第十一話「壁の街」-2
問答無用、といった調子で進む彼に、僕は戸惑いを隠せなかった。
現状、と言われてもピンと来ない。見る限り、【壁の街】は賑やかな城塞都市であり、特に変わった様子は見受けられない。
僕の動揺が伝わったのか、横合いでリタが溜息を吐いた。
「馬鹿ね、本当にこの街が平和なのだとしたら、【赤翼】が呼ばれるわけないじゃない。ラティーンが手に負えないような事態が起こるから、呼ばれたのよ」
「そう言われてもな、ほら、街は平和だぜ。確かに僕らはここに来る途中、魔物に襲われたけど、あいつらもドラコにビビって逃げていって、ここでは人が襲われる様子なんて……」
そこで、リタが頭を振った。それに合わせて真っ赤な髪が、左右に揺れる。
「違うわよ、問題があるのは街の外。どうして、この街に強固な防壁が必要だったと思う?」
「いや、それは列車の中でも聞いたけどさ、でも実際、そんなに魔物たちはいなかっただろ?」
僕らはドラコの背に乗って、街を訪れた。その際に外観は目にしているのだ。
確かに、防壁に縋り付くようにして魔物が這い寄って来ていたが、それも大した数ではなかった。
防壁に備え付けられた迫撃砲が火を吹けば、すぐにそれらは退けられる程度だ。
「ガハハ、そうだな。さっきは『方角』を避けて飛んできたからよ、まあ、見てみりゃわかるだろ」
『方角』? と首を傾げる僕を尻目に、彼は石段に足をかけた。どうやら、高台に登るようだ。
素直についていけば、防壁の向こうまでが見渡せる眺望が、僕たちを迎えてくれた。
「――っ!?」
そして、そこに立ち入ると同時。
僕は、言葉を失った。
――地を埋め尽くす、無数の魔物たち。
まるで、砂糖菓子に叢がる蟻のように、無数の魔物が、街に向かって押し寄せていた。一面に広がるその群れが、まるで黒い絨毯のように、地面を覆っている。
千や二千では効かない。数える気も起きないほどの大軍勢が、ひたすらに防壁を叩き続けている。
壁の上では絶え間なく砲火が上がり、その度に、水面を叩くようにして魔物たちが吹き飛ばされる。しかし、そうして空いた穴も、すぐに次の手勢によって埋められていく。
「……これが、今の街の状況だ」
一本踏み出したラティーンは、腕を組み、先程までとは違う、真剣そうな面持ちで口にした。
「元々の『呪い』の効果に加え、今年はヤツが目覚める当たり年だ、『方角』から、無尽蔵に連中が湧いてきやがる」
「……さっきも気になったんだが、『方角』ってのは、なんなんだ?」
「十二年前、俺たちと【赤翼】が、魔物の親玉を封じた場所、そっちの方から、魔物は湧いてきてやがるんだ。ここ一ヶ月で数を増やし、今じゃ、食い止めるのが精一杯だ」
魔物の親玉。
【赤翼】――リタの実力をもってしても、二千人もの被害者を出した、諸悪の根源。
なるほど、そいつを倒すのが、今回の依頼ってことか――。
「――って、できるわけないだろ、そんなの!」
僕は思わず声を張った。いくらリタが強かったとしても、あの数の魔物を向こうに回すのは無茶だ。
そして、彼女が無茶をするということは、僕がそれに巻き込まれるということでもある。イコールで死を意味するその蛮行を、見過ごすわけにはいかない。
「なあ、リタ、止めとこうぜ。止めたほうがいい、今回ばかりはしっかりと止めとくぜ、いつもの無茶とはわけが違う、今回ばっかは本当に死んじまうって、なあ!」
「うるさいわね、そんなに取り乱さなくても、ちゃんと作戦はあるわよ。あんなべらぼうな数の化け物と、真っ向からやり合うわけないでしょ」
僕は頭を抱えた。作戦? どんな作戦があれば、この数の差をひっくり返せるというのだ。
リタが勝手に死ぬのは、まあ百歩譲って許せる。しかし、その後の僕の身の安全はどうなるというのだ。いっそのこと、【壁の街】に潜伏するのも悪くない。これほど賑わった街ならば、追手に見つかる可能性も低いだろう――。
「――何言ってんだ、お前ら?」
ぐるぐると回る思考を、ラティーンの声が縫い留めた。彼は、本当に僕らが何を言っているのかわからないという様子で、ぽかんと僕らを見つめている。
そして、一心拍の後、彼のグリーンの瞳が僕たちを映す。さも当然とでも言うように、事もなげに、彼は口を開いた。
「やるのは【赤翼】だろうが、お前らがそんなに心配したってどうにもなんねえよ。なあ、リタ、あいつは――」
「――ラティーン」
聞いたこともないほどの冷たい声が響く。リタは、たったそれだけで彼の言葉を両断した。
「……【赤翼】は、私よ。他の誰でもない、この仕事は、私がやらなきゃいけないものなの」
「そりゃあ、おめえ……」
ラティーンは何かを言いたげに、視線を彷徨わせた。しかし、すぐに何かを察したように深く頷くと、額に手を当て、息を吐く。
「……なるほどな、十二年か。そんだけの時間が、経ったってことだわな」
彼はそうとだけ残して、再び歩き出した。妙に納得したような口ぶりが気にかかったが、それ以上を語るつもりは、彼にも無いようだった。
「おら、お前ら、もうちょいだ。すぐそこが、俺ん家だからよ、ちっと腰を落ち着かせて、話そうや――」
再び、僕らは彼の後に続く。
彼の家に着くまでの、ほんの十分ほど。筆舌に尽くしがたい沈黙が、その場を満たしているのだった。