回復は見込めないわ」
「そんな、それじゃ、ラティーンは……」
リトラは『即効性の致死毒』と言っていた。
それが回復できないというのなら、もう、彼は――。
「諦めるのは早いわよ」リタはソファから上体を起こす。「症状の進行は魔術で抑えたから、今すぐどうこうってことはないはず。それに、解毒する方法も無いわけではないわ」
「……心当たりでもあるのかよ」
僕の問いかけに、リタは逡巡するように視線を彷徨わせた。
恐らく、確信は無いのだろう。だから、それを口にしてもいいかどうかの迷いが、僅かに彼女の判断を鈍らせている。
けれど、今はなりふり構っている場合ではない。それは、彼女にもわかっているから――。
「――あるわ。あらゆる毒や病に襲われ、それでもその研究を続けることで生き残り続けてきた街……」
「リタ様、もしかして、【病の街】に行くつもり?」
マキナの言葉に、リタは無言の首肯を返した。
「【病の街】……?」
首を傾げる僕に、答えたのは再びマキナだった。
「ジェイ様、【病の街】のことは知らない?」
「……ああ、なにぶん、田舎者なもんでな。あんまり、他の街には詳しくないんだ」
そもそも、生家が焼かれなければ故郷を出ることもなかっただろう。僕のような若造の見識など、そんなものだ。
「【病の街】は、大陸の中心地よ」
そんな僕に補足するためか、リタが体を起こしつつ口を開く。
「定期的に、治療法の存在しない病が湧き出る呪いがかけられた街――それ故に、医療の発達は他の地域に比べて著しく、現代では不治とされる病ですら、治る可能性がある」
納得した。つまり、【壁の街】と同じく、呪いによってある種の定向進化を成し遂げた街ということか。
「……そこなら、魔物の毒の治療も?」
「ええ、恐らく可能だわ。それに、ここからなら大陸間横断鉄道で二時間もかからない」
僕は空に目を向ける。日は沈みつつあるが、今すぐに動き出せば、列車の最終便には間に合うだろう。
ならば、と僕は腰を上げる。包帯でぐるぐる巻きになった両腕は今もジンジンと痛み、擦過傷と挫傷の残る体は、僅かに動かすだけで不調を訴えた。
それでも、考えるよりも早く体は動く。行かねばならぬと、立ち上がる。
そんな僕に待ったをかけたのは、意外にもリタだった。彼女はソファに掛けたまま僕のことを見上げ、静かに言う。
「……先に言っておくわ、もし、【病の街】に行くのなら、今までの比にならないくらい危険な道行きになるわよ」
「危険な、道行きか」僕は言葉を反芻する。
「ええ、私たちが弱りきっていることは、もう向こうにバレてるわ。街に着いてから、あるいはその往路か――どちらかで、必ず仕掛けてくる」
彼女の声には、かつてないほどの緊張感が漲っていた。
あの場での戦闘こそ避けられたとはいえ、僕もリタも負傷が回復したわけではない。そして、道中の僅かな時間で回復するとも思えない。
「それだけじゃないわ。流石に他の街に行くのに、ドラコを連れて行くわけにもいかない。状況だけ見れば、あそこで戦うよりもさらに悪化してるわね」
「……だろうな、というかあの時も、ドラコがいなけりゃどうなってたかわからない」
リトラは、一人ではなかった。
前回も手下を引き連れてはいたが、今回はあんな有象無象とは違う。
リタと撃ち合い、そしてラティーンを刺したあの細身の人影。あいつは一体、何者だったのだろうか?
少なくとも、彼女と真っ向から戦り合えるだけの力がある――それだけで警戒に値することは間違いない。
「そう、敵の正体も、私たちは全く掴めていない。もしかすると、目的地に辿り着くこともできないほどに、熾烈な戦いになるかもしれないのよ」
脅しをかけてくる彼女の言葉に、僕は笑みを返した。
熾烈な戦い、それも結構だ。そもそも、リトラをあの場に呼び寄せてしまったのは、僕が原因なのだから、自分で責任を取らなければならない。
そうしなければ、僕は、自分で自分が許せないだろう。
「……それに、リタ、お前もいるしな」
聞こえるか聞こえないか程度の声で、僕は呟く。聞こえなくたっていい、むしろ、その方が好都合でさえある。
「は? あんた、今なんて……」
「信頼してるぜ、【赤翼】サマ。って言ったんだよ!」
僕は歩き出しながら、肩にジャケットを引っ掛ける。全身のあちこちが痛み、滲んだ涙を指先で拭う。
どうあれ、もう、逃げ回るわけにはいかない。関係のない人をこれ以上傷付けられないためにも、どこかで覚悟を決める必要はあるのだ。
リタは、そんな僕を見て一つ息を吐く。呆れが半分、残り半分は、斜に構えるポーズだろう。きっと、彼女も同じ気持ちに違いはないのだから。
「……それじゃ、行きましょうか。目的地は【病の街】。目標はラティーンの解毒法を見つけること……いいわね?」
静かに頷く。ここ一ヶ月、ずっと面倒事は避けたいと思っていたはずなのに、危険になど、飛び込んでいきたいと思っていなかったのに。
僕は初めて、自らの意思で――苦難の道に、足を踏み入れたのだった。