第七話「万能の翼、揺らぎの向こう」-1
それを口にできたのは。
勢いとか、空気とか、そういう、どうしようもないことのせいだったに違いない。
「俺が、犯人だって……?」
イアンは僕の言葉に目を見開いた。まるで、何を言われたかわからないとでも言うかのように。
「ああ、そうだよ、お前が犯人だ。僕が言うまでもなく、それはお前が一番わかってるんじゃないのか?」
「おいおい、待てって、俺はこの村に爺さんの代から住んでるんだ。正真正銘、この村の一員だぜ? 俺がどうして、子供を攫ったりするんだよ」
イアンはもはや、呆れすら感じさせるような声色で言った
その反応は、どこからどう見ても自然なものに見えた。傍から見れば、僕が突拍子もないことを言い出したかのようであるのだろう。
彼はそれほどに普通だった。普通で普遍で、どこもおかしなところが見つからないくらいにこの村に溶け込んでいた。
正しく――透明だった。
だから危うく、僕も騙されてしまうところだった。
「確かに、イアンはそんなことしないだろうな」
僕は、あの猟師の旦那の話を思い出していた。
彼はイアンに全幅の信頼を置いているようだった。イアンという男は、そういう信頼を集めるに足るだけの器を持った人間なのだろう。だから村の農夫たちは事件が発生してからすぐに彼のもとに集ったし、僕らのような得体のしれない者にも向かってきたのだろう。
だから、本来であればイアンを疑うことなど絶対にありえない――。
「――でもな、この一件、すべてを成し遂げることができるのはお前しかいないんだよ」
第一の犯行は、誰にでも可能だ。
森の中、周りの目もない。子供が悲鳴を上げたところで誰にも届かないだろう。
第二の犯行は、認識阻害の魔術を使えるものでなければならないという前提条件こそあるものの、逆に言ってしまえば、それさえ使えたのなら、誰でも可能である。
というかそもそも阻害魔術の使い手はイコールで犯人なので、これは考えなくともいいだろう。
ただ――第三の犯行に関しては、イアンにしかできないのだ。
「あの家の窓には魔術の紋様が刻んであった。それも内側の、カーテンの陰になるような所にな。そんなところに細工をするのは外からでは不可能だろうな。もちろん、寝室に忍び込むようなことをすれば流石に不審がられるだろうが、頻繁に訪れているお前なら、目を盗むチャンスくらいあっただろ?」
「……あれは、ただ、あいつらのことを気遣って……」
「そういう体なら、あの人たちも疑わないもんな。お前がどんな気持ちで動いていたとしても、お前が一番怪しいって事実は動かないぜ」
言ってしまった、とは思う。これでもし、イアンが潔白であるのなら、僕は何をされても仕方がないだろう。もうここまで来てしまえば引き下がれない。
彼の瞳が、スッと細くなる。眉間に皺が寄り、こめかみに浮いた血管が、ピクピクと震えているのがわかった。
「おい、お前、そろそろ口の利き方に気をつけろよ。言っていいことと言っちゃいけねえことの区別くらい、つくよな?」
そして、再び僕に向かって鋤を構えなおす。再燃した敵意は怒りという薪がくべられたことで、一層強く燃え盛っているようにも見えた。
突き付けなければならない。
彼にぐうの音も出させないほどに決定的な証拠。僕がそんなものを、持ち合わせていただろうか――。
「ああ、もちろんだ。お前がまだシラを切るってんなら、それも仕方ねえが、これだけは答えてもらうぜ――」
――ある。
一つだけ、彼には絶対に答えられない、そして彼のもっとも不審な部分を一突きにする質問。しかし、一方で空振る可能性も十分に存在する。
ここで間違えるわけにはいかない。神経を研ぎ澄まして言葉を選ぶ。今までに見聞きした情報をフル動員して考える。この場で、僕が彼にすべき最善の問いは――。
「――あの猟師夫婦の子供の名前、わかるよな?」
口にしてみると、それは何でもないくらいに単純で、明快な問いだった。
この村で生まれ育ったイアンにとって、あの夫婦の最も親しい友人である彼にとって、こんなのは聞くまでもないことだ。
だから、彼はこともなげに即答するだろう。イアンなら。間違いなく。
「……なんだよ、そんなことか? 簡単だ、あのガキの名前は――」
そして思った通り、彼は拍子抜けしたような様子で、あっさりと名前を口にした。そこまでは予想通りだ。この狭い村の中で、ましてや、自警団の一人である彼が被害者の名前を把握してないということはないだろう。
「……違うぜ、イアン。そっちじゃない」
だから、僕はそこで制した。僕の本命は、この返しの刃にある。
「僕が聞きたいのは、もう一人の名前だよ。三人目の被害者のことじゃない。あの夫婦の間にいる、もう一人の子供の名前を聞いてるんだよ」