第八話「凪いだ水面」-5
そこから先は、拍子抜けしてしまいそうなほどにあっという間だった。
ロニーは確かに、偽イアンの犯行現場を目撃していた。彼は子供たちを森の中に連れ去っており、歩いて行った方向から、だいたいの方角もアタリがついた。
頼みの綱の魔術も、彼がノビてしまった時点で効果は切れているだろう。あとはリタと一緒に空から探せば、見つけるのはそう難しくもない。
村から十分ほど飛んだところにあった古い小屋。あとで聞いた話だが、かつては木こりが住んでいたらしいが、そいつが【夕暮れの町】に行ってしまってからは、打ち捨てられていたものなのだという。
とにかく、そこに被害者たちは監禁されていた。子供たちはまだ売り払われる前だったらしく、衰弱はしているようだったが、命に別状はないらしく、すぐに村の医者が運んでいった――けれど、予想は一つだけ外れてしまった。
いや、正確には、最悪の方向で当たったというべきか。
あの村にいたイアンが偽物なら、本物のイアンは何処に行ったのか。
僕は最初、子供たちと共に監禁されているものだと思っていた。つまり同じところに捕まっていて、一緒に助け出せるものだと、そう思っていた。
しかし、彼はそこにはいなかった。
それが合理的ではある。広い森の中、埋めてしまえば見つけることなど叶わないだろうし、何かの間違いで逃げられれば、奴らの計画は終わってしまうのだから。
そう理解はしていても――割り切れない。
或いは、僕ならば彼の痕跡を見つけることができたのかもしれないが、それを積極的にする理由はなかった。事実を伝えることばかりが、決して最良とは限らないのだから。
それに、これは【赤翼】の仕事だ。
これ以上、僕が手を出すべきではない。
その後に続くのは、恙ない後日談だ。後日、『商品』を回収しに来た人身売買グループをリタがひとりで壊滅させただとか、それがある役人の悪事を暴くきっかけになっただとか。語る気になれば尽きないが、これらはまた、別のお話。
「結局のところ、大した事件じゃなかったのよ。これであの村にも、魔術に理解がある衛兵が置かれることでしょう。もう滅多なことが無ければ、あんなことは起きないわ」
すべてが終わって【イットウ】に帰ってきた夜、彼女は今回の一件をそう結論づけた。曲がりなりにも死者まで出ている上に、危うく子供たちが売られそうになったというのに、それを「大したことない」で片づけられるのは、彼女の器の大きさか、それとも。
「なあ、ひとつ、聞いてもいいか?」僕はオレリアが用意してくれたシチューを匙で掬い上げながら、向かいに座る彼女に問いかけた。
「なによ」とだけ不機嫌そうに返す彼女は、猫舌なのか、繰り返し匙に息を吹きかけている。まったく、こうして見れば到底【赤翼】だとは思えないのだが。けれど、今回の事件においても、彼女はその名に恥じない洞察力を発揮していた。
「……イアンが偽物だって、いつ気が付いたんだ?」
僕が気になっていたのはそこだ。彼女はいつ、どのタイミングで今回の件の真相に至ったのか。少なくともあの猟師の家を調べた時点では、もうすべてを見抜いていたようだが。
「最初からよ、そんなの」彼女はこともなげに、そう口にした。
「あいつが顔を変えてたのは最初からわかってたから、怪しいとは思ってたの。決め手は、あの家に出入りしてたのがあいつしかいなかったってことだけど。森から帰ってきてからしばらく口を利かなかったのは、他の村人の会話からイアンの人間関係を知るためだろうし、自警団を結成したのも、怪しまれないためのブラフだったんでしょうね」
まくしたてるように言う彼女に、僕は圧倒された。
なんだ、だったら早く言ってくれればいいのに、とは思うが。そうすれば、僕は――。
「――言ってくれたのなら、単独行動なんかしなかったのに。なんて言うつもりじゃないでしょうね?」
彼女は苛立った様子で、僕に匙を向けた。その気迫に、思わず僕は両手を上げてしまう。
「……依頼人を放置しちゃったのは私の責任だから、今回は不問にしてあげる。でも、あんまり身勝手なことをするなら、身の安全は保障できないわよ」
わかってるって。僕はそう言いながら頭を振った。
今回は、僕に言い訳の余地などない。僕は死霊術師として、やらなければならないことをやった。けれど、決してそれは僕の独断の免罪符にはならない。
しかし、意外にも彼女はそれ以上愚痴を言うことは無かった。代わりに、穏やかな口調で問いかけてくる。
「……そういえば、あんた、あの霊魂から何を頼まれてたの?」
僕はドキリとした。あー、とか、どうだったかな、とか。そんな風に濁そうとするも、彼女を誤魔化せるはずなどなく。
「あんたの使う死霊術は『簡易契約』……つまり、霊魂の方からも契約条件を提示できたはずよ。それに、あの場で何か言われてたじゃない」
窮した。言うべきかどうか迷ったが、別に隠すことでもない。僕は水の満たされたグラスを手に取りながら、ぽつりと言った。
「……なんてことないさ、ただ、伝言を頼まれたんだ」
「伝言……?」リタが首を傾げる。
「両親に伝えてくれってさ。ただ一言、『ありがとう』って」
村を出る前、僕はあの猟師の家を訪ねた。
ロニーの最期の言葉――それを伝えるために。
突然現れた死霊術師を名乗る男にそんなことを言われて、彼らがどう思ったのかはわからない。けれど、静かに涙を流すあの表情は決して――悪いものでは、無かったはずだ。
「……死してなお、遺る想い、か」
リタはしみじみとそう呟いた。彼女にも思うところがあるのだろうか。その赤い瞳に宿る思いを読み取ることは、僕にはできない。
遺してしまった者の思いも。
それを告げられた者の思いも。
僕らは思い浮かべて生きていくしかない、死んだ者の気持ちなど、僕ら死霊術師でもわかりはしないのだ。
それこそ、死ぬまでは。
「……なあ、リタ」僕は敢えて、訪れた沈黙を破るように口を開いた。
別に、大した意図があったわけではない。なんとなく湿っぽい空気が嫌だっただけで、ほんの少しだけ、おどけてみたいと思っただけだ。
「僕も少しは、役に立っただろ?」
僕の言葉に、彼女はほんの少しだけ口角を上げた。
夜の【イットウ】の喧騒が、僕らの間を通り抜けていく。どこかで、オレリアが注文を読み上げる声がして、ジョッキがぶつかる音がする。けれど窓の外は変わらぬ夕暮れのままで、窓の外を一羽の鴉が飛んでいった。
【凪の村】はもう夜なのだろうか。救えなかった本物のイアンの魂は、空に昇ったのだろうか。僕があの場でどうしていようと、全てはもう終わったことで、時間は絶え間なく流れていく。
言うまでもなく、彼女の返答は決まっていた。
「ばっかじゃないの」