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赤き翼の万能屋―万能少女と死霊術師―  作者: 文海マヤ
三章『竜の慟哭と壁の町』編
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第九話「新しい依頼」-1

 世界最高の万能屋として名高いその存在が語られ始めたのは、二十五年前にまで遡る。


 その頃、この国は隣国である海上国家と大規模な戦争状態にあった。戦略級の魔法が実戦投入された初めての戦争であり、各地での死者は数百万人にも上ったという。


 人だけではない。多くの文化的資料の消失や、遺跡の破壊。僅かながら残っていた『聖域』は残らず蹂躙され、信仰は祈りではなく、縋りつく指先として民衆に抱かれる。

 後の歴史に『冒涜戦争』として刻まれる、そんな凄惨な出来事の最中に、それは突然現れた。


 万能屋【赤翼】。


 各地の戦場で武功を上げ、暴動を鎮圧し、果ては、友好条約の調印にまで一役買ったとされる、紛うことなき英雄。


 ある書物には身の丈数メートルの大男、ある説話には龍の頭を持った半人、ある記録には炎を自在に操る大魔導士として残っている。どの姿が本物なのかはわからないが、いずれにも、共通して描かれているのが、その名の由来にもなった紅蓮の翼だ。


 不条理を吹き飛ばし、閉塞から飛び上がる。

 その者が歩んだ後には、道理に背くものは一切残らないとまで言われたその翼は、ある種万能屋という職業のシンボルとしても扱われている。


 その万能屋を初めて名乗ったのも【赤翼】だ。戦争が終わり、各地でその力を持て余していた魔術師や戦士たちがそれに続くことで、今の万能屋稼業の仕組みが出来上がったらしい。


 意図していたかはわからないが、万能屋という職が広まったおかげで、戦争の終結によって力を持て余した荒くれたちに食い扶持(ぶち)を与えたのと同時に、そいつらが暴れた際の抑止力を用意することに成功した。そうでなければ、戦後の国内の治安はもっと絶望的なことになっていただろう。


 と、こう軽く並べてみただけでも、多大な功績を残していることがわかるだろう。大陸でその存在を知らぬ者はいない、まさに、伝説の存在――。



 ――その、はずなのだが。



「だーーーーーかぁーーーーーーらぁーーーーーー! あたしのが少しだけ小さいって言ってるでしょ!? 取り替えなさいよ!」



 英雄と名高い【赤翼】サマは、大層ご立腹のようだった。指通りの良い、その絹糸のような赤髪を残らず逆立たせ、整ったアーモンド形の瞳を三角にして、まるで猫のように唸っている。


 別に、大したことではない。朝食のパンが、彼女のものより僕の方が少しだけ大きかっただけのことだ。争うのも馬鹿らしく、僕は何とかため息が出そうになるのを堪えながら交換に応じた。


 横暴も横暴。僕を涙目で睨みつけるその姿は、どうしても逸話に語られるような大英雄の姿とは重ならない。年相応――いや、もっと幼く見えるかもしれない。


 【凪の村】の一件から、はや数日。

 彼女と僕の奇妙な同棲生活が始まってから、そろそろ二週間が経とうとしていた。


 結果から言えば、僕の身に危険が迫ることは、あれから一度もなかった。【凪の村】で僕に単独行動を許してしまったのを反省したのか、彼女の監視はさらに厳しくなった。


 彼女の仕事の際に連行されるのは前と変わらないが、少なくとも彼女が、僕から目を離すことは無くなった。それこそ、僕が(かわや)に立つとき以外は、常にリタは僕のそばにいた。


 僕だって年頃だ。それなりに現状に息苦しさは感じているものの、今の平穏があるのも、こうしてリタが目を光らせてくれているからであると思えば、まあ仕方ないことだろうと飲み込むことはできた。


 陸の月は、もう半分が過ぎた。

 あともう二週間の辛抱だ。それで、この生活からも解放される。


 僕はもう毎朝の恒例になった彼女のヒステリーを聞き流しながら、瓶詰のマーマレード・ジャムをパンに載せ、そのまま大きく頬張った。鼻に抜ける柑橘系の爽やかな香りと甘み、そして張りのある酸味が、舌をピリリと痺れさせる。


 【夕暮れの街】の空は、今日も熱を帯びたようにオレンジに染まっていた。久しく、それこそ先日の一件以来町から出ていないからか、流石に体内時計に変調を来たしている。


 人は慣れる生き物だ。

 このおかしな生活にも、驚くほどに僕は順応していた。【赤翼】に連れ回される毎日も、自分が命を狙われているという危機感も、どこか、僕の腹の底に深く落ち着いたような感覚があった。


 ――なら、いつかこの痛みにも慣れるのだろうか?


 胸に刺さったままの悲嘆の欠片から目を背け、僕はもう一口、パンに齧りついた。先ほどはあれだけ鮮やかに感じられた味が、どこかくすんでしまったかのように、舌にベトリと貼りついた。


 いつも通りの食卓。愛想のない彼女との、筆を執るまでもないひと時。

 その膠着(こうちゃく)を破ったのは、横合いから飛んできた快活な声だった。


「どう、そのジャム、美味しいだろ? 【蔦の街(ヴルトゥーム)】から直送してもらった、お高いやつだかんね。あたしの分も残しといてくれよ」


 そう言いながら現れたのは、恐らく外の掃除を終えたのだろう、腕まくりをしたオレリアだった。彼女は額に伝う汗を拭うと、右手に持っていた手紙のようなものを、リタに投げ渡した。



「それ、今日の分。最近結構目立ってきたせいか、来る依頼の数も増えてきてるね。とはいっても、半数くらいは一山いくらのヘボ依頼ばっかだけど、どうする?」


「どうするもこうするも」リタは食事の手を止め、手紙を封切りながら答える。「私のとこに来た依頼だもの。いつも通り、緊急性のありそうなものから順にこなしていくわ」




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