第十四話「出陣」-1
翌朝、僕たちの起床は、いつもよりも二時間以上早い、空が白みだした頃だった。
僕は珍しく、リタよりも先に目を開けた。作戦当日の緊張感がそうさせたのか、心拍がいつもよりも早く、そして重い。
身支度を整え、懐の霊符の枚数を確かめる。昨晩補充したため、十分な量が用意できている。
頼りなくはあるが、いざという時にはこれが最後の生命線なのだ。できる限りの準備をしておいて、損はない。
首からロザリオを掛け、襟を正したところで、背後から眠たげな息遣いが聞こえてきた。
「……あれ、ジェイ。もう起きてたの……?」
半開きの目を擦りながら上体を起こしたリタには、いつものような鋭さも、苛烈さもなかった。
「ああ、ちょっと、な。『夕暮れの街』に慣れすぎて、朝の空気が合わなかったのかも」
口にしてから思えば、街の外で一晩を明かしたのは、この生活が始まってから初めてだ。
あながち、それも原因の一つで間違いないのかもしれない――と、ぼんやり考えつつ、彼女の半開きの目を見つめる。
「……なによ」怪訝そうに、彼女は眉を寄せた。
「いや、何も。それよりも、この後、魔物と戦いに行くっていうのに、そんなに寝ぼけ眼で大丈夫なのかよ?」
「余計なお世話ね。それに、しっかりと抜くところは抜く、引き締める時は引き締める。それが、プロとしての心構えよ」
そりゃあまた、都合の良い心構えだこと。
とは、言葉に出さず。僕は背を向け、窓の外を見やった。
流石に、この早朝では『壁の街』といえど、眠りに就いているかのように静かだった。
耳を澄ませば、遥か遠くから砲声と爆音が聞こえてくるような気がしたが、それは昨日、あの光景を目にしていたからだろうか。
いずれ、この街の壁は突破される。
その未来を遠ざけるためにも――今日の作戦は、絶対に失敗できないのだ。
「……本当に、いいのね?」
その声に振り返れば、既にリタが身支度を整え、僕の背後に立っていた。目を離したのはほんの数分だというのに、魔術でと使ったのだろうかと、疑いたくなるほどの早着替えだ。
「いいって、何かだよ」
「今日の作戦。あなた、私についてくるってことで本当にいいの?」
僕はそんな話を聞きながら、昨晩の会話を思い出していた。
結局のところ、作戦の内容は変わらない。ラティーンとドラコが道を開いて、その間にリタが、親玉を叩く。
けれど、ラティーンは言ってくれたのだ。無理に、僕を危険な場所に連れて行く必要はないと。
だから、僕には選択肢が生まれた。リタに同行するか、それとも、ここに残ってマキナとともに二人の帰りを待つか、だ。
そして、僕は決断した――危険を犯してでも、リタについていく、と。
「ああ、それか」僕は努めて、事もなげに。「問題ない……わけがないだろ。魔物との戦いに巻き込まれるなんてまっぴらだし、可能なら行きたくないさ」
【赤翼】ですら手を焼く、魔物の親玉。
そんなものとの戦いに同行すれば、巻き添えを食らってもおかしくはない。どうして、僕がそんな危ない所に、とも思う。
だが。
「ここに残ったって、リトラ神父の手下が来るかもしれないんだ。どう転んだって、安全なところなんてない。それなら、少しでもマシな方を選ぶさ」
そこで、一歩、彼女に歩み寄る。
しっかりと両目を見据えたのは、今の僕にできる、最大限の誠意の表現だった。
「――守ってくれるんだろ? 【赤翼】さん」
僕の言葉に、彼女は一瞬だけ驚いたような様子を見せた。
しかし、すぐにその視線はいつもの鋭さを取り戻す。
「あんた、変なところで気障なのよね」
「うるさいな、いいだろ、とにかく信頼してるってことだよ」
変に茶化すものだから、何だか気恥ずかしくなってしまった。
照れを振り払うように、僕は部屋の扉に手をかけようとした――ところで、勢いよく扉が開く。
「よう、お前さん方! 起きてるかい?」
入ってきたのはラティーンだった。既に彼は身支度を整えており、いつもの重々しい鎧を着込んでいた。
彼は向かい合う僕らを、交互に見た後に、一拍を置いてから、口を開く。
「……すまん、お邪魔だったな」
「「邪魔じゃないっての!」」
思わず、声が揃う。そんな様を見て、ラティーンは豪快に笑った。
「ガハハハ! 二人とも、仲睦まじそうで何よりだ」
「勘違いしないでよね、ラティーン。こいつと私は、ただの雇用関係で……」
「はいはい、まあ、なんだっていいけどよ」
そこで、彼の視線が鋭さを増す。
兜越しに見えるその眼光は、先程までの人の良さそうな印象とは違う、戦士の、或いは万能屋としての真剣味を感じさせた。
「……これから行くのは、死地だぜ。俺らが十二年前にしくじった……いや、しくじらざるを得なかった、そんな相手と戦うんだ。リタ、覚悟は――」
「――言うまでもないわ」
食い気味に、彼女は答える。その目にはもう、迷いなどない。
「私は【赤翼】。世界最高の万能屋だもの」
言い放つと同時に、その赤い髪が靡く。窓から風が入ってきたのだ。それはどうにも神々しく、そして、出来過ぎの構図に見えた。
心配など、何一つとして要らない。これまでと同じように、彼女に任せておけば全てを収めてくれる――そんな、安心感に満ち満ちた立ち姿だった。
と、不意にラティーンの背後から、ちょこちょこと歩み出してくる小さな人影があった。
その人影――マキナは、僕たちの目をしっかりと見つめ、口を開く。
「……リタ様、ジェイ様。どうぞ、お気をつけて。そしてどうか、この街の宿痾に――竜の因縁に、決着をつけてください」
竜の因縁?
首を傾げる僕を尻目に、リタは強く頷いた。
問いかけようと口を開くよりも早く、ラティーンが鬨の声を上げる。
「よし、それじゃあ行くぜ。目標は北の沼地、この街の呪いの中心部だ」
幕が開く。もう、待ったはない。
戦いの火蓋は――切って落とされようとしていた。