第十話「大陸間横断鉄道」-2
「【壁の街】はね、そういった魔物たちに襲われる街なの。数年に一度、街に大量の魔物が押し寄せる。街を囲う壁は、そいつらから身を守るためのものでね。住民たちが多くの犠牲を払いながら、どうにか建設したものなのよ」
「ふーん……なんだかわかんないけど、大変なとこなんだな。僕の故郷の【昏い街】なんかはジメジメして薄暗いくらいのもんだったから、同じ『呪い』って言っても、程度があるってことか」
僕は外の街について、多くを知らない。【夕暮れの街】についてだって、家が焼かれなければ詳しく知ることは無かっただろう。
だからというか、そんな苛烈な『呪い』に晒された場所があるというのは衝撃的ではあった。これから向かう件の街が、その『呪い』の中でどんな風に生きているのかは、純粋に興味が湧くところだ。
――そこでふと、ちょっとしたことが気になってしまった。
思えば聞いたことが無かったなと、僕は何とはなしに、それを口にした。
「そういえば、リタの出身はどこなんだ? あの【夕暮れの街】が故郷なのか?」
彼女は、自分の過去について話すことがない。
共同生活もかなりの長さになってきたが、彼女が話すのはここ数年の出来事ばかりだ。来歴や出自など、個人的なことはほとんど話してもらえていない。
だから、ほんの興味だったのだ。彼女が何を抱いて生きてきたのか、それをほんの少しだけ覗きたくなっただけだなのだ。
しかし、彼女の反応は予想外のものだった。端正な顔は、痛みを堪えるような苦渋に歪み、先ほどまで車窓から投げ出されていた視線は、今や鋭さを増し、僕に突き刺さらんと向かってきていた。
「……そうよ、それが、どうかしたの?」
たっぷり数分の時間をかけてから返答してきた彼女は、明らかに不機嫌そうな声色に変わっていた。何か、地雷を踏んでしまったのだろうか。
僕は「いや……」と曖昧に逸らすことしかできず、それで閑話は途絶えた。訪れた沈黙に耐えられず、僕は誤魔化すように、会話を先に進めることにした。
「そ、それで、【壁の街】の『呪い』が、今回の依頼にどう関わってくるんだ?」
僕の浅はかな考えは読まれていただろう、しかし、リタはそれを追及したりはしなかった。ため息を一つ置いて、答えを用意してくれた。
「……【壁の街】を襲う魔物は、普段であればそこまで脅威にならないのよ。腐っても、大陸最大の要塞都市。それに、攻めてくる連中への対処法も確立しているわ」
「普段であれば、ってのが少し引っかかるな。なんだか、まるで『普段通りじゃないこと』が起こりそうな気がしてくるぜ」
「話が早いわね、そう、【壁の街】では十二年に一度、魔物たちの親玉が目を醒ますの。町の城壁に取り付けられた兵器や、常駐している兵士たちも適わない、とんでもない怪物が――」
なるほどな、と僕はそこで合点がいった。
今回の【赤翼】サマのお仕事は、怪物退治と相成るらしい。猫探しや探偵ごっこに比べれば、世間一般のイメージに近いかもしれない。
魔物との戦いとなれば、多少危険はあるかもしれないが、今回も僕は付き添いだ。音に聞く伝説の万能屋の戦いを、特等席で眺めさせてもらおう。
「――前回は、それで二千人死んだわ」
事も無げに続いたリタの言葉に、思わず僕は噴出した。先ほど車内販売で買ったカップ入りの紅茶を、危うく握り潰してしまいそうになりつつ、僕は喉を衝く噎せ返りの針を吐き出そうと努力する。
「に、にせんにん!? おいおい、冗談キツいぜ」
「冗談じゃないわよ、公的な記録でそのくらいだから、実際にはもっとかも」
「冗談であってくれよ、頼むから。というか、【赤翼】ともあろうものが、どうして――」
と、僕が彼女に食って掛かろうとした、その瞬間だった。
ガコン。大きく車体が揺れた。
次いで、流れていた景色が、ゆっくりと減速し、やがて、その加速度を完全に失った。
急停車に、車内のあちこちから、どよめきの声が上がる。何が起こったのか、と、僕は周囲を見渡すために立ち上がろうとした。
「お、おい、一体なんだよ、これ――」
「……しっ。静かにして。何か、妙な音がするわ」
しかし、リタの小さな掌に制され、仕方なく腰を下ろす。
確かに、彼女の言うとおりだった、どこか、遠くで金属を打ち鳴らすような、乱暴な音が響いている。それも一つや二つではない。
無数の硬質な音が、僕たちを取り囲んでいるかのようだった。
「どうやら、外ね。あんたはここにいなさい、少し、様子を見に行ってくるわ」
そう言って、リタは疾風の如くボックス席を飛び出した。混迷が広がり始めた人混みの間を器用に抜けていくと、そのまま、窓から社外に滑り出ていった。小柄なのも、こういう時には役に立つようだ。
残された僕は、とりあえず懐の霊符の枚数を数えた。たっぷり十枚以上、これだけあれば、自分の身くらいは守れるだろう。
さて、後はリタが帰ってくるまでどうしたものか、他の乗客に絡まれるのも嫌だし、事態に気が付かぬまま寝たふりでもしているとするか。
そんなことをぼんやりと考えながら、何の気なしに、再び窓の外を見やった。硝子に映る、覇気のない自分の顔。向上心のひとつも感じないその表情に嫌気が差しつつも、あくびを一つ打って誤魔化そうとして――。
――ぎょろり、覗き込む目玉と、目が合った。