第十五話「生者の行進」-3
「――負けるだろ、このままじゃ!」
発した言葉に、僕は自分でも驚いていた。打算だとか、自分の安全だとか、そういったものを全部脇に置いた、きっと心の根っこのところから出てきた言葉だったのだ。
それは止まることなく、僕の口から転び出ていく。
「相手は屍竜だ、人間が勝てる相手じゃないんだよ。【赤翼】が最強っていうのも、あくまで万能屋としてって話であって、こんな化け物と張り合う必要はないはずだろ!?」
「……あんた、そんな風に考えてたの?」
「ああ、そうだ。お前がここで死んだら、僕の安全はどうなる! 僕が依頼したのは――」
ああ、もう。
あと二週間、僕はこれ以上彼女に対して、深く踏み込まないと決めていたのだ。
なのに、この先を続けてしまえば、きっと僕たちの関係は、今までの形から変わってしまう。
それでも。
「――伝説上の【赤翼】じゃない、ここにいるリタ・ランプシェード、お前になんだぞ!」
リタが死ぬよりは、ずっとマシだと思ったのだ。
「……」
彼女は答えない。ただ、再び爪を構え直そうとしている屍竜の方に、視線を向けたままだ。
無視かよ、と僕の心に僅かな影が差す。言葉が届かないなんて今更のことなのに、それがやけに悲しくて、そして何より、悔しかった。
屍竜の一撃が、地面を抉る。それを硬化させた両翼で受け止めた彼女の足は、明らかにふらついていた。見れば、彼女の額から垂れる血液は、どんどんとその面積を広げていっている。
今や、決断を迫られていた。渦中に飛び込み、リタを無理矢理にでも止めるか、それともここで傍観を続けるか。或いは、一か八かここから逃げ出してみるか。
どれも、聡い判断だとは思えなかった。しかし、もう僕にはどれが正しいのかわからない。
なら、僕のすべきことは、僕のしたいことはどれなのだろうか。
考えるよりも早く、足に力が籠もった。前傾に体重が乗る、心臓が大きく脈打つ。
体内で筋肉と骨が軋む音を聞きつつ、僕はそのまま、駆け出そうとして――。
「――あんた、一つ勘違いしてるわよ」
そんな僕の足を、リタは一言で縫い留めた。
拮抗する力。屍竜の前脚を受け止める彼女には、言葉を交わす余裕など無さそうに見えた。細かく震える体に、頭から滴り落ちる血。どこを取っても限界を思わせる要素ばかりだ。
けれど、その全てが、リタ・ランプシェードを折るには足りないものだった。だから、彼女はその瞳の輝きを欠片も曇らせずに続ける。
「一つ、私はヤケになってなんかない。状況も過不足なく把握してるわ。その上で、最適解を打っているつもり」
鋭く閃いた翼が、屍竜の脚を跳ね上げた。微かに浮いた巨体を睨みつけつつ、両足に力を込める。
「二つ、私は負けるつもりなんてない。私が最強を名乗っているのは、自負でも奢りでもなく、単なる事実だからよ」
一拍も空けずに、リタは砲弾の如く駆け出した。小柄な体が風に乗り、ふわりと紅蓮の髪が宙に鮮やかな線を引く。
同時に、辺りで何かが舞い上がった――羽根だ。これまでに、羽弾や弾かれた羽剣として、撒き散らされていた純白の羽根。それらが、彼女の足取りに応えるようにして浮き上がる。
それは単に、風圧で持ち上げられたわけではない。この空間に満ちたリタの魔力に手を引かれるようにして、指向性を持ち、飛んでいく――。
「――三つ目。今の【赤翼】は私、それは何があっても、あなたがどんな思いでも、揺るがないわ」
無数の羽根が、屍竜の周囲を取り囲む。包囲されていると気がついた竜の喉が膨らむが、既に遅い。
纏わりついた羽根は、まるで意志を持つかのように俊敏に口元に巻き付き、吐息の出口を塞ぐ。それだけではない。鋭い爪を持つ両腕も、恐ろしい暴風を生み出す翼も、真っ白な羽を覆われていく。
「『鉄の翼――羽檻』!」
叫ぶと同時に、リタは小さな手のひらを突き出し、ぎゅっと握る。それに呼応するように羽根たちは一層、屍竜の表面に貼り付き、纏わりつき、そして締め上げた。
ギリギリと軋む、竜の筋骨。けれど、確かにその動きは縫い止められていた。
それを見届けてから――立ち止まった彼女は静かに目を伏せる。
「――詠唱開始」
薄い唇が、微かに震える。
その口から漏れ出てくるのは、魔力を励起させるための呪文だ。彼女の一言一言に合わせるように、周囲の魔力が熱を帯びていく。
魔術師、これは死霊術師も同じだが、僕らは普段、可能な限り呪文の詠唱を省略する。そうした方が魔術の効果は高まり、成果も安定する。
しかし、戦いにおいて最も大事なのは速度、そして、生活で用いる際に最も必要なのは利便性だ。
その両面から見たときに、効果重視で詠唱を行うことは、必ずしも良いことだとは言えないだろう。
そのため、魔術師たちは一つでも多くの魔術を略式で使用できるようにする。熟練した者なら、大半の魔術を詠唱略で唱えられるはずだ。
そして、リタは最強の万能屋。つまるところそれは、一流の魔術師の代わりにもなれるということ。ならば、ご多分に漏れることもないだろう。
――けれど、もし。
今のような、一撃の威力が欲しい状況なら、話は別だ。