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赤き翼の万能屋―万能少女と死霊術師―  作者: 文海マヤ
一章『万能屋と死霊術師』編
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第一話「万能屋【赤翼】」-2

 僕は、走っていた。


 薄汚れた壁の隙間を抜け、()えた臭いの漂う木箱を蹴って転がし、ヘドロのような泥濘に足を取られながら、それでもがむしゃらに足を動かす。


 もう随分と休みなく駆け続けた体は悲鳴を上げ、酸素の回らない頭は徐々に朦朧としつつあった。


 それでも、留まるわけにはいかなかった。


 流れる景色。路地の向こうに見える町の欠片は、どれも西日に照らされていた。この黄昏(たそがれ)の中では、良いも悪いも老いも若きも、皆等しく朱色に染まる。後ろから迫り来る連中も、そして僕も、例外ではない。


 待ちやがれ、と、背後から飛んでくる怒号。それに怯えた膝関節が一瞬だけ固まって、思わず(つまづ)きそうになる。悪態を吐きながらも、どうにかバランスを取って角を折れたが、まだ慌しい足音はついてくる。


 首だけを回して、背後を確認する。さっき見たときは二人だった追っ手はいつの間にか三人に増えていた。いずれも上下ともに真っ黒なスーツを着ている。一見するとフォーマルな装いに見えるが、顔に浮かぶ粗暴さと柄の悪さ、それに染み付いた硝煙の匂いは隠しようがない。


「ったく……しつこいんだよ……待ったら無事に見逃してくれるのかっての……」


 茶化すように言ってみたが、まずそれはありえない。ああいう手合いに捕まってしまったが最後、良くて半殺し、最悪の場合、生きたまんま『情報』を搾り取られて、散々脅された挙句に腑分けされて出荷だろう。


 どうあれ、少なくとも今日の夕食にありつくことはできなくなるに違いない。別に腹が減っているわけではないが、何としても捕まるわけにはいかなかった。


 【夕暮れの街】の裏路地は複雑に入り組んでいて、どこまでも続いているように思える。しかしそこを走る僕はどこまでも、というわけにいかない。


 体力の底が見えつつあった。このままでは、じきに追いつかれてしまうだろう。


 運が悪かった。彼らに追われ、故郷からこの町まで逃げてきて、流石にここまで来ればと気を抜いてしまった。


 ほんの少しくらい見て回るくらいは大丈夫だろうと見通しのいい大通りに出たのが間違いで、その後、すぐ脇にあった路地に飛び込んだのも間違いだった。


 だが――僕だって備えはしてある。ゴールがない訳ではない。けれどそこまではまだ距離があり、このままでは辿り着くことはできそうにない。息を吐いて、覚悟を決めた。


 別に倒す必要はない。僕が逃げるだけの時間を稼げればいいのだ。それくらいなら僕にだってできる。


 僕はジャケットの内側に手を滑り込ませ、触れた感触を指先で確かめる。いち、にの、さん。十分な数があることを確認して、そのうちの何枚かを掴み取った。


 それは、縦の辺が十五センチほどの長方形。一見すると何の変哲もない紙切れにしか見えない。変わったところといえば、表面に描かれた円形の文様くらいのもので、今も風に煽られてひらひらと頼りなく揺れている。


 僕はそれを強く握り締めて、念じる。腹の底から熱いものが登ってくる感覚。それが腕を伝っていったのを確かめて、小さく呟く。


術式詠唱略(ショートカット)――『簡易契約(インスタント)』、ウィル・オ・ウィスプ」


 途端、爪先にチリチリと焦げるような熱。握った紙――否、霊符に火が灯る。それも、ただの火ではない。死人の肌のような、青白く不気味な炎。


「おい、魔術を使ったぞ。伏せろ!」先頭に居る男が、酒に焼けた声で叫んだ。僕は舌打ちを一つ置いてから、振り向きざまに燃える霊符を投擲(とうてき)した。


 手の中から離れていった札は、すぐに一つの火の玉に変わった。それは流星のように尾を引きながら、先程声を上げた男の鳩尾あたりに突き刺さった。苦悶のうめきを上げながら倒れこむ男に躓くようにして、後続の二人が派手に転ぶ。


 上がる土煙。どうなったのか悠長に確認している余裕はないが、ついてくる足音は聞こえなくなった。あれだけ盛大に転んだのだから、すぐには追っては来られないだろう。今のうちに撒かなければならない。僕はふらつき始めた脚に鞭を打って、さらに加速する。


 そして、スピードを落とさないまま、突き当りの角を曲がって。


 曲がって。

 そこで、ようやく足を止めた。



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