第四話「【凪の村】」-4
「ほっほっほ。うちの男衆がとんだご無礼を……お怪我はなかったですかな」
そう言って深々と頭を下げたのは、真っ白な髭をたくわえた、枯れ木のような老人だった。
顔のあちこちに刻まれた皺は、単なる年期だけでなく、どこか積み重ねてきた歴史と知恵を感じさせる。
痩せっぽちの体なのに、その風格は、先ほどの屈強な農夫たちとは比べ物にならなかった。
あの後、村人たちをひとしきり殴り倒した(本当に嵐か何かのようだった)リタは、その中の一人――先頭に立っていた栗毛の男だ――の首根っこを掴むと、事情を話して案内役を命じたのだ。
村長はたまたま村の集会所にいたようで、僕らはすぐに応接室に通された。そして、今に至る。
「大丈夫よ。あんな連中じゃ傷一つ負わないわ。あなたが村長さん、でいいのよね?」
お怪我はない、どころか、お怪我をさせていた張本人であるリタは、横柄な態度でそう言い放った。
革張りの椅子にどっかりと腰かけて、黒樫のテーブルを挟んで老人と向かい合っている。僕はその脇に控えているような形だ。
「おお、これはこれは。申し遅れました。私はこの村の村長であります、ロドリグと申します」
「ご丁寧にどうも。【赤翼】リタ・ランプシェードよ。こっちは付き人のジェイ」
僕は軽く会釈をした。スペクターの姓は、できるだけ外では名乗らないことになっている。
世間にスペクター家のことや、それが滅びたことがどれだけ広まっているかはわからないが、余計なトラブルは避けようという判断だ。
「これはこれは……思っていたよりもお二人とも、お若くて驚きましたな」
「見た目なんてのは些末な問題よ、ご老人。それよりも、仕事の話に移りましょう」
さっきまでその見た目のことで怒り狂ってた奴がよく言うものだ。と、僕はよほど言ってやりたかったが、流石にここで暴れられては敵わない。
口のチャックを下ろして、大人しく続きを聞いていることにした。
「我が村に今起こっていることは、先にご連絡した通りでございます。もう資料に目は通していただけましたかな」
「把握しているわ。三人の子供の失踪。だけではなく、家の中で寝ていた子供までもが気付かれないうちに消えている。こんな話は、聞いたことがないわ」
「ええ、うちに寄越されてる衛兵たちもお手上げでしてな。家の中でも安心できないとあっては、大人たちも安心して働きに出ることができません」
「の、割には威勢のいい連中がいるみたいだけど?」
リタはそう言うと、ドアの方に視線を向けた。
部屋の外には、僕らをここまで送ってきた農夫の一人が立っているはずだ。
彼らはそれなりの、具体的には、所帯を持っていてもおかしくはないくらいの歳に見えた。
もちろん全員が既婚者とも限らないが、安心して働きに出られないと言いながら、どうして憲兵でもない彼らが、わざわざ僕らに襲い掛かってくるようなことをしたのだろうか。
「……彼らは、子を奪われた親と、その親しい友人たちなのです」
村長はリタの挑発を意にも介さぬように、落ち着いた様子で言った。
「憲兵たちに任せっきりにはしていられないということなのでしょう。日夜、ああいう風に村を見回り、怪しい人間に声をかけているようなのです」
「自警団、ってこと?」
「その、まがい物ですな。がむしゃらにやっているようですが、あれではかえって周りを怖がらせるだけでしょう。何度も止めるようにとは言っているのですが、この老体では、若い連中を抑えることなどできませんで……」
なるほどね、と、リタは納得したように何度か頷いた。
状況はやはりというか、芳しくないようだった。彼女の表情から、それは伝わってくる。
手がかりはほとんど無く、村民の一部が暴走し始めている。このまま行けば、犯人が捕まるよりも早く、この村は内部分裂を起こすだろう。
理由はどうあれ、リタがこの依頼を優先していなければ、手遅れになっていたかもしれない。
まあ、たとえそうであったとしても、僕には他人事なのだが。
「とにかく、調べてみないことには始まらないわね。あまり時間もないみたいだし、とりあえず現場を回ってくることにするわ」
リタはゆっくりと立ち上がった。そして、速足で部屋の出口に向かったので、僕もその後ろに続くことにした。
「何卒……」と、村長の深々とした礼に見送られながら、僕らは集会所を辞す。
途中、扉を出たところにいた農夫の一人が、腫れの退かない目で恨みがましく見つめてきたりしたが、とりあえず無視することにした。
外に出ると、丁度太陽が南中しようかという頃合いだった。
普段であればそろそろ昼食を摂ってもいい時間だが、先ほど感じた吐き気のせいか食欲は湧いてこなかったし、どうやら、リタにもそのつもりはないみたいだった。
「さて……と、どうしたものかしらね」
伸びをしながら言った彼女は、口調とは裏腹に、迷いのない足取りで歩き出す。
僕はどうにか歩調を速めて、それに置いていかれないようにするばかりだ。
「どうしたもこうしたも、一か所ずつ回るしかないんじゃないか? さっき自分でも言ってただろ」
「それはそうよ。まずは自分の目で現場を見てみないことには話にならないわ。私が言っているのは、その先の話よ」
「……その先?」僕は繰り返しながら、首を傾げた。
「黙って着いてきなさい。行ってみれば――わかるわ」
釈然としなかったが、僕は黙って着いていく。
そもそも、僕に彼女の仕事を手伝う義務はない。
彼女が行くというのなら、僕にそれを止める理由は存在しないのだ。
この依頼が解決できてもできなくても、僕には何の影響もない。意見をして癇癪を起こされるだけ無駄なのだから。