第六話「皮の下の正体」-4
「……!」
それはわずかな引っ掛かり。普段なら看過してしまう、ほんの小さなささくれのようなもの。しかし、気づいてしまえば、あとは、次々と思考が回転していく。
村の現状。
聞いた話、状況証拠。
そして、認識阻害の魔術。
なるほど、あれは、そういうことだったのか。しかし、だとしたらどの時点で、あいつはそれに気づいたのだろう――。
「――わかりました。概ね、聞きたいことは聞けたと思います」
僕はゆっくりと腰を浮かせた。ここまでの思考が間違っていないのなら、僕にできることはほとんどないし、何かをするつもりもない。
あとはリタに任せておけば、万事が解決するだろう。僕なんかが、口を挟むことでもない――。
「っと、最後にすみません、まだ、あなたたちのお名前を聞いていませんでしたね」
立ち去る直前、僕は思わず忘れそうになっていた、その問いを彼に投げかけた。
「へ? ああ、そうですね、私は――」
彼はこともなげに、自分と妻の名を口にした。それを頭の中の引き出しに突っ込んでから、僕は軽く一礼して、そのまま部屋を出た。
危ういところだった。あれこれ遠回りしたが、それが僕にとって、一番大切な質問だったのだ。
「――ありがとうございます。それでは」
一礼して、そのまま、歩き出す。色々な情報が、僕の頭の中で噛み合っていくのを感じる。
穴だらけだったパズルのピースが一つずつ埋まって、虫食いはあるが確かな一つの像を結ぼうとしていた。
残りの欠落は想像と推測で補うしかないが、概ね、この事件の輪郭が掴めたと言っても過言ではないだろう。
問題は。
リタがどう決着をつけるか、だが。
「……それこそ、僕の知ったことじゃないか」
玄関をくぐり外に出る。空には、夕暮れの気配が漂い始めていた。
すぐに済ませるつもりだったが、存外、時間がかかってしまったようだった。リタの方はもう用事が済んでいるかもしれない。
結局、僕はまだ【イットウ】へ連絡しろという彼女の指示を全うできていない。集会所に急がなければまたどやされてしまうな、と、駆け出そうとして。
その時だった。
「村長の所に行くんじゃ、なかったのかよ?」
ゆらり、民家の陰から。大柄な男が姿を現した。
見覚えのある栗毛。分厚い胸板。けれどその表情は、先ほどまでよりも幾分険しく見える。
「……イアン」
僕は思わず身構えた。彼が今、ここにこうして現れるのは、偶然にしてはあまりにできすぎている。
まさか――尾行されていたのだろうか。
「まったくよ、目を離したらこれだぜ。いったい、何を調べようとしてたんだ?」
彼の手には、僕の身の丈よりもさらに長い鋤が握られている。刃先には所々錆が浮いているが、僕の倍はあろうかというその太い腕で振り回されれば、大怪我では済まないだろう。
僕は自慢じゃないが、荒事には向かない。ここはどうにか彼の疑念を晴らして、やり過ごす必要があった。
「違うんだ、イアン。聞いてくれ。僕は別に怪しいことをしてたわけじゃない。ただ、聞きそびれてたことがあったから、あの家に戻っただけで――」
ザクッ、と。
僕の言葉は、足元に飛来した刺突に遮られた。
咄嗟に飛びのいてどうにか躱すことには成功したが、つい一秒前まで僕の足があったあたりに、深々と刃が刺さっていた。
彼は本気で、攻撃してきたのだ。
「言い訳は結構だぜ、兄ちゃん。やましいことがないんなら、俺と別れてからこっそり行く必要なんてないよな? それに、知ってるぜ、お前、あの女から何か受け取ってただろ?」
「違う、これはただの魔信機だ。それに、僕はただ、街にいる仲間に伝言を頼まれただけで……」
問答無用。
イアンは鋤を引き抜くと、そのまま横薙ぎに一閃した。
僕はさらに下がってそれを回避するが、微かに掠めた刃先が、ジャケットの裾を引き裂いた。
「だったらなおさら、お前がここに来るのはおかしいよな? なんで付き人のお前が【赤翼】の言いつけを破ってまで動いたんだ?」
「おい、話を聞いてくれって。僕は個人的な興味で動いただけで、別に――」
そこまでしか、言葉を接げなかった。
今度こそ、避けきれなかった。鋭く放たれた柄での一突きが、鳩尾に突き刺さったのだ。
肺の中から、一気に空気が抜けていく。口内に満ちた血の味と臭いが、噎せ返るような寒気になって、僕の感覚器を塗り潰していく。
刃の方でなかったのが唯一の救いだったが、それでも、僕の足を止めるには十分な攻撃だった。足から力が抜けて、思わず膝をついてしまう。
そんな僕の眼前に、イアンは鋤の先を突き付けた。それは誰が見ても明らかな、決着の形だった。
「さあ、言えよ。本当は何をしてたんだ? あの家で、何を嗅ぎまわってたんだ?」