第五話「霧の中の敵」-5
「いや、すまねえな、まだだ。だけどよ、すげえ助っ人が来てくれたぜ。あの万能屋【赤翼】だ。これでもう、大丈夫だからよ」
「【赤翼】……? もしかして、村長が呼んだのか?」
「ええ、そうよ。あなた、被害者の父親よね。ちょっとお話を聞かせてもらってもいいかしら」
そう言うと、リタは男の向かいにドカッと腰を下ろした。またこいつは横暴な、と思ったが、言わぬが花。そのまま黙って、彼女の脇に立つことにした。
男はしばらくの間、疑うように僕らのことを見ていたが、しばらくして諦めるように息を吐くと、
「……一体、何をお話すればいいんです?」
と、その乾ききった声で言った。
「もちろん、事件のことよ。お子さんが攫われたとき、あなたはすぐ傍にいたのよね?」
リタの言葉に、男は目を向いた。
そしてすぐに目を伏せると、そのまま苦々しく顔を歪ませた。拳には力が籠り、微かに震えている。
「お、おい、リタ……それは……」
僕は思わず、間に入ろうとしてしまった。
彼の心中は、なんとなく察する。自分の目と鼻の先で子供を攫われてしまったのだ。そりゃあ悲しいだろうし、悔しいだろう。憤りすらも憶えているかもしれない。そんな風に無神経に触れてはいけないのではなかろうか。
「いえ、いいんです」男は目を伏せたままで言った。
「はい、私はすぐ傍に――具体的には、このリビングにいました」
「……寝室の入り口は、あそこかしら」
リタが指したのは、部屋の奥にある扉だった。
他には僕らがこの部屋に入ってくる際に通った扉しかないので、消去法的にも、あそこが寝室で間違いないだろう。
「ええ、そうです。少なくとも一昨日の夜――九時くらいまではあの子はあそこにいたはずなんです」
「異変に気付いたのは、何時頃のこと?」
「私たちが寝ようとするほんの少し前のことですから、日付が変わるか変わらないかくらいの時間です。仕事で使う銃の手入れも終わり、もうそろそろ休もうかというときに、家内が、何だか嫌な予感がすると言って、寝室を見に行き……」
そこまで話した途端、急にどさりと何か重いものが落ちるような音がした。見れば、入り口で僕らを迎えてくれた女性――彼の妻が、顔を覆って泣き崩れていた。
思い出してしまったのかもしれない。その失意だけは、たかが十何年しか生きていない若造の僕にはわからない。思いを馳せることもない。
ただ、大切な――あまりに近すぎて、僕は父の今わの際まで気づけなかったが――家族を失ってしまった痛みは、僕も知っている。
理屈ではないのだ。『もう会えない』は、無条件で僕らの心を締め上げる。
僕らの心の一番柔らかい部分を、これでもかと痛めつけるのだ。
「……ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまって」
流石にリタも良心が咎めたのだろう、小さく頭を下げた。
あるいは、それも更なる情報を聞き出す、歴戦の万能屋の手管だったのかもしれないが、今のこの空気の中でそれを見分けられるほど、僕の洞察は冴えていないようだった。
「……あなたが謝ることじゃないですよ」男は明らかに無理をしていると傍目からでも分かる笑みを浮かべた。
「悪いのは全部犯人です。私は神隠しなんてこれっぽちも信じちゃいませんよ。きっといるはずなんです、あの子を連れていっちまった、犯人が」
ソファのひじ掛けの上で、プルプルと、骨ばった拳が揺れているのが目に入った。
リタは彼の言葉を一つ一つ咀嚼するようにゆっくりと頷いた。そして、まっすぐ顔を上げて、その摩耗しきった目と視線を合わせる。
「最後に、もう一つだけいいかしら。何でもいいの、一昨日、変わったことはなかった? 例えば手紙の配達員がいつもと違う人だったとか、庭に入り込んでる不審者がいたとか」
その質問に、彼はしばらくの間俯き、何かを考えているようだった。記憶の断片を繋ぎ合わせ、できるだけ当日のことを克明に思い出そうとしているのかもしれない。