第八話「凪いだ水面」-2
僕は、彼女にそれを話すべきか迷った。というのも、話したところで彼女に伝わるとは思えないからだ。
多分、今この村にいる人間でその存在を知っているのは――僕だけだから。
僕は半ば無意識のうちに、首元のロザリオに手を伸ばしていた。冷たい金属の感覚が、荒事で火照った体温を冷ましていく。
しかし、そうして俯いていても時間は過ぎるばかりだ。言うまでリタは納得しないだろうし、仕方がない。と、腹をくくって。
「……実は、僕は――」
と、口にしようとして。
口の中で音の形を定めていて。
そこで、気づいた。
「――ちょっと待て、あるぞ」
はあ? と、リタが苛立ち交じりの声を上げた。何を言っているのか、という顔で、僕をじろりと睨みつけてくる。
「あるって、何よ。子供たちを見つける手がかりがあるって言うの?」
「ああ。たぶん僕は一人、目撃者を知っている」
「目撃者って、そんなのがいるならこいつはとっくの昔に捕まってたでしょうが」
顎で指しながら、彼女の眉間の皺がどんどんと深くなっていく。何を言っているんだこいつはと、口にしていないのに聞こえてきそうなほどだ。
確かに、そうだ。偽イアンはそれなりに用心して行動していただろうし、認識阻害魔術を用いていた以上、魔術師でもなんでもない村人に犯行を目撃されるというのは考えにくい。
第一、そんなものがいるのならリタがこの村に呼ばれることはなかっただろう。この事件で一番厄介だったのが、そう言った手掛かりの見つけづらさでもあったのだろうから。
ただ。
それは人の目において、の話だ。
「……いるんだよ、それが。一人だけ、事件の一部始終を人知れず見届けてたかもしれないやつがさ」
「あんた、まさか」
リタの目が驚愕に見開かれる。恐らく、言わずとも理解してくれたのだろう。彼女の表情が、ほんの少しだけ弛んだ。
「……いいわ、どうせ他にアテもなさそうだし、案内しなさい」
僕は静かに頷いた。
そして、思い返す。僕が『彼』と最後に会った場所は、ここからそう遠く離れてはいない。そう遠くないところにいるはずだ。
僕は歩き出す。確かな居場所はわからないが、たぶん僕は、もう一度彼と会うことができる。二度あることはきっと三度あるはずだという、それは何も根拠のない予感でしかなかったが、僕の怠惰を蹴とばすにはそれで十分だった。
かさり、かさりと、逢魔が時の村に僕らの乾いた足音が響く。
あの街のものとは違う柔らかな西日は、しかし、僅かな陰影までもを色濃く映し出す。深まるコントラストは、イコールでタイムリミットを表している。
リタは、先を行く僕に何かを言ったりはしなかった。口うるさい彼女にしては珍しく、黙して僕に着いて来ている。
それもそうか。何でもできる彼女にしたって、これは明らかに専門外。条理の外にある、埒外の作業だ。
僕にしかできない。
僕がやらなければならない。
事件の解決とか、そんなことは差し置いたとしても、僕は僕として、ここを譲るわけにはいかない。
ロザリオを握る手に、思わず力が籠る。冷たい金属の角が掌に食い込んで微かに痛んだが、今の僕にそれを気にしているような余裕はなかった。ただ五月蠅いくらいの心音と、腹の底が縮むような緊張感を抑えながら、ひたすらに集中力を研ぎ澄ませていく。
このロザリオは、僕に残された唯一の形見。燃える生家から逃げ延びる際、最後に父から譲り受けたものだ。
よく磨かれた銀製のこれは、決してただの飾りではない。これもまた、リタのマントや僕の霊符と同じような、紋様の刻まれた触媒である。
そして、その効果は――。